江原元氏の「9.11トリック「テロ」は起きなかった」

                            笠井一朗改変20100901江原元「9.11トリック「テロ」は起きなかった」 テキスト版

9/11トリック−「テロ」は起きなかった
マック・レイカー

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「われわれはテロについて真実を語らなくてはならない。9/11攻撃に関するとんでもない謀略説を断じて容認してはならない。それはテロリストたちから非難の矛先をそらし、その犯罪から遠ざけようとする、悪質きわまりない嘘なのだ」("We must speak the truth about terror. Let us never tolerate outrageous conspiracy theories concerning the attacks of September the 11th; malicious lies that attempt to shift the blame away from the terrorists, themselves, away from the guilty." by George W. Bush- RealPlayer Movie)
─ジョージ・W・ブッシュ(2001年11月10日、国連総会での大統領演説より)
QuickTime Movie (Deconcept, 1.1MB)

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2001年9月11日にニューヨークとワシントンで相次いで起きた「米中枢同時テロ」なるものは、言われているような「自爆テロ」などではなかった。実体はアメリカとイスラエルによって緻密に遂行された自作自演のテロ擬装工作であり、両国の諜報機関CIAとモサドの常套戦術「偽旗作戦」(False Flag Operation *1)にほかならない。テロリズムとは本来「国家権力による恐怖政治」を意味するものであるから言葉の定義に則せばテロは現実に起きたわけだが、アメリカ国務省が定義するところの「テロ」(Patterns of Global Terrorism)は起きなかった。いわゆる「テロ首謀者」のアル・カイダとオサマ・ビン・ラディンとは、「テロ」を口実にして侵略を正当化するための“敵役”を演じる工作員(Asset)にすぎず、オサマはCIAから「ティム・オスマン」というコードネームで呼ばれていた(OrlinGrabbe.com, "When Osama Bin Ladin Was Tim Osman"- Document)。彼の母親はシリア系ユダヤ人で、彼女の身内はイスラエルに居住している。イスラエルのメディアはオサマがユダヤ人であることを知りつつも、公表せずにわざと伏せている(イスラエル人ジャーナリストの報告による)。またサウジアラビア国防大臣スルタン・ビン・アブドルアジズ王子はサウジ首脳会談の席上で、オサマは「ユダヤによって送り込まれた」と発言(WorldNetDaily, "Saudi official: Bin Laden sent by Jews")、パキスタン・デイリー紙(2008年6月3日)は「アル・カイダはユダヤ組織、オサマ・ビン・ラディンはユダヤ人」と報じた(Pakistan Daily, "Osama Bin Laden Al Qaeda Jewish")。
*1 偽旗作戦とは、偽の旗を掲げて敵からの攻撃であるかのように見せかけたヤラセのこと。
Zbigniew Brzezinski and Osama bin Laden (CIA Asset "Tim Osman")
Source: Sygma/Corbis Agency, Paris

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もともとブッシュ一族とビン・ラディン一族とは25年にもわたる腐れ縁の仲で、言わば石油&軍事ビジネスにおける盟友、パートナーであった。1977年6月、現大統領ジョージ・W・ブッシュが石油掘削会社アルブスト・エネルギーを設立した時の共同出資者がジェームス・R・バスという人物で、彼は1978年オサマの長兄サレム・M・ビン・ラディンと米国での代理人契約を結び、アルブスト社に5万ドルを出資していた。これが縁でビン・ラディン一族はブッシュのお膝元テキサス州へ足しげく訪問するようになる。だがサレムは1988年、パパ・ブッシュことジョージ・H・W・ブッシュが大統領に当選した年に、テキサス州サン・アントニオ近くで軽飛行機“事故”により不慮の死を遂げる (Texas Observer, "The Bush-bin Laden Connection"/Allnews.Ru, "Lenta.Ru Investigates Bush's Family Relations With Osama Bin Laden"/"Trust Agreement, Harris County, Texas, signed by Salem M. Binladen, July 8,1976"- Document)。

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ビン・ラディンとのビジネス・パートナーはブッシュだけにとどまらない。「石油王」として知られるスタンダード石油創設者の曾孫でネルソン・A・ロックフェラー副大統領の叔父ことジョン・D・ロックフェラー四世の妻シャロン・パーシー・ロックフェラーの一族もパートナーである。ビン・ラディンのいわゆる「隠し口座」はシカゴのハリス銀行にあるとされ、シャロン・パーシー・ロックフェラー一族との共同口座になっているという(Sherman Skolnick's Report, "America's Reichstag Fire")。

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またビン・ラディン一族は、サン・フランシスコに拠点を置く世界最大手の総合建設会社べクテル・グループの子会社フレモント社(旧ベクテル・インベストメンツ)へも1000万ドルの投資を行っていた。べクテルおよびフレモント会長兼CEO(最高経営責任者)のライリー・P・ベクテルはブッシュ大統領の「輸出諮問委員会」メンバーであり、ドナルド・H・ラムズフェルド国防長官の「国防政策諮問委員会」メンバーであるべクテル上級副社長ジャック・シーハンともどもブッシュ共和党政権に深く癒着し、全世界のエネルギー開発を一手に握っている。1983年から84年にかけてラムズフェルドが中東和平特使としてイラクを表敬訪問し、べクテルの石油パイプライン・プロジェクトをフセイン大統領に持ちかけた話はあまりにも有名である (New York Times, "And the Winner Is Bechtel"/New Yorker, "Dept. of Connections; The Contractors"/CNN,"The Bechtel-bin Laden connection"/Public Citizen, "Bechtel: Profiting from Destruction"- PDF Document)。

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さらにビン・ラディン一族は、「カーライル・パートナーズII」というファンドにも初期投資で200万ドルを融資していた。このファンドを運営する米投資顧問会社カーライル・グループは軍需産業と密接に関わり、会長には元CIA副長官および元米国防長官のフランク・C・カールッチ、上級顧問には元CIA長官および元大統領パパ・ブッシュと元米国務長官ジェイムズ・A・ベイカーが就任し、かつては現大統領ブッシュもカーライル社の理事だった。ワシントン・ポスト(2003年3月16日)の記事によれば、9/11事件前日から当日にかけての2日間、カーライル社は首都ワシントンDCのリッツ・カールトン・ホテルで年次投資家会議を主催しており、その会議にはオサマの異母兄シャフィグ・ビン・ラディンが出席、10日の会議にはシャフィグと並んでパパ・ブッシュも同席していたという (Washington Post, "Connections and Then Some: David Rubenstein Has Made Millions Pairing the Powerful With the Rich")。

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そのパパ・ブッシュは同10日夕、何の打ち合わせか、ホワイトハウスの大統領執務室でリチャード・B・チェイニー副大統領とも会っていた。この2人こそ「湾岸戦争」を仕掛けた時の大統領と国防長官という間柄であったが、その戦争でリーダーシップを発揮し勝利へと導いた貢献と功績によりチェイニーは1991年7月3日、大統領自由勲章を授与されている。その後チェイニーは1995年から副大統領に就任する直前の2000年までテキサス州に本社がある石油関連企業ハリバートン社(カーライル社の主要投資先)の会長兼CEOを務め、副大統領になってからもハリバートン社から報酬を受け取るなど癒着をものともせず、イランやイラクとのオイル・ビジネスに精通したキーパーソンである (Reuters, "Cheney Took in $178,437 from Halliburton in 2003"/CBS News, "Doing Business With The Enemy")。

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そして9/11事件直後の数日間、航空機の飛行が全面禁止されていた中で、米国内にいたサウド王家関係者とビン・ラディン近親者24人がアメリカ政府の「特別待遇」によりFBIの空港エスコートを受けてサウジアラビア国籍の特別チャーター機でひそかに出国していた事実は、その癒着ぶりをより際立たせるものとなった(国外退去許可を与えていたのはチェイニー副大統領)(New York Times, "Fearing Harm, bin Laden Kin Fled From U.S."/New York Times, "New Details on F.B.I. Aid for Saudis After 9/11"/House of Bush, House of Saud, "The Bush-Saudi Files")。
Enlargement & Source: Prison Planet.com

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一方、オサマ・ビン・ラディンはと言えば、9月11日の前夜、パキスタンのラワルピンディにある軍病院で腎臓透析治療を受けていたことがパキスタン情報筋によって明かされた(CBS News, "Hospital Worker: I Saw Osama")。正規の病院職員は外へ追いやられ、軍の特別チームがそれにとって代わったと話す医療ワーカーや、オサマの姿を目撃したという病院スタッフの有力な情報は、AP通信(2000年3月24日)が伝えた西側諜報機関職員による「ビン・ラディンは腎疾患と肝疾患で重病にある」との報告や、オサマが事件2カ月前の7月4日から14日にかけてパキスタン経由でアラブ首長国連邦(UAE)のドバイにあるアメリカン病院へ腎臓病治療のために入院し、そこへビン・ラディン一族、サウジ諜報機関の最高責任者トゥルキ・アル・ファイサル王子(翌8月31日に解任された)、さらにはCIAのドバイ支局長ラリー・ミッチェル(翌15日CIA本部へ呼び戻された)までもが面会に訪れていたというフランス・フィガロ紙(2001年10月31日)の報じたスクープとも符合する(Associated Press, "Bin Laden Reportedly Ailing"/Guardian, "CIA agent alleged to have met Bin Laden in July')。この時すでにオサマは重度の腎不全にあったが、同年12月ひっそりと息を引き取った。米国防総省ペンタゴンによれば、アフガニスタンのトラボラにいるオサマの声を諜報員が定期的に無線でモニターしていたが、12月14日を最後に音沙汰がなくなったという。またエジプトのアル・ワフド紙(2001年12月26日)が「ビン・ラディンはトラボラで10日前に埋葬された」と葬儀の模様を伝えたのをはじめ、FBIテロ対策本部長デイル・ワトソンとパキスタンのムシャラフ大統領も彼の死を追認、オサマの遺言(12月14日付)がアラブのニュース雑誌アル・マジャラによって公表されるに至った(Welfare State, "Why won't U.S. report the proof that bin Laden is dead"/FOX News, "Report: Bin Laden Already Dead"/Telegraph, "US casts doubt on bin Laden's latest message"/CBS News, "FBI Official Thinks Bin Laden Is Dead"/CNN, "Musharraf: bin Laden likely dead"/World Tribune, Israeli intelligence: Bin Laden is dead, heir has been chosen"/CNN, "Magazine runs what it calls bin Laden's will"/OpEd News, "Is Osama bin Laden Dead? Part 1: December is for Dying")。

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1999年10月、実に興味深い本『幸運なる二世ジョージ・ブッシュの真実』(Soft Skull Press, "Fortunate Son: George W. Bush and the Making of an American President" by James H. Hatfield)が大手出版社のセント・マーティンズ社から発売され、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストにたちまちランクインした。ところが、「1988年に殺人教唆の共謀を働き(未遂)、刑期5年の有罪判決を受けた」という著者の犯罪歴なるものが持ち上がり、わずか1週間たらずで出版を差し止められ、2万部はお蔵入りのまま、7万部が書店から回収され、すべて焼却されるに至った。本の著者ジェームズ・H・ハットフィールド(=写真)は自ら犯した過ちを認めつつも、本を弁護することだけはしっかり忘れなかった、「私が書いた真実は、私の過去より重みがある」。その後この“発禁本”は、弱小のソフトスカル・プレス社から新版として2000年1月復刊。騒動の顛末はドキュメンタリー映画(Horns and Halos, 邦題は『解禁!ジョージ・ブッシュ伝 噂の真相』)にもなり、ブッシュ陣営の圧力にひるまず健闘する著者の姿をそこに見ることができる。

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ところでこの本は、ブッシュ大統領の生い立ちから大統領選出馬表明までを追った伝記本であるが、その内容はスキャンダラスにまみれ、たとえば1972年州兵時代にコカイン所持の罪で逮捕されたブッシュが父親のコネで罪状却下され逮捕歴がもみ消された一件をはじめ、祖父プレスコット・S・ブッシュがナチスのスポンサーとして資金援助していたことや、クー・クラックス・クラン(KKK)、統一協会(ムーニーズ)、ビン・ラディン一族とのつながりなど、ブッシュ家の暗部を白日の下にさらすものであった。さらに圧巻は、これまでソースの秘匿を厳守していた情報提供者の名前が、2001年6月発売の第二版から実名で書かれたことだ。誰あろうそれは、「ブッシュを大統領にした参謀」カール・C・ローヴ大統領上級顧問と、ブッシュの友人クレイ・ジョンソンで、この2人がブッシュのコカイン所持・逮捕歴を証言していたのである (Salon News, "Book: Bush was arrested for cocaine in 1972"/Democracy Now!, "Full Interview with Bush Biographer J.H. Hatfield Who Died"/"G. W. Bush's Military Record"- Document)。

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2001年1月20日、ブッシュが大統領の座を「クーデター」(チェイニーはエドワード・N・ルットワークの著書『クーデター』を手本にした。ブッシュの実弟、フロリダ州知事ジョン・E・ブッシュも不正投票に関与)によって手中に収めると、その半年後の7月18日(第二版が出た1か月後)、ハットフィールドは、アーカンソー州スプリングデールにあるモーテルの一室で死体となって発見される。享年43。「遺書」が残されていたことから警察は「処方薬の過剰服用による自殺」と発表。検死は行われず、3日後に埋葬された。生前、彼は1931ページにもおよぶFBIのファイルを保有していたが、2002年3月12日FBIはわずか234ページ(12%)を公表しただけで、全面的な開示を拒絶している(SanderHicks.com, "Jim Hatfield Info")。彼が亡くなる間際に書き上げた遺稿のタイトルは「なぜオサマ・ビン・ラディンはかつてのビジネス・パートナーだったブッシュを殺したいと思ったのか?」というものであったが、この一文で特筆すべきは、ブッシュへの攻撃として「プラスチック爆弾を搭載した航空機の遠隔誘導による空爆」を事件2カ月前に紹介していたことである(Online Journal, "Why would Osama bin Laden want to kill Dubya, his former business partner?" *2)。
*2 Dubyaとは、George W. Bushのニックネームで、ブッシュがWを「ドゥブヤ」とテキサスなまりで発音することに由来する。

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何も不審な死を遂げたのは彼だけでなかった(Global Complexity, "Death by Association"/The Bush Body Count)。パパ・ブッシュ暗躍のBCCIスキャンダルを暴いた本『タコ』(The Octopus)の執筆中にあったジャーナリストのダニー・カサラロは1991年8月10日、ウエストヴァージニア州マーティンズバーグにあるシェラトンホテルの浴室で手首を切り死んでいるところを発見され(彼が調査した証拠資料は紛失していた)、ブッシュ家の犯罪コネクションを綿密に描いたドローイング作品『グローバル・ネットワークス』で知られるアーティストのマーク・ロンバルディは2000年3月22日、ニューヨークのウイリアムズバーグにある自宅アトリエで首吊り死体として発見され、『ラスベガスをやっつけろ』(Random House, "Fear and Loathing in Las Vegas" by Hunter S. Thompson)で知られるジャーナリストのハンター・S・トンプソンは、9/11事件が内部犯行であることに気付き、WTCビルの倒壊が爆発物によって引き起こされたという確たる証拠を公表しようとしていた矢先の2005年2月20日、コロラド州アスペンの自宅で銃口を口にくわえ死んでいるところを発見された(彼は生前、「彼らは自殺のように見せかけるつもりでいる」と打ち明けていた)(Libertythink, "Hunter S. Thompson thought 9/11 an inside job"/Globe and Mail, "Alexander Pope in a prose convertible")。
しかし警察発表は、いずれのケースも自殺によるものと断定し片付けた。
(from left to right) Mossad "sayan" Ronald Lauder, David Rockefeller,
Gov. George Pataki, Mayor Michael Bloomberg. | Source: New York State

The Bilderberg Group Network
Enlargement (2MB) | Source: Institute for Power Structure Research

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本当の首謀者、真の黒幕とは、欧米のエスタブリッシュメント、超エリートら(Global Elites)による策謀である。端的に言えばそれは、1991年6月ドイツのバーデン・バーデンで開催された「ビルダーバーグ会議」(Bilderberg Conference)におけるロックフェラー財閥総帥デイヴィッド・ロックフェラーの発言に集約される。彼はその席上でこう表明した、「ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズ、タイム誌、その他の大手出版社には感謝している。重役の方々はわれわれの会議に参加してくれ、約40年間にわたり裁量規制を約束してくれたことに敬意を表したい。その当時もし衆目に晒されていたなら、われわれは世界計画を展開することなど不可能であったろう。だが、今や世界はより高度化し、世界政府へ向けて進展させる態勢が整った。知的エリートと世界銀行家たちによる超国家的な支配権は、過去数世紀にわたって実施されてきた国家の独立主権よりも確実に望ましい」("We are grateful to The Washington Post, The New York Times, Time magazine, and other great publications whose directors have attended our meetings and respected their promise of discretion for almost forty years. It would have been impossible for us to develop our plan for the world if we had been subjected to the lights of publicity during those years. But, the world is now more sophisticated and prepared to march towards a world government. The supranational sovereignty of an intellectual elite and world bankers is surely preferable to the national auto-determination practiced in past centuries." by David Rockefeller)。

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このロックフェラーの言を待つまでもなく、ビルダーバーグの創設自体、2012年までに「世界政府」を実現させることを最終目標としている。周知のようにニューヨーク国連本部の敷地を寄贈したのはジョン・D・ロックフェラー二世であるが、その国連が「世界政府」を念頭においたものであることはアメリカ・ユダヤ人委員会の機関誌『コメンタリー』(1958年11月)において明確に述べられている、「国連とは、その法制上の飾りを剥ぎ取れば、実質的にはアメリカとソ連が一体となって活動する世界政府である」(American Jewish Committee's Official Magazine 'Commentary', "The International government of the United Nations, stripped of it's legal trimming, then, is really the International Government of the United States and the Soviet Union acting in Unison.")。

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テキサス州選出の共和党下院議員ロン・ポールは、対テロ戦争の狙いは石油利権だと下院議会で演説した数少ない勇敢なる人物であるが(Congressman Ron Paul, House of Representatives, November 29, 2001: "Keep Your Eye on the Target")、これまで表立っては語られて来なかった「世界政府」創造という国際的な共同謀議が存在するかという問いに対して彼は、「独裁権力」(Dictatorship)は確かに存在すると言明した(Propaganda Matrix, "Congressman Ron Paul Admits Conspiracy to Create World Government" RealPlayer Movie)。
U.S. Dept. of Defense; DARPA's Information Awareness Office
Source: Memory Hole, "IAO Website Deletes Its Logo."

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今回の策謀は世界制覇へ向けての契機であり、すでに10年以上も前から立案・計画されていたものだ。プロジェクトを成功させるために予備実験が繰り返しテストされ、1999年にはユーゴスラヴィアでこの雛形となる同様のビル破壊まで行われた。そして2001年5月、スウェーデンのゴッテンブルグで開かれた「ビルダーバーグ会議」で最終合意が取り交わされ、スパコンによる周到なシミュレーションを経て決行されたというわけである。それが成功した暁は、演出された世界的な危機のもとで戒厳令発動と軍政移管を契機にアメリカの国家主権を終焉させ、「北米連合」(NAU)を発足。ついで各国を「世界連合」(Global Union)へと統合し、食糧資源とエネルギー資源を制して地政学的覇権を成し遂げる。“ロックフェラー家の代理人”たるヘンリー・A・キッシンジャー元米国務長官はかつてこう述べたことがある、「食糧供給を支配する者が人々を支配し、エネルギーを支配する者が全大陸を支配し、通貨を支配する者が世界を支配できる」("Who controls the food supply controls the people; who controls the energy can control whole continents; who controls money can control the world. " by Henry A. Kissinger)。その行き着く先とは、いみじくもジョージ・オーウェルが『1984』で予見してみせた、ごく一部の巨大な富と権力を持つ「偉大なる兄弟」(Big Brother)が寡頭的専制によって支配するプライバシーなき監視社会であり、ブッシュ政権の政策決定に重要な役割を果たしているアメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)の研究員マイケル・A・レディーンが唱えるところの、創造的破壊による「ユニバーサル・ファシズム」到来である。シオニストの中でもとりわけ急先鋒と目されるレディーンの「ファシズム革命」が、米政権中枢にいるチェイニーやローヴらに信奉され受け継がれていることを見落としてはならない。

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9/11事件を契機にまず当面の目的としては、第一に石油・天然ガス、武器、麻薬などの権益を狙ったエネルギー資源の独占と軍産複合体の復活がある。とくにアフガニスタン攻略は、『USニューズ&ワールド・レポート』が4兆ドルと見積もった広大なカスピ海海域に眠る約500年分もの価値ある手付かずの天然ガス・石油資源を、アフガニスタンからパキスタンを経由してインド洋まで運ぶパイプライン計画のため、といっても過言ではない。まだチェイニーがハリバートン社の会長兼CEOだった1998年当時、彼はカスピ海海域のエネルギー資源についてこんなスピーチを行っている、「カスピ海ほど突然浮上して戦略的に重要になった領域は、いまだかつてない」(Guardian. "America's pipe dream")。そのため、アフガニスタン首相(その後アフガニスタン大統領に就任)に指名されたのが、カリフォルニアの石油企業ユノカルの元コンサルタント、ハミド・カルザイだった。「傀儡」としての彼の役割は、ユノカルの事業であるパイプライン計画を滞りなく円滑に進めることにあった。それと同時に、CIAの後ろ盾でソ連と一戦を交えたアフガン内戦にかかわる極秘作戦の「証拠」を消しておく必要もあった(Gglobal Research, "Unocal Advisor Named Representative to Afghanistan")。また何よりアフガニスタンは世界最大のケシ栽培産地として知られるが、ニューヨーク・タイムズは、カルザイの実弟アフメド・ワリ・カルザイがアフガンの麻薬取引に関与し、過去8年間にわたってCIAから定期的に報酬を受けていたことをスクープで報じた(New York Times, "Reports Link Karzaiユs Brother to Afghanistan Heroin Trade"/New York Times, "Brother of Afghan Leader Is Said to Be on C.I.A. Payroll")。

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Greater Israel Map | Source: Avrom, Livejournal
そして第二に、イスラエルの生存と勢力拡大に基づいた「大イスラエル」(Greater Israel)構想、すなわち宿願の「ユダヤ国家」樹立という目的がある。彼らシオニストの野望とは、旧約聖書の一節「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、カイン人、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える。」(創世記15:18-21 邦訳は日本聖書協会『聖書 新共同訳』による)という「神の契約」を成就させることにある。そのためアメリカとイスラエルは結託して、エジプト、レバノン、トルコ、シリア、ヨルダン、イラク、サウジアラビアにまたがる中東一帯の肥沃な土地を略奪・占領支配し、それに敵対する「ならず者国家」(Rogue States)はことごとく軍門にくだり異民族もろとも殺戮・迫害されることになるだろう。かつてナチス・ドイツは「生存圏」(Lebensraum)確保のために領土拡張を図ったが、イスラエルはそのやり口を見事に踏襲しているのである(George W. Bush - Terrorist in the White House, "The War For Israel"/Media Monitors Network, "Israel's Grand Design: Leaders Crave Area from Egypt to Iraq"/Institute for Advanced Strategic and Politcal Studies, "A Clean Break: A New Strategy for Securing the Realm")。

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Two Sides of the Same Coin | Source: RandomPottins
元来、シオニズムはナチズムと表裏一体の関係を形成し、本質的に「反ユダヤ」(Anti-Semite *3)であるがゆえに、正統派の立場に立つユダヤ教団体ネトゥレイ・カルタはシオニズムを異教とみなし、ユダヤ教の本質から逸脱したものとしてイスラエル建国には反対の姿勢を貫いている(Neturei Karta - Orthodox Jews United Against Zionism/jewsnotzionists.org, "Jews Not Zionists")。
*3 Anti-Semiteは、今日的には「反ユダヤ」で用いられるが、語源的には「反セム族」でアラブ人も含まれる。

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Operation Northwoods Document (13 of 15)
Source: National Security Archive- PDF Document
ナチス独裁の契機となったベルリンのライヒスターク(帝国議会議事堂)炎上事件とは、共産党の仕業に見せかけるためナチスが仕掛けた「自作自演の放火」であったが、今回もそれと同様の手口、イスラムの仕業に見せかけた「自作自演テロ」以外の何ものでもない。1962年3月、アメリカ統合参謀本部(議長はライマン・L・レムニッツァー)はキューバへの軍事侵攻を正当化する口実として自作自演テロ「ノースウッヅ作戦」(Operation Northwoods)を極秘に立案・計画したが、実行寸前まで行ったところでジョン・F・ケネディ大統領に却下され、あえなく頓挫。『米国によるキューバ軍事侵攻の正当化』(Justification for U.S. Military Intervention in Cuba)と題されたそのシナリオとは、キューバ軍の軍服を着て変装した特殊工作員たちにグアンタナモ米軍基地を攻撃させ、グアンタナモ湾やキューバ海域にあるアメリカ船舶を爆破。マイアミ地区、フロリダ各市、首都ワシントンなどアメリカ本土においてもキューバ難民への襲撃やキューバ難民を乗せた貨物船(嘘でも本当でもかまわない)を爆破して撃沈。入念に選んでおいた場所をプラスチック爆弾で爆破させ、「キューバ工作員」を逮捕し、前もって準備しておいたキューバ関与の立証となる偽造文書を発表してキューバ政府の無責任さを印象づける。こうした“挑発行為”に乗じる形で、「リメンバー・メイン(米西戦争)」のスローガンと「共産主義キューバ・テロ」のキャンペーンを掲げ、キューバ・カストロへの報復攻撃を仕掛けようと画策するものだった。

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とりわけこの作戦で刮目に値するのは、無人の民間旅客機と替え玉のニセ旅客機とをあらかじめ用意しておき、フロリダ南部で待ち合わせて両機をすり替え、入念に選ばれた偽名の乗客たちを乗せたダミー機の方はフロリダのエグリン空軍基地へ、遠隔操縦された無人旅客機の方はキューバ領空まで飛ばして自爆させ、「キューバのミグ戦闘機によって撃墜された」との緊急事態発生(May Day)の無線交信を最後に消息を絶つというシナリオまで立てていたことである(ABC News, "U.S. Military Wanted to Provoke War With Cuba"/Emperor's Clothes, "U.S. Military Schemes: Ominously Like 9-11")。

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PNAC Members: (from top left) Vice President Cheney, Florida Gov. Jeb Bush,
Defense Secretary Rumsfeld, Deputy Defense Secretary Paul Wolfowitz,
Cheney Chief of Staff I. Lewis Libby, Undersecretary of State John Bolton,
Undersecretary of Defense Dov Zakheim, Author Eliot Cohen.
要するに今回の企ては、その未遂に終わったプランを再度焼き直したものであり、その口火を切って米軍協力のもと2001年5月に絶妙のタイミングで封切られたのが、ディズニーらしからぬ国策映画『パール・ハーバー』だった。「リメンバー・パールハーバー」は中東への侵攻を抵抗なく受け入れさせるためのマインド・コントロールとして、彼らの言葉を援用するなら「新たな真珠湾攻撃のような、破局的な変化を引き起こす事件」("Further, the process of transformation, even if it brings revolutionary change, is likely to be a long one, absent some catastrophic and catalyzing event - like a new Pearl Harbor." by PNAC, Sept. 2000 *4)を画策するプロパガンダとして役目を果たしたのである。ブッシュも本望だったのか、事件当夜、彼は日記に「21世紀のパールハーバーが今日起こった」と書き留めて眠りについたという(Washington Post, "The Pearl Harbor of the 21st century took place today." by George W. Bush)。
*4 PNACが2000年9月に作成した文書『アメリカの防衛再建』("Rebuilding America's Defenses"- PDF Document)の中の一節で、その青写真は1992年すでにチェイニーによって構想されていた。PNACは略称で、正式名称は"Project for the New American Century"(「新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト」)と呼ばれるイスラエル・ロビーの政策シンクタンク。ブッシュ政権中枢にいるPNAC発起人には、チェイニー副大統領を筆頭に、リビー副大統領主席補佐官、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官、ファイス国防次官、ロドマン国防次官補、アーミテージ国務副長官、ドブリアンスキー国務次官、ボルトン国務次官、パール国防政策諮問委員長、エイブラムス国家安全保障会議(NSC)中東担当上級部長らが顔をそろえ、ブッシュ大統領の実弟ジェブ・ブッシュ(フロリダ州知事)も加わっている。

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ディズニーと言えば、20年来ディズニーCEOの座に居座り続けたマイケル・D・アイズナーは、イスラエル建国を支持する熱心なシオニストとして知られるユダヤ人である。そして顧問は元米国務長官のヘンリー・キッシンジャー(彼はまたユノカルの顧問でもあった)。そのディズニーは1999年10月、フロリダで開催された「ウォルト・ディズニー千年紀博覧会」で、エルサレムをイスラエルの首都として公に提示した。そのイベントのバックアップに、イスラエル外務省が180万ドルの寄付金を出している(BBC News, "Disney drops Jerusalem plan")。よく知られたところでは、カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞したドキュメンタリー映画『華氏911』(Fahrenheit 911)の配給を阻止しようとしたのもディズニーであった。CNNとのインタヴューで、マイケル・ムーア監督はこう打ち明けている、「1年ぐらい前、映画を撮り始めた後になって、ディズニーのマイケル・アイズナー会長がうちのエージェントにこう言ってきたんだ。この映画を製作したミラマックスにはムカついている、ミラマックスを所有しているディズニーとしてはこの作品を配給するつもりなんかないんだと」(CNN, "Moore: Anti-Bush film will be seen")。むろんアイズナー自身、ブッシュ批判の映画を認めるわけにはいかなかった、ブッシュの選挙キャンペーンへ個人献金を行っている私情ゆえに…(NEWSMEAT, "Michael Eisner's Federal Campaign Contribution Report")。

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Gov. Nelson Rockefeller (left), with Mayor John Lindsay
世界貿易センター(WTC)ビルは1960年代初め、デイヴィッド・ロックフェラー(弟)が発起人となり、当時ニューヨーク州知事だったネルソン・ロックフェラー(兄)の強力なバックアップによって建設された。ゆえに一対のタワーは、彼ら兄弟の名を冠して「デイヴィッド&ネルソン」と呼ばれる。「貿易による世界平和」を託し、日系人建築家ミノル・ヤマサキが尖頭アーチ型のイスラム様式を採り入れて設計した建造物であったが、それが標的として狙われた理由の1つは、老朽化に伴う維持費の高騰やテナント数の減少、それに建材に大量使用されている有害物質アスベスト(石綿)除去のコスト高対策といった同ビル自体が抱え込んでいる諸問題をあらかじめ見越した上での一石二鳥の解決プラン、言わば「都市再開発事業」そのものであった。そこに2機を続けざま時間差攻撃で突入させたのは、人の記憶に強く印象づけるためのすぐれて軍事的なターゲット・エスカレーションを企図したもの。それと併行して用意周到にスタンバイされたライブ中継、通信衛星を使った世界配信もまた、衝撃度の高い映像を見せつけ畏怖心を煽ろうとする(Shock & Awe)マスメディア操作による心理戦争の定石だったのである。

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さて当のデイヴィッド・ロックフェラーであるが、彼は2002年に出版した自叙伝『ロックフェラー回顧録』(Random House, "Memoirs" by David Rockefeller)のエピローグで、この惨劇の模様についてこう回想している、「WTCタワーから二本の煙が黒々とうねってもうもうと立ち昇り、ブルックリンを越えヴェラザノ・ナロウズを通り抜け海へと漂い出ていったのを、その朝ロックフェラー・センターGEビル56階にあるオフィスの窓から眺めていた」。

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それではなぜ、24時間臨戦態勢にあるはずの迎撃戦闘機がどの空軍基地からもいっこうに緊急出動しなかったのか? 出遅れたのか? 万一民間旅客機がハイジャックされたり、規定の飛行進路をそれて管制塔からの呼びかけに答えなかったりした場合、米連邦航空局(FAA)はただちに米軍と北米防空司令部(NORAD)に通報し、戦闘機を緊急発進(スクランブル)させる手続きをとる。にもかかわらず、スクランブル指令、緊急対応システムはその時だけ解除されていた。なぜかと言えば、9月11日当日の朝、事件前から事件が起きていた真っ最中にかけて、少なくとも5つの(実際には35もの)大規模な軍事模擬演習がタイミングを合わせ実施されていたからである。その中には、あたかも9/11事件を想定したかのような「米国家偵察局(NRO)本部ビルへの旅客機突入」も組まれていた。NROのスポークスマンの話では、事件発生後、必要最小限の要員だけを残し、局の本部で働く3000人のほとんどは帰宅を命じられたという。事件当日、軍事演習に参加していた者たちにとっては現実に起きていた「本番」も演習の一環でしかなく、この日の演習のために戦闘機がみな遠方へと出払ってしまい、緊急時には何ら用をなさなかった。それらの演習を計画立案し、ホワイトハウス地下の大統領緊急作戦センター(PEOC)で陣頭指揮を執っていたのは、事件4か月前の2001年5月8日、大統領令によって対抗演習および作戦訓練を統括指揮する最高責任者としての権限を与えられた副大統領のチェイニーであったが、1995年から2002年まで米陸軍に所属し中央軍(CENTCOM)でも活動したラウロ・シャヴェス元軍曹の証言によると、「チェイニーはNORADにスクランブル解除の命令を下していた」(Veterans for 911 Truth, "Cheney gave NORAD the order to stand down scrambling jets to intercept." by Sgt. Lauro Chavez)という。2001年6月1日、チェイニーがプロトコル変更の命令を下したことによりスクランブル指令にはラムズフェルド国防長官の承認が必要となり、当のラムズフェルドは攻撃完遂を無事に見届けるまで故意にやり過ごした。ゆえに、NORADの航空安全・防衛システムはその時だけ都合よく“機能麻痺”していたというわけである(CNN, "Cheney recalls taking charge from bunker"/Boston Globe, "Agency planned exercise on Sept. 11 built around a plane crashing into a building")。

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事件後、ホワイトハウスの首脳たちは「旅客機が兵器として使われるなんて思いもよらなかった」とまるで寝耳に水であったかのようにとぼけてみせたが、その裏では旅客機を兵器として用い標的となるビルに激突させる模擬演習を計画、遂行しようとしていたのである。しかもNORADはすでに2年前の1999年、ハイジャックされた旅客機が標的となるWTCビルとペンタゴンに突入し兵器として使われるというシミュレーション訓練に取り組んでおり(USA Today, "NORAD had drills of jets as weapons"/USA Today, "NORAD had drills eerily like Sept. 11 Pentagon, Trade Center among imagined targets")、ついで事件3か月前の2001年6月にも、政府内のならず者もしくは何者かが巡航ミサイルと無人標的機をハイジャックしてテロ攻撃を仕掛けるというシナリオで「アマルガム・ヴァーゴ 01」(Amalgam Virgo 01)と呼ばれる“9/11予行演習”を敢行していた。そしてその演習マニュアルの表紙を飾ったのが、オサマ・ビン・ラディンであった(U.S. Department of Defense, "NORAD-Sponsored Exercise Prepares For Worst-Case Scenarios")。
Amalgam Virgo 01 | Source: NORAD- PDF Document

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さらにペンタゴンも2000年10月と2001年5月、民間旅客機ボーイング757型機のペンタゴン激突と大量死傷者救助という緊急事態をシナリオとして想定した「マスカル」(Mascal)と呼ばれる机上シミュレーションを行い(U.S. Army Military District of Washington, "Contingency planning Pentagon MASCAL exercise simulates scenarios in preparing for emergencies"/Let's Roll Forums, "Pentagon Casualty Exercises Planned for the 9-11 Hit?")、またユナイテッド航空93便が墜落したとされる現場の隣郡ウェストモアランドでも2001年6月16日、ショッピングモールが爆破されたという想定のもとに「モール攻撃2001」(Mall Strike 2001)と呼ばれる対テロ攻撃の模擬演習が展開された。ちなみにこの演習の緊急チームは、「93便」の現場へもすばやく配備されていた(Cooperative Research, "Profile: Mall Strike 2001")。
Pentagon Mass Casualty Exercise [MASCAL]
Source: Military District of Washington

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むろんブッシュ大統領は、すべてを掌握していたわけではないにしろ先刻承知していた。それをもっともよく象徴しているシーンが、WTCビルに2機突入する間、彼のとっていた挙動である。自身の所在とステートメントを報道させるため、あらかじめ好都合なロケーションとして選んでおいたのがフロリダ州サラソタのエマ・E・ブッカー小学校で、リーディングの授業に参加するため小学校を訪れた彼は、まだ教室に入る前、外で待機していた時に航空機がWTCビルに激突するところをテレビで見たと、事件直後ではなく、事件から数か月も経ってからフロリダ州オーランドで開かれたタウン・ミーティング(2001年12月4日)で発言している。まだテレビで中継されてもいなかった1機目の突入シーンを、である(Presidential Speech, "I was sitting outside the classroom waiting to go in, and I saw an airplane hit the tower -- the TV was obviously on." by George W. Bush- MP3 Audio | RealPlayer Movie/Guardian, "Bush reveals first thought: There's one terrible pilot")。よほど強調しておきたかったのか、2002年1月5日カリフォルニア州オンタリオのタウン・ミーティングでも、彼は再度同じ発言を繰り返している(Presidential Speech, "well, first of all, when we walked into the classroom, I had seen this plane fly into the first building. There was a TV set on."- MP3 Audio)。

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ブッカー小学校のグウェン・T・リゲル校長は後日インタヴューの中でこの件に触れ、「絶対にありえません。だって廊下や教室付近のどこにもテレビなんてなかったんですから」と答え、教室で教えていたサンドラ・K・ダニエルズ教師も当時を振り返り、シークレット・サービスが教室に駆け込んできて授業を中断させると「テレビはどこにあるのか?」質問を受けたと述懐している(What Really Happened, "Propaganda Matrix: Message 8180 of 8182"/New York Post, "Tragic Lesson")。またMSNBCの記事によると、リゲル校長は授業開始前に控室で大統領と話す機会があり、彼から初めてこう聞かされたという、「飛行機が世界貿易センターにぶつかったよ、民間旅客機が」(MSNBC, "a plane had hit the World Trade Center and that it was a commercial plane." by George W. Bush)。

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実はブッシュの一見錯綜したように見える発言の真意とは、彼が1機目の突入をいつの時点で知ることになったかを「消す」ためのミスディレクション(Misdirection *5)にほかならなかった。彼が実際に事件を知ったのは、小学校へ到着してからではない。ABCニュースの特別リポートによれば、ホテルを出て小学校へ向かおうとするブッシュに対して、随行していたリポーターのジョン・コクランが「ニューヨークで何が起きているかご存知ですか?」と問いかけると、すでに彼は知っていて「それについては後で何か話すつもりだ」と答えたという(Bill St. Clair's Home Page, "ABC News Special Report: 'Planes crash into World Trade Center' ")。
*5 ミスディレクションとは、マジックの技法にある心理的な常套テクニックの一種。マジシャンが知られたくないある秘密の動作を行う時、誤った指図で観客の注意や視線を他へそらし、都合のいい方向へ巧みに誘導すること。
Source: AFP
Source: AP

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にもかかわらずブッシュは意に介すことなく、さも何事もなかったかのように予定どおり小学校を訪問し、教室に入って授業に参加する。午前9時05分、授業中しばらくして大統領主席補佐官アンドリュー・H・カード・ジュニアがブッシュのそばに歩み寄り、「2機目の飛行機がタワーに衝突しました。アメリカは攻撃を受けています」("A second plane has hit the tower, America is under attack." by Andrew H. Card, Jr.)とわずか「3秒間だけ」耳打ちする。さてブッシュのリアクションはどうであったか? 報告に一言も問い返すことなく、顔色1つ変えず、生気のない表情で目を泳がせ、なおも10分近く授業に没頭していたのである。ようやく彼が正式なステートメントを発表したのは午前9時30分、カードの報告を受けてから25分も経ってのことだった(児童の安全確保を怠り、子どもたちをバックに勢ぞろいさせて見せたのも予定された演出)。国家の大事より授業の方がよほど大事だったのか、緊急非常事態にも動じないブッシュの態度はもう立派というほかはない。だがそれはとりもなおさず、シークレット・サービスもまた事前に「テロ攻撃」を知りながら要人警護をわざと怠って見過ごしていたということを意味する。副大統領のチェイニーが素早く安全なバンカー(PEOC)へ緊急避難したのとは正反対にブッシュ大統領は捨て置かれたわけだが、裏返せばシークレット・サービスは、ブッシュが「標的外」だったことをとうに承知していたとも見てとれる(Killtown, "Was Bush complicit with the 9-11 attacks?"/Emma E. Booker School September 11th Video)。
前述したオンタリオのタウン・ミーティングで、事件についてコメントを求められたブッシュはこんな感想を返している、「とにかく、興味深い日だったよ」(Presidential Speech, "Anyway, it was an interesting day." by George W. Bush)。

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NASA & FAA Controlled Impact Demonstration (CID), 1984 | Source: NASA
今回の軍事テロ作戦で利用された航空機は、いずれも「自爆テロ」によってではなく、外部からの遠隔操作でリモート・コントロールされていた、というのが事の真相である。英国航空の元社長ロバート・エイリングはロンドン『エコノミスト』誌(2001年9月20日)のインタヴューで、「ハイジャックが起きた時に航空機を地上または空中から乗っ取って自動操縦することは可能」(Economist, "Aircraft could be commandeered from the ground or air and controlled remotely in the event of a hijack." by Robert Ayling)と答えている。またニューヨーク・タイムズ(2001年9月28日)によると、ブッシュ大統領も事件後しばらくして、「たぶん遠い将来、航空管制官のリモート・コントロールによって遭難機を着陸させるための新技術が可能になるだろう」と発言(New York Times, "Bush to Increase Federal Role in Security at Airports")。もっとも「遠い将来」とわざと煙に巻き欺いているが、この遠隔自動操縦システムはとうに実用化の域に達している。NASAとFAAは共同プロジェクトで1984年12月、ボーイング720型機を使った遠隔自動操縦による衝突実験をカリフォルニア州エドワード空軍基地内のNASAドライデン飛行研究センターで行ったほか(NASA, "Controlled Impact Demonstration <CID> Aircraft")、ペンタゴン国防高等研究計画局(DARPA)もハイジャック対策として「ホーム・ラン」(Home Run)と呼ばれる最先端技術をボーイング社と共同開発、ボーイング757型機と767型機にはタキシングから離陸〜飛行〜着陸までの全航行を完全自動操縦で行える遠隔制御可能な「フライト・コントロール・システム」(FCS)が組み込まれていた(Vialls Investigations, " 'Home Run' Used To Electronically Hijack World Trade enter Aircraft"/Sianews, "Planes of 911 Exceeded Their Software Limits")。

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そもそも遠隔自動操縦による“テスト飛行”が行われたのは1999年10月31日、アメリカのマサチューセッツ州沖の大西洋に急降下して墜落、乗員・乗客217名全員が死亡したエジプト航空990便(ボーイング767型機)の「事故」がそれであった。表向きは副操縦士が自殺を図って故意に墜落させたことになっているが、真相はそうではない。回収されたコックピット・ヴォイス・レコーダー(CVR)には、パイロットらのアラビア語の会話に交じって、機内の誰ともちがう聞き覚えのない英語で「コントロールせよ」(Control it)/「油圧系」(Hydraulic)という音声記録が残されていた(National Transportation Safety Board, "EgyptAir 990: Cockpit Voice Recorder Transcript")。これは、外部からのアクセスによってFCSが「電子的にハイジャック」され、油圧系統を制御できる遠隔操縦に切り替えられたことを示唆している。その英語の音声があった直後に、機体はコントロール不能となり(コントロールされ)、海面へ突入した。エジプト政府とエジプト航空が自殺説に異を唱えたのも無理はない。その990便にはエジプト軍の上級幹部が多く搭乗していたのだから。折しもその990便に指示を与えていたニューハンプシャー州ナシュア空港の航空交通管制官が、WTCビルに突入した2機の「ハイジャック機」をモニター監視していたのは、偶然ではない(Telegraph, "FAA worker says hijacked jeltiners almost collided before striking World Trade Center")。

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そして事件前月の8月25日には、米空軍のために開発された高精度自動着陸システム(JPALS)によるテスト飛行が、ニューメキシコ州ホロマン空軍基地で民間航空機ボーイング727-200型機を使って実施されていた。JPALSは米軍需大手メーカーのレイセオン社が独自に開発した、全地球測位システム(GPS)ベースの精密プログラムに基づいて航空機を安全に自動着陸させる相対GPS地上局である。レイセオン社のボブ・エッケル副社長は、テスト飛行の成功を「わが社の誇り」と自慢してみせた(Space Daily, "Civil-Military Interoperability For GPS Assisted Aircraft Landings Demonstrated")。

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なお付け加えておけば、ペンタゴン最高財務責任者(CFO)ドヴ・S・ザケイムが1997年から2001年にかけてCEOを務めていたシステム・プランニング社(SPC)は、一度に8機のハイジャック機をオペレータが地上または空中から「ハイジャック」して遠隔自動操縦で安全輸送できる精巧なテクノロジー、「コマンド・トランスミッター・システム」(CTS)および「フライト・ターミネーション・システム」(FTS)をすでに開発している。ザケイムはユダヤ教会のラビで、アメリカとイスラエルの二重国籍を持つシオニスト。前述のPNAC文書『アメリカの防衛再建』のメンバーリストには彼も名を連ねている(System Planning Corproation, "Command Transmitter System"/Truth Seeker, "The Mastermind Behind 911?"/Truth Seeker, "Dov Zakheim and the 9/11 Conspiracy")。
Boeing KC767 Global Tanker | Source: Boeing
Boeing B-1 Bomber | Source: U.S. Air Force

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WTCビルが標的にされた理由の2つめは、地上建造物としてどのビルよりも超高層にそびえて当てやすかったことである。そして驚くべきことに、WTCビルに突入した航空機はいずれも米軍基地から飛び立ち民間航空機に見せかけた無人のダミー機だった。遠隔誘導されたダミー機はビル壁面に照射された誘導用レーザーマーカーの反射光を探知しながら攻撃目標に見事命中、しかも格子状に組んだ頑丈な鋼鉄の外壁パネルを突破する攻略として胴体底部のポッドからミサイルまで発射していた(かねてからボーイング社は民間旅客機をベースにミサイル装備の哨戒爆撃機を製造する準備を進めていた)。ビル壁面に照射されたレーザー光スポットはカメラプラネットやMSNBCのビデオ映像で、またミサイルが発射されたことを示すオレンジ色の閃光は、フランス人カメラマンが撮影した有名な「消防士ビデオ」(消防士に変装した特殊工作員誘導のもと偶然を装って撮影させた)やドイツ・シュピーゲルTVのビデオ映像などで明瞭に確認できる(Prison Planet.com, "Were 'Pod Missiles' Used in the World Trade Center Attack?"/batcave911, "WTC 911 South Tower Plane Video Stills. Flight 175"/Breaking News, "911 Plot Uncovered"- mirror site/Mysteries of 9/11/911 Foreknowledge, "Jules Naudet's 9/11 Film was Staged"/Boeing, "Boeing Flight-Tests B-1 Equipped With New Targeting Pod")。

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2機目の衝突を目撃したFOXニュースリポーターのマーク・バーンバックはこう証言する、「確かに民間旅客機のようには見えなかったし、機体側面に窓がなかった」「空港で見たことのある通常のフライトではなかった」「機体前部に青色のロゴがあり、この辺では見かけない飛行機だった」と(How fortunate for leaders that men do not think, "FOX News reporter Mark Burnback, describing the second World Trade Center impact live")。またNASAドライデン飛行研究センターで航空宇宙プロジェクトのディレクターを任されるなど37年以上の実績がある元NASA上級幹部およびアメリカ航空宇宙学会(AIAA)アソシエート・フェローのドウェイン・A・ディーツはこう考察する、「WTCタワー2号棟に衝突した175便は、ボーイング767-200型機だった。レーダー情報の分析に基づき、米国家運輸安全委員会(NTSB)は510ノットで衝突する直前の対地速度を報告しているが、最大360ノットの運用速度および最大410ノットの急降下速度をはるかに超えていた。私の考えでは可能性は以下のとおり、(1)これは標準の767-200型機ではなかった(2)レーダー情報にいくらか障害が起きた(3)NTSBの分析に誤りがあった(4)767型機は飛行エンヴェロープ(飛行可能な速度・高度の範囲)をはるかに超えて飛び、コントロールが可能で、比較的小さなターゲットに何とか命中した」(Pilots for 9/11 Truth, "NASA Flight Director Confirms 9/11 Aircraft Speed As The 'Elephant In The Room' ")。

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元米空軍大佐ジョージ・F・ネルソンは航空機整備の分野において30年のキャリアを持ち、航空機事故調査委員会メンバーをも歴任したエキスパートであるが、数多くのビデオクリップや写真を精査した上で彼は次の見解を述べた、「南棟タワーにぶつかった飛行機はユナイテッド航空175便ではない」「それは民間旅客機ではなく、替え玉である」と。また、20年以上の熟練パイロット、グレン・スタンディッシュも様々なビデオクリップを観察した結果、その航空機は「胴体の底部に余分な装置が取り付けられているように見えるところから、ユナイテッド航空175便ではありえない」と述べ、やはり20年以上の経験を積んだ定期航空パイロットのニラ・サガデヴィンも、崩壊したWTCビルの現場で見つかったエンジンの写真を検証し、「貿易センターで見つかったエンジンはCFM-56というもので、それはボーイング767型機で使われているものではない。南棟タワーにぶつかったのは175便ではなく、別の航空機とすり替えられたものだ」と答えている(PRWeb, "High Ranking Military Officers and Airline Pilots agree that the South Tower was not hit by Flight 175"/Amics21, "The plane that hit the South Tower was not Flight 175")。
Source: Rob Howard, New York Magazine
Source: Pavel Hlava
Source: Evan Fairbanks
Flash Movie (Google Video) | Source: CameraPlanet
Source: MSNBC
Left: WTC1- QuickTime Movie (questionsquestions, 1.3MB) | Source: NDR/Naudet
Right: WTC2- QuickTime Movie (questionsquestions, 3.6MB) | Source: CNN
Left: WTC1- QuickTime Movie (911blimp, 680KB) | Source: NDR/Naudet
Right: WTC2- QuickTime Movie (questionsquestions, 940KB) | Source: Spiegel TV

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そうなると、実際に就航していたはずの民間航空機はどうなったのかという疑問が残る。これを解くカギはアメリカ運輸統計局(BTS)の「航空機離発着記録」にあった。当局の公式発表によれば、WTCビル1号棟に突入したアメリカン航空11便(ボーイング767-223ER型機、92名)はボストンを出発、ペンタゴンに突入した同航空77便(ボーイング757-223型機、64名)はダレスを出発し、ともにロサンゼルスへ向かったことになっているのだが、実際はどうだったか? 通常11便と77便は定期便として就航しているが、なぜか9月11日だけ記録が抜け落ちて(No data found)運航スケジュールになく、その両機の代わりに臨時便と思われる記録のない航空機がそれぞれ離陸していることがBTSの「航空機離発着記録」 *6 から判明したのである。
*6 2003年11月にこの事実が明るみに出ると、翌年その記録内容が書き換えられ参照できなくなったが、そのオリジナル・データは9/11リサーチャーのジェラルド・ホルムグレンが保持し、Serendipity websiteで確認することができる。

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BTSデータベースによると、事件前日の9月10日、11便と同じ機体登録番号(N334AA)を有するアメリカン航空198便がサン・フランシスコからボストンへ向けて出発したことになっているが、翌11日のデータを確認してみると到着時表示が「0」になっており、198便はボストンに到着していなかった。同じく77便と同じ機体登録番号(N644AA)を有する民間旅客機も、8月と9月、ボストンとダレス、そのどちらともBTSデータベースにリストアップされてなかった(ただし8月終わりから9月初めにかけて77便は機体登録番号N624AAを有することが多く、9月10日は181便としてボストンに就航している)。以上から判断すると、11便と77便は事件当日就航していなかったことになる。通常、破損した航空機は24時間以内に登録が取り消されるが、11便と77便の機体登録番号(N334AA/N644AA)にかぎっては、2002年1月14日に登録が取り消されていた(Brad's Team 8 Plus, "BTS data and tail numbers"/Sydney Indymedia, "What really happened to American Airlines Flights 11 and 77 on Sept 11, 2001"/Serendipity, "Evidence that Flights AA 11 and AA 77 Did Not Exist on September 11, 2001"/Webfairy, "Gerard Holmgren's Sept 11 Writing and Research"/Killtown, "9/11 Hijacking & Military Response Chart")。
Flight 11 from Logan, Boston on the 10th Sept 2001 | Source: BTS
Flight 11 from Logan, Boston on the 11th Sept 2001 | Source: BTS
Flight 77 from Dulles, Washington DC on the 11th Sept 2001 | Source: BTS
Flight 11, N334AA | Source: FAA
Flight 77, N644AA | Source: FAA

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また、2号棟に突入したユナイテッド航空175便(ボーイング767-222型機、65名)はボストンからロサンゼルスへ、ペンシルヴェニア州ピッツバーグ郊外で墜落したユナイテッド航空93便(ボーイング757-222型機、44名)はニューアークからサン・フランシスコへ飛び立ったことになっているが、なぜかBTSデータベースにはどちらも滑走路上で25分〜27分間待機した後、到着地変更(Diversion)になっており、どこへ向かったかは記録に残されていない。では到着地変更された93便と175便はいったいどこへ行ったのか?

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ここに興味深い記事がある(GlobalFreePress, "911: The Cleveland Airport Mystery")。それによると、9月11日午前10時10分に69名の乗客を乗せたデルタ航空1989便が、ついで午前10時45分には200名の乗客を乗せた「謎の旅客機」(Flight X)がオハイオ州クリーヴランド・ホプキンス空港に緊急着陸したという。175便と同じボストン発ロサンゼルス行のデルタ航空1989便は通常の滑走路に着陸したが、なぜか「謎の旅客機」の方は通常の滑走路ではないNASA施設内のまだ計画中だった滑走路に着陸した。午前11時15分、後に到着した「謎の旅客機」の乗客から先に解放され、1989便の乗客は着陸2時間20分後の午後12時30分になってようやく機内から解放された。それから1989便の乗客はFAA空港ビルに移ったが、「謎の旅客機」の乗客らはNASAグレン研究センターへと連れて行かれ、FBIエージェントによるインタヴューを受けている。空港内にいた人たちはただちに帰宅するよう命じられ、自分の車やバスを利用することも禁じられた。マイケル・R・ホワイト市長は記者会見で、「爆発物を積んでいる恐れのあるボストン発ボーイング767型機をクリーヴランド・ホプキンス空港に緊急着陸させた」「空港の安全なエリアに移動し、避難させた」と述べたが、結局爆弾は見つからなかった。AP通信が伝えた記事によると、ユナイテッド航空の見解として「その飛行機は93便と判明」「もう1つのフライト、175便についても深く憂慮している」、つまり93便は安全に着陸し、175便はWTCビル突入から2時間経っても依然行方不明のままだという。だが後になって、この記事は「不正確な事実だった」と撤回、削除された(WCPO-TV, "Plane Lands In Cleveland; Bomb Feared Aboard")。
Sept 10th 2001
Flight 0078 (591UA) arrives in Newark from SFO (San Fransisco) at 6:54 wheel on time
Flight 0507 (591UA) departs Boston Logan for ORD (Chicago) at 7:39 wheel off time

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BTSデータベースによると、事件前日の10日、93便と同じ機体登録番号(N591UA)を有する民間旅客機が2機、同時間帯に存在していたことになっている。1機(78便)はサン・フランシスコからニューアークに午前6時54分到着、もう1機(507便)はボストンからシカゴへ向けて午前7時39分に離陸していた。その日ボストンにN591UAが到着したという記録はなく、ニューアークの方だけ午後7時40分に離陸した記録が残されている(Portland
Indymedia, "Flight 93 (or was it) backtracking tail #'s the 2 591's")。

FLIGHT 11
John Alexander Ogonowski, pilot, apparently STILL ALIVE.
Thomas Francis McGuinness Jr, copilot, apparently STILL ALIVE.
N334AA Serial 22332
Registration: Cancelled/ plane destroyed on 1/14/2002

FLIGHT 77
Charles Frank Burlingame, pilot, DECEASED as of September 11, 2001
David Michael Charlebois, copilot, apparently STILL ALIVE.
N644AA Serial 24602
Registration: Cancelled/ plane destroyed on 1/14/2002

FLIGHT 93
Jason Matthew Dahl, pilot, apparently STILL ALIVE.
Leroy Wilton Homer Jr, copilot, apparently STILL ALIVE.
N591UA Serial 28142
Registration: Valid/ PLANE STILL ABLE TO FLY.

FLIGHT 175
Victor Saracini, pilot, DECEASED as of September 11, 2001
Michael Horrocks, copilot, DECEASED as of September 11, 2001
N612UA Serial 21873
Registration: Valid/ PLANE STILL ABLE TO FLY.

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また、社会保障死亡者索引(SSDI)とFAAデータベースを調べていたTeam 8+メンバーのデュルセ・デコラムは奇妙なことに気付いた。すでに亡くなったはずのパイロットがまだ何人か生存しており、93便と175便の機体登録番号(N591UA/N612UA)と同一の民間旅客機が事件後もずっと運航しているというのだ。その機体登録番号は2005年9月28日まで有効だったが、その後登録抹消された(Democratic
Underground, "The pilots and the planes")。


Flight 93, N591UA | Source: FAA

Flight 175, N612UA | Source: FAA

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これらのデータから読みとれるのは、公式に伝えられている「ハイジャック機」の飛行経路や航空管制レーダー情報には大きな疑問符が付くということである。1973年にペンタゴン入省、2003年まで30年間にわたって米政府に在籍し、テロ対策・安全保障担当の大統領特別補佐官も務めたリチャード・A・クラークは、著書『爆弾証言−すべての敵に向かって』(Simon & Schuster, "Against All Enemies- Inside America's War on Terror" by Richard A. Clarke)の中でこう書き記している、「9/11事件でシークレット・サービスは、FAAのレーダースクリーンをリアルタイムで見ることができた」と。具体的には、マサチューセッツ州クインシーに拠点を置くコンピューター・ソフトウェア企業ピーテック社の開発したバックドア型スパイ・プログラム「プロミス」(Promis)を使えば、FAAのネットワーク・システムに侵入し、見せかけの輝点(False Blips)を誤表示させるなどレーダースクリーンに介入することさえ可能である。この「プロミス」は、ホワイトハウス、シークレット・サービス、米空軍、FAAのシステムに組み込まれ、それらすべてのデータベースにリアルタイムでアクセスできる仕組みになっていた。ピーテック社創設時の投資家の1人、サウジアラビア実業家のヤシン・アル・カディは、米財務省作成の「特別国際指名手配テロリスト」にリストアップされるなどアル・カイダへの資金援助が濃厚に疑われている人物。事件後のインタヴューで彼はこんなことを話している、「私は(サウジアラビアの)ジェッダで、当時国防長官だったチェイニー副大統領と会ったことがある。彼とは長時間話し合った。今でも親密な間柄だ」(From The Wilderness, "PTECH, 9-11, and USA-SAUDI TERROR PART II"/Conspiracy
Planet, "Israel - Mossad- RSA Security & Ptech Run US Govt Computers")。

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なお付け加えておけば、ブッシュの弟マーヴィン・P・ブッシュは1999年から2002年にかけて航空保険引き受け会社HCCインシュランス・ホールディングスの重役を務め、また1993年から2000年にかけてはWTCビル、ワシントンのダレス空港(77便)およびユナイテッド航空の電子セキュリティ・システムを請け負っていたセキュラコム社の重役でもあった。セキュラコム社はその後ストラテセック社に社名変更し、2002年10月アメリカン証券取引所のリストから外れることになるが、その会長兼CEOを務めていたのはハート・D・ウォーカー三世、マーヴィン・ブッシュの従兄弟である。そしてボストンのローガン空港(11便と175便)とニュージャージーのニューアーク空港(93便)のセキュリティ管理を任されていたのが米ハントレー社(モサドのフロント会社)で、その親会社はオランダ・アムステルダムに拠点を置く航空および輸送の警備会社ICTSインターナショナルNVだった。主に2人のイスラエル人によって経営されており、オーナーの1人はメナヘム・J・アツモン。かつて彼はイスラエルのアリエール・シャロン首相やベンヤミン・ネタニヤフ元首相らの右派リクード党に資金援助していたイスラエル開発基金(IDF)の社長を務め、1996年違法な資金調達により有罪判決を受けていた。そしてもう1人は、モサド共同創設者および秘密警察シン・ベト初代長官のイッサー・ハレルと同じ名を冠するエズラ・ハレル。ICTS職員にモサドやシン・ベトの元担当官が多いのはその縁故か。主要なビジネス・パートナーには、IDFのスティーヴン・L・フリードマンや、米化粧品会社エスティ・ローダー会長で世界ユダヤ人会議(WJC)やユダヤ民族基金(JNF)などシオニストとしても精力的に活動するロナルド・S・ローダーらがいる(Common Dreams, "Bush-Linked Company Handled Security for the WTC, Dulles and United"/Truth Seeker, "All 911 Airports Serviced by Same Security Firm"/SF Indymedia, "Illegal U.S. Funding of Sharon's Likud"/Information Clearing House, " 'Frauds-R-Us' The Bush Family Saga")。
F15-MPEG Movie (AttackOnAmerica.net, 1.8MB) | Source: FOX News
JASSM | Source: Federation of American Scientists

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今回の軍事テロ作戦では、マサチューセッツ州オーティス空軍基地から2機編成のF-15戦闘機が飛び立ち、WTCビルへ向かう航空機をしっかり追尾していた。むろんビルに衝突するのを阻止するためではなく、万一突入に失敗したケースを想定し、不時着機をステルス巡航ミサイルJASSM(AGM-158 Joint Air to Surface Standoff Missile)で爆撃するつもりだった。もっともNORADは公式見解として「175便が突入したときF-15戦闘機はまだWTCビルから8分もしくは71マイル(114キロメートル)離れたところに位置していた」と主張するが、175便の突入直後にF-15戦闘機が横切る姿をFOXニュースの映像が捉えている。そして予定どおり航空機がビルに衝突したあとは、爆弾処理班によって事前に仕掛けられた軍用高性能プラスチック爆薬(C4)および軍用高性能テルミット爆薬(TH3)を外部からの無線遠隔操作で制御発破させる手筈になっていた。WTCビル2号棟97階にある投資顧問会社フィデュシャリー・トラストのオフィスに勤務していたスコット・フォーブスの証言によれば、事件直前の9月8日から9日の週末にかけて、WTCビルのコンピューター帯域幅を増加させるための「情報通信配線改修工事」が、ニューヨーク州港湾管理局の通達により実施されていたという。改修工事に先立つ9月5日には爆弾探知犬が引き上げられ、工事の間ビル上層階は前例のない36時間もの電力供給停止措置がとられた。停電によってドアのセキュリティ・ロックや監視カメラシステム、ID管理システム、上層階へのエレベーター稼働はパワーダウンとなり、その間ふだん見かけたことのない「つなぎ服姿のよそ者たち」が建設ギアや道具箱などを運び込んで自由に出入りしていた、とフォーブスは述懐する(Prison Planet.com, "Another Ignored 9/11 Clue: Bomb Sniffing Dogs Removed From WTC Days Before Attack"/Global Research, "Pre-9/11 World Trade Center Power-Down"/Killtown, "Scott Forbes Interview")。このWTCビルはセキュラコム社が830万ドルを拠出して1996年から2000年にかけて新しい電子セキュリティ・システムを導入、また事件当日ACEエレベーター社による「近代化プログラム」システム移行のため、83人のエレベーター整備士たちが現場に入っていたが、ビル崩壊前には撤退していた(Elevator World, "Drive to the Top"/USA Today, "Mechanics left towers before buildings collapsed")。そして事件後、監視カメラのビデオテープやメンテナンス記録はすべて行方不明となった(AP, "WTC surveillance tapes feared missing")。

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WTCビルの「制御解体」はほぼ計画どおりに実行された。まず地下にあるエレベーター・シャフトの底部から発破をかけて土台を脆弱にし、ついで主体構造であるセンターコアを指向性爆薬で完全に骨抜きにする。あとは上層階から数階おきに順次発破、そのままビルの質量をうまく利用して自重崩落へと至らせた。要はWTCビルの構造メカニズムを知りつくした上で効率的に倒壊させたわけである。全倒壊させてしまえば、爆破した証拠も後に残らないで済む。ただ想定外だったのは、WTC2号棟に衝突した航空機が中心よりも右側に逸れてしまったため、ジェット燃料の大半が大気中へばらまかれ、先に衝突した1号棟よりも早く火が消えかかっていたことだった。それでやむをえず急きょ計画を変更して、2号棟の方から先に倒壊させることにしたわけだ。おまけに、爆破によって230フィート(70メートル)も「水平方向へ」重力に抗って勢いよく吹き飛んでいった鋼鉄部材やコンクリート塊、最大600フィート(180メートル)も「水平方向へ」吹き飛んでビルに埋まった何トンもの大量の鋼鉄の破片、下層階の至るところからフライングで噴き出した爆煙が写真や映像にしっかり撮られてしまったことも大きな誤算だった。手がかりとなる痕跡を残す愚を犯したのだから…(Prison Planet.tv, "Strategic Explosives In The Twin Towers: The Evidence"/911 We Know, "9/11 Mysteries" Flash Movie)。
Left: WTC1- QuickTime Movie (250KB) | Source: CBS
Right: WTC1 | Source: Richard Lethin
Left: WTC2- MPEG Movie (9-11 Research, 4.4MB)| Source: Unoriginal.co.uk
Right: WTC2- MPEG Movie (820KB) | Source: FOX News
WTC2- MPEG Movie (9-11 Research, 4.9MB) | Source: ABC

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事実、仕掛けられた爆弾による爆破を裏付ける有力な証言がある。WTCビルに15年勤務している大工のマルレーネ・クルズは、WTC1号棟の地下で起きた爆発のせいでニューヨーク市ベルヴュー病院に担ぎ込まれた最初の負傷者であるが、ABCニュースの顔として知られるピーター・C・ジェニングスのインタヴューを受けた際、貨物エレベーターで移動中に爆発が起きてドアが吹っ飛び、降下していったが階と階の間で停止して運良く助かったと証言した。またWTCビルで定置機関運転技師として勤務するマイク・ペコラーロと同僚らは1号棟の地下にいた時に爆発音のあと部屋中白煙が立ちこめていったと証言、彼らの職場である地下の機械工場は完全に破壊されて瓦礫となり、約300ポンドはある鋼鉄とコンクリートでできた防火扉までがアルミホイルのようにひしゃげて床に倒れているのを目撃し、爆弾がビル内部で爆発したと確信を持った。またWTC1号棟の地下4階で保守管理要員として働いていたホセ・サンチェスは、航空機がぶつかるのと同時に地下で爆弾のような爆発がしたのを聞き「ビルの中で爆弾が爆発したぞ」と叫んだのを覚えていて、貨物エレベーターから噴き出した火の玉で自分の髪が焼け、救助した同僚も足を負傷したという。同じく保守管理要員としてWTC1号棟地下1階の事務所にいたウィリアム・ロドリゲス(=写真 William Rodriguez's Website)も「航空機がぶつかる直前に地下でものすごい爆発音を聞いた」と話し、居合わせた職場の同僚14人とも皆そう感じたという。最後の生還者でもあったロドリゲスは、独力で15人を救助したことによりホワイトハウスからその英雄行為を称えられ、故国プエルト・リコからは「国民の英雄」なる称号も受けているが、9/11調査委員会で先の爆弾証言を行うと一転して無視され、最終報告書にそれが記載されることはなかった。「亡くなった犠牲者、愛する人を失った家族のために、真実がつまびらかにされるまでずっと語り続けていく」、そう彼は決心を固めた。そして事件から3年後の2004年10月22日、ロドリゲスは米政府を「組織犯罪処罰法(RICO法)」違反で提訴した(Arctic Beacon, "Second WTC Janitor Comes Forward With Eye-Witness Testimony Of 'Bomb-Like' Explosion in North Tower Basement"/Idaho Observer, "Official 9/11 story crumbling under foundational eyewitness testimony"/Chief Engineers, "We Will Not Forget"/Aftermath News, "New Eyewitness To WTC Basement Level Explosions"/Conservative Voice, "William Rodriguez, a 9-11 Survivor"/911FortheTruth, "RICO - Rodriguez vs. Bush")。

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実際のところ、現場へ駆けつけたニューヨーク市消防局(FDNY)スタッフの間でも爆弾によるビル爆破の報告は相次いでいた。その1人、ハーレム地区第47団消防隊のルイ・カッチオーリ消防士はこう話す、「私たちは飛行機が突入したあと最初にWTC2号棟に入っていきました。働いている人たちを避難させる指揮に当たるためエレベーターで24階に上がり、仕事にとりかかろうとした矢先に爆弾が爆発したのです。ビルに爆弾が仕掛けられていたと私たちは思っています」。ちなみに前出のロドリゲスもWTC1号棟の20階から34階の間で爆発音を何度も聞いている。また事件当日収録されたビデオで、現場の消防士は「ビルに爆弾が仕掛けられているぞ。引き上げろ」と叫び、別のFDNYスタッフも「何人かを救出しようとしていた時に2次爆発があり、その結果倒壊した」とコメントしている。FDNY安全局長アルバート・チュリは「2次装置の1つはビルの中に、もう1つはタワーに衝突した飛行機の中にあったかもしれない」「それらの2次爆発であまりにも多くの人が亡くなった」と報告し、消防司令補エヴァンジェリスタと消防コミッショナー補佐スティーヴン・グレゴリーはともに「ビルが倒壊する前に2号棟の低層階で複数の閃光が瞬くのを目撃した」「その閃光はビルを爆破する時に見るようなものだった」と答え、緊急医療隊(EMS)隊長カリン・デショアは「WTCビルの中層階あたりでオレンジと赤色の閃光が瞬き、最初は1つだったのがビルの端から端まで閃光が弾けていき、爆発が始まった」「爆発はますます大きくなり、ビルの上下からやがて全体へと広がっていった」と発言している。これら「爆発音を耳にした」「閃光を目撃した」という重要な証言は、WTCビルから脱出した生存者をはじめ、警察官、消防士、TVリポーターなど数多くの目撃者が現場で報告していたにもかかわらず、主流メディアは事件翌日から報道管制を敷いて封印、9/11調査委員会の最終報告書にも一切取り上げられることなく事実上無視された(People, "NY Fireman: There were 'BOMBS IN THE BUILDING!' "/911blimp, "FDNY collapse survivors"- QuickTime Movie/911blimp, "FDNY man says 'explosions' "- QuickTime Movie/Prison Planet.com, "NBC: FDNY Chief of Safety Reported Bombs Both Within the Towers and on the Planes on 9/11"/SF Gate, "World Trade Center Task Force Interview"- PDF Document/Prison Planet.com, "CBS News Channel Eyewitness Describes 'Secondary Explosions' in the WTC"/American Free Press, "Some Survivors Say 'Bombs Exploded Inside WTC' "/911 Review, "Witnesses to the Towers' Explosions"/Medium Records, "Explosion Sounds and the World Trade Center - Twin Tower Collapse"/PlaguePuppy's Caf, "First-hand Accounts of Underground Explosions In The North Tower"/What Really Happened, "Eyewitness Reports Of Explosions Before WTC Collapses"/What Really Happened, "Evidence of Demolition Charges In WTC 2")。

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ことに興味深いのは、ニューヨーク州コロンビア大学のラモント・ドハーティ地球観測所(LDEO)の地震計が示す観測記録である(Original Record)。地震計は、WTC1号棟に航空機が突入した午前8時46分40秒(公式記録)の14秒前にあたる午前8時46分26秒(マグニチュード0.9)と、2号棟に航空機が突入した午前9時03分11秒(公式記録)の17秒前にあたる午前9時02分54秒(マグニチュード0.7)にそれぞれ振動が記録されている。また、午前9時59分04秒(マグニチュード2.1)と午前10時28分31秒(マグニチュード2.3)には地震波のピークが記録されており、前者は2号棟が、後者は1号棟が「崩れ始めた時」、つまりビル自体の崩落が地面を打つ寸前に最大エネルギーのスパイクが地面に入った瞬間を示している。これらの説明できない地震データは、WTCビルの倒壊が爆破によって引き起こされたということを実証的に裏付けるものである(American Free Press, "New Seismic Data Refutes Official Explanation")。

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先のロドリゲスの証言が一向に無視されたのも無理からぬことだった。なぜなら9/11調査委員会 *7 こそ、むしろ調査が必要とされる真相隠蔽のための組織だったからである。サウスダコタ州選出の民主党リーダー、トーマス・ダシュル上院院内総務が2002年5月、NBCの討論番組『ミート・ザ・プレス』の中で「チェイニーからは1月24日に電話で、ブッシュからは1月28日にホワイトハウスの朝食会で、9/11の調査をしないよう頼まれた」と暴露したように、ブッシュ政権は調査委員会の発足を阻止しようと威圧・妨害を計ったが、9/11遺族運営委員会の強い要請に抗しきれず、事件の1年2か月後にようやくヒアリングが開かれたという経緯がまずある(CBS News, "Bush Opposes 9/11 Query Panel"/Mike Hersh.com, "Bush and Cheney Block 9-11 Investigation")。そしてこの調査委員会の事務局長になったフィリップ・D・ゼリコウというのがまた曰く付きの人物で、第一次ブッシュ政権誕生と同時に国家安全保障会議(NSC)政権移行チームのメンバーとして、9/11事件後にはホワイトハウスの大統領外交諜報諮問会議(PFIAB)に属するなど政権中枢に身を置き、「イラク侵攻の主たる理由は、中東の信頼できる同盟国イスラエルに対する脅威を取り除くことにある」という見解の持ち主だった(IPS, "IRAQ: War Launched to Protect Israel - Bush Adviser")。2002年9月の「先制攻撃ドクトリン」(Bush Doctrine)および9/11調査報告書の両草案を手がけ、「目付役」として調査委員会をコントロールしていたのがこのゼリコウだったわけだが、ニューヨーク・タイムズのワシントン支局記者フィリップ・シェノンが出した告発本『委員会:9/11調査の検閲されざる歴史』(Twelve, "The Commission: The Uncensored History of the 9/11 Investigation" by Philip Shenon)によると、9/11調査報告書の作成にあたってゼリコウは、コンドリーザ・ライス国家安全保障担当大統領補佐官(ゼリコウとは共著書もある旧知の仲)やカール・ローヴらと連絡を密に取り、ブッシュ政権の責任が問われないよう水面下で画策していたという。その疑惑の人物ゼリコウを筆頭に、トーマス・H・キーン委員長とリー・H・ハミルトン副委員長を含め、実に委員の約半数はデイヴィッド・ロックフェラーが名誉会長の米シンクタンク・外交問題評議会(CFR)メンバーであり、ことにキーン委員長は、アル・カイダに資金援助を行っているオサマの義兄カリド・ビン・マフーズとかつて石油ビジネスでパートナーを結んでいた。だから調査の結論はその顔ぶれを見れば出来レースも当然だったのである、かつてケネディ大統領暗殺事件でウォーレン委員会が幕引きを図ったように…(Scoop, "UQ Wire: Who's Who on the 9/11 Commission"/Scoop, "9-11 Inquiry Chair Tied To Osama's Brother In Law"/Global Research, "The 9-11 Cover-up Commission")。
*7 9/11調査委員会の委員長には当初ヘンリー・キッシンジャーの就任が決まっていた。しかし議会がそれに強く反発、彼が代表となっている国際コンサルタント会社キッシンジャー・アソシエーツの顧客名簿提出を要求したところ、頑としてそれに応じようとせず、わずか2週間余で降板するに至った。キッシンジャーもCFRメンバーの1人。
TRAC Team "Behind-the-Scenes: Ground Zero" Book Cover

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では火災にも衝撃にも耐える構造を持つはずのブラックボックスがいまだに公表されていないのはなぜか? 公式の報告では「発見できなかった」とされるWTCビルのブラックボックス、すなわちフライト・データ・レコーダー(FDR)とコックピット・ヴォイス・レコーダー(CVR)は、4つあるうちの3つが、実はFBIとニューヨーク消防隊員らの捜索活動によって2001年10月、崩壊したWTCビルの瓦礫から見つかっていた(Philadelphia Daily News, "2 say they found 9/11 'black boxes' ")。しかしFBIエージェントは2人の消防隊員マイク・ベロンとニコラス・デマージに「口外するな」と箝口令を敷き、結局ブラックボックス回収が公表されることはなかった。FBIとFDNYのスポークスマンはいずれも回収を否定、9/11調査委員会の報告書も「アメリカン航空11便とユナイテッド航空175便のCVRおよびFDRは見つからなかった」と結論づけた。だがデマージは、その後出版された追悼記録文集『舞台裏:グラウンド・ゼロ』(TRAC Team, "Behind-the-Scenes: Ground Zero")の手記ではっきりとそれを証言した(Summer of Truth, "Firefighter Said Black Boxes Were Found at Ground Zero")。

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ではいったいなぜFBIは公表に二の足を踏んだのか? むろん公表されるとまずいことがあったからにほかならない。彼らには分かっていた、回収されたブラックボックスには何も記録が残されていなかったということが。なぜなら外部からの遠隔操縦コードが働くと、緊急事態を伝えるトランスポンダー(CODE 7700)のスコーク発信は遮断されてしまい、CVRへの電源も切れ、データは空白となる仕組みだからである。NTSBの公式見解によれば、ブラックボックスはWTCビル倒壊にも十分持ちこたえられる状態にあるはずだという。またNTSBのスポークスマン、テッド・ロパトキェヴィチは「レコーダーが回収できなかったことはきわめて稀なことだ」「これまで見つけられなかったという他のケースについては記憶にもない」とコメントしている(American Free Press, "Black Box Cover-Up"/Arctic Beacon, "FBI Tells 911 Rescue Worker to 'Shut Up' Over Finding Airplane "Black Boxes.")。

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この他にも倒壊したWTCビルの残骸、とりわけ鋼鉄製の中心支柱47本と周辺梁240本は重要な物的証拠として見逃すことはできない。本来なら現場の保存および証拠物保全に努めなくてはならないそれらの建築資材が、わずか数時間後には現場から手際よく撤去されていき、あるいは計略的に盗まれ、まるでスクラップ同然にスタテン島のゴミ埋め立て処分場やリサイクル工場へと散財していった。つまりは瓦礫や残骸から爆薬による痕跡、硝煙反応(亜硝酸塩)が検出されたりしないよう、証拠保全・現場検証は怠りなくないがしろにされたわけである。そんな芸当ができるのも何のことはない、WTCビル爆破と瓦礫撤去の“マッチポンプ”を請け負っていたのが、オクラホマ連邦政府庁舎ビル爆破事件(1995年4月19日)にも絡んでいたコントロールド・デモリション社(CDI)という高層ビル爆破解体の専門会社で、オクラホマでも同様の手口で証拠隠滅を図るなど、まさしく名は体を表すとおり「計算どおりの解体」… になるはずだったが、ビル爆破解体のエキスパート、マーク・ロイゾーCDI社長は事件後に現場を視察し、アメリカン・フリー・プレスのインタヴューに応じる形で意味深長なコメントをいくつか残している、「(地下7階にあるメインタワーのエレベーター・シャフト底部で)熔鋼による高温のスポットが見つかった」(American Free Press, "AFP asked Loizeaux about the report of molten steel on the site. 'Yes', he said, 'hot spots of molten steel in the basements.' These incredibly hot areas were found 'at the bottoms of the elevator shafts of the main towers, down seven [basement] levels,' ")、「WTC7号棟でも熔鋼が発見された」(American Free Press, ibid., "He said molten steel was also found at 7 WTC, which collapsed mysteriously in the late afternoon.")、「もし私がタワーを倒壊させようとしたら、ビルの重さを利用して構造物を破壊させるため地下(基底部)に爆弾を仕掛けるだろう」(American Free Press, ibid., "If I were to bring the towers down, I would put explosives in the basement to get the weight of the building to help collapse the structure." by Mark Loizeaux)。

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このロイゾー社長の発言でとりわけ重要なのは、WTCビルのメインタワーはもとより、航空機がまったく突入してもいない7号棟の地下においても熔鋼が観察されていた点である。英国構造技術者協会(IStructE)の最高責任者キース・イートン博士は機関誌『Structural Engineer』(2002年9月3日号)の中で、「事件の数週間後になってもまだ赤く熱せられた熔鋼から厚さ4インチ(10センチ)の鋼鉄が大惨事で剪断され折れ曲がったものまでおよぶ、数多くの興味深いスライドを現場視察の時に見せてもらった」と書き記している(Structural Engineer, "ranging from molten metal which was still red hot weeks after the event, to 4-inch thick steel plates sheared and bent in the disaster" by Dr Keith Eaton)。またWTCビルの構造設計を担当したエンジニア、レスリー・E・ロバートソンの報告においても、「崩落後21日経過しても火は燃え続け、鋼鉄はまだ熔融していた」とある(SEAUNews, "As of 21 days after the attack, the fires were still burning and molten steel was still running." by Leslie E. Robertson- PDF Document)。これら3つのビル地下(基底部)で発見された熔鋼に関して、米連邦危機管理庁(FEMA)、米国立標準技術研究所(NIST)、9/11調査委員会のいずれもが言及すらしていない。
Source: CameraPlanet
Source: HBO
Source: Frank Silecchia

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ニューヨーク&ニュージャージ州港湾管理局のコンストラクション・マネージャー、フランク・A・ディマティーニはWTCビル倒壊の犠牲となり亡くなったが、2001年1月25日にビデオ収録された生前のインタヴューで、「WTCビルは、燃料を満載したボーイング707型機が衝突したとしても持ちこたえるように想定して設計されている。それは当時としては最大の旅客機だった。おそらく複数のジェット旅客機の衝撃にも耐えうると私は信じている。なぜならこの構造は、強度のある格子状になった網戸の防虫ネットに似ていて、さしずめジェット機はその防虫ネットに突き刺した鉛筆のようなもので、防虫ネットにはさほど影響がない」と語っていた(Prison Planet.com, "WTC Construction Manager: Towers Were Designed to Take Numerous Plane Crashes")。

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また先のレスリー・ロバートソンも、1966年当時最大の旅客機だったボーイング707型機がぶつかったとしてもその衝撃を吸収し耐えられるようにタワーは設計されており、それより大きい767型機でさえ持ちこたえることができた、と話している。ただし、鋼鉄を脆弱させ壮大な建造物を破壊させるほどの何千ガロンものジェット燃料の猛火に対処できる高層ビルは経済的・機能的に実現不可能だったとも付け加えた(MSNBC, "Painful and Horrible")。そしてこんな感想すら漏らしている、「ビルを壊す時にダイナマイトを仕掛け、コンピューター・コントロールして壊すのをテレビで見ることがあります。ビルが真っすぐ下に壊れていくのですが、今回はそれに似ています。あまりにも似ているので、爆薬を仕掛けられたのではという話も出たくらいです。しかし、あれだけすべてが壊れることがあるのでしょうか?」。

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米国建築家協会(AIA)に所属し、サン・フランシスコのベイエリアで20年以上にわたり鉄鋼ビルの構造設計を手がけてきた建築士リチャード・ゲイジ(=写真)は、2008年11月7日スペインのマドリッド建築学校で行った講演で、「鋼鉄製の建造物が支柱の破壊なしに自由落下速度で崩落することなどありえない」「タワーの突発的で自然発生的な崩壊は、制御解体でなければ不可能」「支柱は400メートルも離れたところで見つかり、人骨のかけらは隣接するビルの屋上から出てきた」「単純な崩壊なら、鋼鉄の高い山が築かれてしかるべきだ」と話した。「WTCビルが制御解体によって崩落したことを示す議論の余地のない証拠が山ほどある」、そう主張するゲイジをスペインの大手TV局テレシンコは興味深く取材し、全国ネットのニュース番組で彼のコメントと証拠の一端を取り上げて報じた(Architects & Engineers for 9/11 Truth, "Richard Gage, AIA on Madrid TV"/911Blogger.com, "(Spain) Richard Gage, AIA - on nationwide TV in Madrid")。

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ペンシルヴェニア州ドイルスタウンにある爆破解体業協会(NADC)の事務局長マイケル・R・テイラーは、「WTCタワーの崩壊は典型的な制御解体のように見えた」と述べ(New Scientist, "Design choice for towers saved lives")、やはり同じ爆発物のエキスパートでビル・飛行機・その他の建造物の爆破影響を研究しているニューメキシコ鉱山技術研究所の副所長ヴァン・ロメロも、自分の意見はビデオテープをベースにした判断だがと前置きした上でこう語っている、「航空機がWTCビルに突入した後、ビルの中にあった爆破装置が両タワーの崩壊を引き起こした」「航空機が突入して起きた偶然の結果というには、建物の崩壊があまりにも秩序立っていた」「古い建物を取り壊す時に使われる制御された内破に似ている」「もし爆発がタワーの倒壊を引き起こしたとすれば、重要なポイントは、比較的少量の爆発物を仕掛ければ倒壊させることができる」と(Albuquerque Journal, " 'Explosives Planted In Towers,' New Mexico Tech Expert Says.")。だがそれから10日後、ロメロは「ビル崩落の原因が火災であるのは明らか」と急にトーンダウンした(Albuquerque Journal, "Fire, Not Extra Explosives, Doomed Buildings, Expert Says.")。

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それと歩調を合わせるかのようにFEMAは2002年、WTCビル倒壊の原因は航空燃料の引火した高温熱が鋼鉄の強度を脆弱化させ、過重に耐えられなくなって熱圧壊したという「トラス崩壊理論」(Truss Failure Theory)なるものを公式見解として報告。しかしこの理論にはすでに批判も出ている(Vancouver Indymedia, "The World Trade Center Collapse Hoax 'The Truss Theory' ")。たとえば125年の由緒ある消火技術専門誌『ファイア・エンジニアリング』は、FEMAの公式調査を「いいかげんな茶番劇」(Half-Baked Farce)と一蹴、「今回のWTCビル倒壊には問われなくてはならない非常に多くの疑問点が残っている」「いくつかの疑問は政治的なもので、いくつかは技術的なもの、その他は哲学的なものだ」「航空機のジェット燃料による爆発的な火災でツインタワーが倒壊した、とするだけでは説明は不十分」「耐火性のある鋼材がなぜWTCビルでうまく機能しなかったのか、もっと包括的で詳細な調査を行うべきだ」とFEMAに対して要求している(Fire Engineering, "WTC 'Investigation'?: A Call to Action")。またニューヨーク・タイムズ(2002年4月8日)は、WTC倒壊原因について新たな疑惑を報道。コンピューター・シミュレーションではなく、実地テストとして建築資材の熱抵抗試験を熔鉱炉で行った結果、鉄骨柱もコンクリートの天井も2000F(1093C)の高温域に耐えられるものであったという(New York Times, "Towers' Collapse Raises New Doubts About Fire Tests")。その後NISTが行った調査によって、この「トラス崩壊理論」では床梁トラスの連鎖崩壊もコア支柱群の破壊も説明できないとして支持されず、理論自体が脆くも崩壊した。

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電気や火災の危険に対して製品を試験する目的で設立された、世界で最も古く権威のある安全試験および製品検定証明機関のアンダーライターズ・ラボラトリーズ(UL)は広く「UL規格」で知られ、その耐火規格は世界的な安全基準のスタンダードとなっているが、そのULでWTCビルに使われている建築鋼材を検査・認証した当のケヴィン・R・ライアンは、NISTのフランク・ゲイル所長に対して文書で異議を申し立てている、「2000Fにもなる航空燃料の火災がWTCビルを崩壊させたというが、耐火性のない鋼材ですら3000F近い高温に達するまで熔けなかったほどだ」「WTCビルの鋼材は航空燃料の火災に十分耐えられるものであり、2000Fの環境にさらされたサンプルでの耐火試験ASTM E-119にも合格している」「構造用鋼が柔らかくなったか熔けたかのいずれにせよ、ジェット燃料の火災でWTCビルが崩壊するなんてことには合意できない」(911Truth.org, "UL Executive Speaks Out on WTC Study"/Boston Globe, "Steel type in WTC met standards, group says")。もっともライアンの内部告発は当のULによってすぐさま否定された、「もともと彼はその仕事には就いておらず、NISTの要請でテストを委託されているUL防火部署とも関係していなかった」と。ULはWTCビルを調査しているNISTを全面的に支持すると表明、ライアンは庇護されることなく突然解雇された。
Source: FEMA

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しかし興味深いと思われるのは、NISTのWTC首席調査官シャイアム・サンダーが「ジェット燃料はおそらく10分以内に燃え尽きた」と発言している点である(Firehouse.com News, "A Look Inside a Radical New Theory of the WTC Collapse")。FEMAの見解によれば、航空機が突入したフロアはジェット燃料による火災によって鋼鉄が脆弱になるほど高温高熱に達していたとされている。そんな“灼熱地獄”の中、WTC1号棟の航空機突入口にたたずんで助けを求めている1人の女性エドナ・シントロン(=写真)の姿を現場写真で確認することができる。また、WTC2号棟の航空機突入口78階にたどり着いたFDNY消防大隊長オリオ・J・パルマーは、ビル崩落直前の午前9時52分、息切れした声でこんな無線連絡を入れていた、「火災が2か所まばらに出ている。(消火ホース)2本で退治できそうだ」(The Memory Hole, "We've got two isolated pockets of fire. We should be able to knock it down with two lines." by Orio J. Palmer- MP3 Audio)。

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結論から言えば、ジェット燃料は燃焼するのが早く、酸素不足のためにわずか数分間で燃え尽きたため、ビルの構造部分に深刻なダメージを与えることはなかった。酸素が十分にある状態でジェット燃料が燃焼した場合でも最高温度は1800F(982C)、まして標準的な構造用鋼の熔解温度である2750F(1510C)には遠くおよばない。また火災自体もっとも発熱の度合いが低い(Diffuse Flame)ものであったことは、多量の黒煙発生から証明されうる。その不完全燃焼を起こした状態にあってはせいぜい1300F(704C)が限度である。ジェット燃料の火災によってビル倒壊が引き起こされたとする仮説がいかに不合理なものであるか、はからずもシントロンとパルマーの存在がそれを教えてくれたというわけだ。仮説は、それが追試・検証される中で再現されてこそ有効性を持つ(GlobalFreePress, "New NIST WTC Fire Test didn't provide clear answers")。もし今後も超高層ビル火災で同様の現象が起きるのであれば、救助や消火活動を行う消防士にとってはたまったものではないだろう。

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9月11日を機に、権力の走狗たる御用学者たちはローテクな試験結果よりもハイテクな計算シミュレーション解析の結果を支持する側に回った。だがそうではない独立した研究者も少なからずいる。米ブリガム・ヤング大学の物理学教授スティーヴン・E・ジョーンズ(専門は核融合および太陽エネルギー=写真)は、「爆発物が3棟すべてのビルにあらかじめ仕掛けられていたのはしごく理にかなっている」として、根拠を示した研究論文を発表した(Journal of 9-11 Studies, "Why Indeed Did the WTC Buildings Collapse?"- PDF Document 邦訳はD Spectator, 『本当はなぜWTCビルが崩壊したのか?』)。

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「9/11の真相をめぐっては“似非科学”(Junk Science)の陰謀説なるものまであったが、しかし爆発物による制御解体仮説については再現テストと節約原理をより良く満たしており、ゆえに“ジャンク・サイエンス”として退けることはできない」「政治的な意向や制約によらない、真に独立した、国際的に組織された委員会のもとで、観察結果と計算に基づいた科学的な調査による結論が導き出されるべきである」と彼は反論する。ジョーンズ博士は2005年9月22日、ブリガム・ヤング大学のセミナーで約60人の教官や専門家らを前にこの異論を発表、議論は約2時間にわたって活発に行われた。彼の主張に対してただ1人だけが賛同を示さなかったものの、翌日にはその反対者もさらなる調査が必要であることに同意した *8 (Deseret Morning News, "Y. professor thinks bombs, not planes, toppled WTC"/MSNBC, "Questioning what happened on 9-11"- Flash Movie)。
*8 ブリガム・ヤング大学は2005年11月、ジョーンズ博士の仮説と解釈を疑問視するステートメントを正式に発表。2006年9月7日、ジョーンズ博士は大学当局から「有給休暇」の勧告を受け休職扱いとなり、翌10月20日退職するに至った。

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そのジョーンズ博士を筆頭に、総勢150名以上の錚々たるメンバーをしたがえて「9/11の真実を求める学者たち」(Scholars for 9/11 Truth)なる組織が結成される運びとなり、「米政府の公式報告はまったくのデタラメである」と訴えた(Scholars for 9/11 Truth, "Experts Claim Official 9-11 Story is a Hoax")。主要なメンバーは、共同創設者のミネソタ・ダラス大学哲学科名誉教授ジェームズ・H・フェッツァーをはじめ、第一期ブッシュ政権の労働省首席エコノミストだったモーガン・レイノルズ、米「スター・ウォーズ」宇宙防衛計画の元ディレクターで元米空軍中佐のロバート・M・ボウマン、元ドイツ国防副長官および元ドイツ科学技術大臣アンドレアス・フォン・ビューロー、元米海軍情報将校および元米国防総省国家安全保障局(NSA)諜報部員ウェイン・マドセン、元米海軍諜報部員ケニヨン・ギブソン、カナダ・グウェルフ大学哲学科教授およびカナダ王立協会フェローのジョン・マクマートリー、西オンタリオ大学コンピューター・サイエンス科名誉教授および数学者・環境科学者のA・K・デュードニー、『ニュー・パールハーバー』『9/11調査委員会の報告書:省略と歪曲』の著者で米クレアモント神学大学および同大学院教授のデイヴィッド・レイ・グリフィンら。

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これ以降、9/11の真実を求めるグループはより多彩な広がりを見せている──「9/11の真実を求める建築家とエンジニアたち」(Architects and Engineers for 9/11 Truth)、「9/11の真実を求める消防士たち」(Firefighters for 9/11 Truth)、「9/11の真実を求める法律家たち」(Lawyers for 9/11 Truth)、「9/11の真実を求める医療専門家たち」(Medical Professionals for 9/11 Truth)、「9/11の真実を求めるパイロットたち」(Pilots for 9/11 Truth)、「9/11の真実を求める政治指導者たち」(Political Leaders for 9/11 Truth)、「9/11の真実を求める宗教指導者たち」(Religious Leaders for 9/11 Truth)、「9/11の真実を求める退役軍人たち」(Veterans for 911 Truth)など、ムーヴメントとしてもはや留まることを知らない。
WTC Dust Particle | Source: Dainin's Photostream

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さてその後のジョーンズ博士であるが、方向性の相違からフェッツァーとはたもとを分かち、2006年12月「9/11の真実を求める学者たち」を脱退している。翌2007年1月に、NISTに喧嘩を売ってULを首になった化学者ケヴィン・ライアンらと「9/11の真実と正義を求める学者たち」(Scholars for 9/11 Truth & Justice)を新たに結成。2009年4月、デンマーク・コペンハーゲン大学化学科との提携で『9/11世界貿易センター大惨事の粉塵から活性テルミット物質を発見』と題した衝撃的な研究論文を発表した(The Open Chemical Physics Journal, Vol 2. pp.7-31, "Active Thermitic Material Discovered in Dust from the 9/11 World Trade Center Catastrophe"- PDF Document 邦訳はD Spectator, 抄録『9/11の世界貿易センター大惨事での粉塵中に発見された活性テルミット剤』)。WTCビルの粉塵サンプルを光学顕微鏡法、走査電子顕微鏡(SEM)、X線エネルギー分散型分光法(XEDS)、示差走査熱量測定(DSC)を用いて分析した結果、含有される赤/グレーの2層チップから軍用テルミット(ナノ・テルミット)にきわめて近い爆発力のある活性テルミット物質が見つかったことで、WTCビルの制御倒壊を裏付ける決定的な証拠に結びついたのである。2009年4月6日、デンマークのテレビチャンネルTV2がこれをニュースとして報道、その中でコペンハーゲン大学化学科の准教授ニールス・H・ハリット博士は「WTCビルの瓦礫からナノ・テルミットを見つけました」「(WTCビルの崩壊は)爆発物によるものです」「私たちの出した結論が技術的な証拠として(9/11テロ攻撃の正式な犯罪捜査に)採用されることを願っています」と答えた(911truth.org, "9/11 Media Breakthrough in Denmark")。共著者の1人ライアンによれば、ナノ・テルミットはローレンス・リヴァモア国立研究所で米政府の科学者たちによって開発され、同研究所でのテストおよび評価にはNISTも参画していたという(Journal of 9/11 Studies, "The Top Ten Connections Between NIST and Nano-Thermites"- PDF Document)。

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なお付け加えておけば、ジョーンズ博士のもとに2006年1月29日付で、爆発物処理専門家として米空軍に10年間勤務したマイケルと名乗る退役軍人から以下のメールが寄せられた、「私はWTCタワー倒壊に関するあなたの論文を読み、それに同意するものです。軍用テルミット[反応促進剤として硫黄を含む]だけが唯一、崩壊の何週間も後に見つかった熔解スラグを説明できます。V型成形爆薬リニア・シェイプト・チャージ(LSC)を併用したテルミット炸薬が、WTCタワーを崩落させるのに使われたでしょう。どうかこれからもご健闘あらんことを」(Scholars for 9/11 Truth, "Comments")。
FEMA, "Emergency Response to Terrorism" Book Cover, June 1999

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「トラス崩壊理論」ばかりか、FEMA自体についても疑惑が取り沙汰されている。ブッシュ政権には「影の政府」(Shadow Government)と呼ばれる政府高官約100人からなる秘密地下組織があり、これは陰謀論どころか、米政府もその存在を認めるところである(Washington
Post, "Shadow Government Is at Work in Secret")。その「影の政府」とFEMAは実質上同義とされる(Free America, "FEMA: The Secret Government")。FEMAは1979年3月、大統領令によって創設され、国家安全保障会議(NSC)の下に置かれた。戦争や核テロといった有事によって国家が緊急事態になった時に、FEMAはすべての行政命令を遂行できる権限を持ち、戒厳令を敷いて全指揮権を掌握する。そのFEMAのジョー・M・オルボー長官は、2000年大統領選でブッシュを支えた政策アドバイザーで「鉄の三角形」と呼ばれたうちの1人、言わばブッシュの側近中の側近として知られる(Washington Post, "Bush's 'Iron Triangle' Points Way to Washington")。

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FEMA都市捜索救助隊(US&R隊)のトム・ケニー隊長がCBSニュースのインタヴューで語ったところによると、ケニー率いるUS&R隊は9月11日朝から活動できるよう、前日の9月10日夜にはニューヨークへ到着していたという("We're currently one of the first teams that was deployed to support the city of New York in this disaster. We arrived late Monday night and went right into action on Tuesday morning." by Tom Kenney- MP3 Audio)。この発言は物議をかもしたが、FEMAはこれを全面否定。おそらく彼は単に混乱していてチームの到着日付を言い誤ったのだろうとコメントし、今後発言を控えるよう釘を刺した。だがFEMAのチームが前夜ニューヨークへ出向いていたのは本当で、その目的とは9月12日に予定されていたニューヨーク市&司法省共同による「トライポッド II 作戦」(Operation Tripod II)と呼ばれる対バイオテロ緊急訓練に参加するためであった。むろんこの作戦訓練も、先の9/11軍事模擬演習の一環としてチェイニー副大統領が仕組んだことだったのである(What Really Happened, "FEMA Were in New York the Night Before 9-11"/American Patriot Friends Network, "911 And FEMA Official's Slip"/Scoop Media, "FEMA in NYC prior to 9-11 for Project TRIPOD terror drill, scheduled for 9-12")。
WTC7 | Source: 911 Research

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ところでFEMAの公式見解によると、WTC7号棟の倒壊だけはツインタワー崩落による巻き添えでなく、下層階からの出火が一因なのだという。考えられる要因として、地上階に置かれた緊急発電用タンクのディーゼル燃料が漏出し、それに引火したのではないかという「分析」も示されてはいるが、米電力会社コンソリデーテッド・エジソンのガス・エンジニアリング副社長デイヴィッド・デイヴィッドウィッツは、「ビルの中できわめて引火性の高い材料は燃料タンクだけではない。高圧ガス主管が破裂して火災が発生したと何人かのエンジニアが推測しているが、そのエリアには何もなかった。ビルで機能を果たしていたのは食堂用の4インチ低圧管だけだ」とコメントしている(New York Times, "Engineers Suspect Diesel Fuel in Collapse of 7 World Trade Center"/New York Times, "Burning Diesel Is Cited in Fall of 3rd Tower")。ちなみに、緊急発電用タンクの危険性について事件前から消防署の警告があったにもかかわらず、指摘された6000ガロン(2万3000リットル)の容量をはるかに上回る4万2000ガロン(16万1000リットル)ものディーゼル燃料をあえてビル内に持ち込んでいたのは、ニューヨーク市長ルドルフ・W・ジュリアーノその人だった(New York Times, "THE TRADE CENTER; City Had Been Warned of Fuel Tank at 7 World Trade Center")。

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NISTの報告では、出火が観測されたのは7、8、9、11、12、13、22、29、30階とあるが、目視で確認できるのはせいぜい7、11、12階の3か所程度でそれも散発的なものでしかない。映画・テレビの視覚効果スペシャリストであるマイケル・リヴェロは出火の写真を観察し、こう疑問を投げかけている、「それらの火災は、さもビルが火事であるかのように見せかけた、わざと仕組んだ火災のように見える」「確かに火事は起きているし、実際に燃えてはいる。だがそれらの火災はすべて窓付近にあって、ビルの奥で出火しているようには見えない。本当の火災なら、タワーからトンネルへ吹き抜け、エレベーター・シャフトを上って中心から広がっていっただろう」「写真にあるこれらの火災を見れば見るほど、ビルの倒壊理由として意図的に創作されたものだと感じる」(Prison Planet.com, "Photo Suggests Building 7 Fires Staged?")。

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仮に出火自体が相当深刻なものであったとするなら、スプリンクラー、火災報知機、排煙設備、消火自動ポンプ、耐熱耐火材など防災システムはうまく機能していなかったのか? NISTの報告によれば、WTC7号棟をモニターしていた火災警報システムは、この日午前6時47分から8時間にかぎってメンテナンスや検査のため「テストモード」に切り替えられており、システム作動のいかなるアラームもオペレーターのディスプレイに表示されることなく無視された状態にあったという(NIST, "Progress Report" - Chapter 1)。NISTのサンダー首席調査官も「7号棟での消火はなかった」("There was no firefighting in WTC 7." by Shyam Sunder)と発言、それのみならずFDNYによる手動の消火活動さえも「水不足のため」行われなかったとFEMAは報告している(FEMA, "WTC Building Performance Study" - Chapter 5)。
WTC 7 Fire Alarm System Monitoring Record | Source: NIST

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では崩落したビルの地下で瓦礫の山となった鋼構造部材の一部に蒸発が観察されたのはどういうわけなのか? 鋼材が蒸発するには5180F(2860C)もの温度が必要とされるが、ディーゼル燃料の火災でそのような高温を発生させるのは不可能、5432F(3000C)に達するテルミット反応だけがそれを可能にする。しかも同ビルの23階フロアにはジュリアーノ市長が指揮を執るための緊急作戦センター(EOC)が置かれ、爆弾・ハリケーン・停電にも耐えうるよう特別に強化された最新設備を誇っていたにもかかわらず、その鉄骨フレーム構造の47階建て近代高層ビルが「航空機の衝突もなく」「火災だけで」「完全崩落に至る」とは前代未聞の珍事、空前絶後の出来事であり、常識的にも到底考えにくい。そのうえ全壊したツインタワーからは少し離れた位置にあり、7号棟と隣接するビル群はまったく何の影響も受けず倒壊すらしていない中で、当該ビルだけがまるで狙われたかのごとく「6.5秒の自由落下速度で」「垂直倒壊」したのである(WTC7.net, "The hidden story of Building 7"/Killtown, "Was the WTC 7 pulled?")。

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ニューヨーク市住宅公社緊急時対策調整官バリー・ジェニングス(2008年8月19日逝去)は事件当日の朝、ジュリアーニ・パートナーズ重役のマイケル・ヘスとともに7号棟23階にある緊急作戦センターへ出向いたが、すでに退去した後で誰も見当たらず、停電でエレベーターが使えなかったため階段を下りていた時のこと、6階付近で爆発が起こり、やむなく8階まで後戻りしたと証言。また彼は、その爆発が起きたのはツインタワーが倒壊するより前だったとも語っている(Jones Report, "Emergency Official Witnessed Dead Bodies In WTC 7")。その7号棟が実際に倒壊した時刻は、午後5時20分。しかし奇妙なことに、倒壊する1時間以上も前の午後4時15分にCNNのリポーターが「(7号棟は)崩落したか、崩落しかけている」といち早く伝え、続いてBBCニュース24も倒壊26分前の午後4時54分に「もう1つの巨大なビル、47階建てのソロモン・ブラザーズビル(7号棟)が倒壊した」と先んじて一報を伝えていた。これらフライング報道は、CNNとBBCがすでにコントロール下にあったことを伺わせる(Jones Report, "CNN, BBC 24 Reports Conclusively Prove Media Prior Knowledge and False-Start Scripting of Building 7 Controlled Demolition")。

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出火原因はおろか、本当に全壊させるほどの出火だったかも疑わしいところに、なんと仰天すべき証言がにわかに出てきた。事件のわずか6週間前、2001年7月24日に地主のニューヨーク&ニュージャージー州港湾管理局(局長はシオニストのルイス・M・アイゼンバーグ)から32億ドルで99年間にわたるWTC複合施設の借地権を得たばかりのラリー・A・シルヴァースタイン(シルヴァースタイン不動産オーナー兼ユダヤ文化遺産美術館理事、イスラエルのシャロン首相やネタニヤフ元首相と懇意の仲でアイゼンバーグともどもイスラエル支援連合組織UJAメンバーのシオニスト)が、2002年9月報道された米公共放送局PBSドキュメンタリー番組『アメリカの再建』(America Rebuilds)のインタヴューで次のように語った。FDNY局長から電話が入り「鎮火できそうにもない」と言われ、彼にこう返事をした、「おびただしい数の人命が失われてしまいました。おそらく賢明な方策はそれを引き倒す(Pull *9)ことでしょう」(Infowars.com, " 'We've had such terrible loss of life, maybe the smartest thing to do is pull it.' And they made that decision to pull and we watched the building collapse." by Larry A. Silverstein- MP3 Audio)。そうして解体することが決まり、ビルの倒壊を一緒に見届けたという。それは現場にいた消防士たちも同じだった。消防司令補ウィリアム・ライアンは「7号棟が午後3時ごろ倒壊するからそれまで後ろへ下がってろ」と命じられ、消防士スコット・ホロワッチとフランク・スウィーニー、救急医療隊員スティーヴン・ピッラらはみな「ビルが倒壊するまで何もしないで待っていた」と報告している(New York Times, "Oral Histories From Sept. 11 Compiled by the New York Fire Department")。FDNYが7号棟の解体を決めたことは、事件当日現場で救急救命士としてボランティア従事していたインディラ・シンの証言によっても裏付けられる。彼女はKPFAラジオ・インタヴューでこう証言した、「9月11日の正午すぎ、彼ら(消防局)が『7号棟は倒壊するから』と言ってきたので、私たちは避難しなくてはなりませんでした」「彼らは『倒壊(bring it down)させなくちゃならない』という言葉を使ってました」(KPFA, "Guns and Butter for Wednesday, April 27th, 2005")。
*9 シルヴァースタインが発言した「Pull」とは、建設業界の専門用語で「爆薬を用いた制御解体」を意味する。これに対して、当のシルヴァースタインは「何か別の意味だった」(meant something else)とだけコメントし沈黙。シルヴァースタインのスポークスマンであるダラ・マックィランは2005年9月、「ビルに残っている消防士を引き上げる」という意味で用いたと代弁したが、すでに消防士たちは安全上の理由から退避命令を受けて午前11時30分までに撤収しており、シルヴァースタインがFDNY局長と話し合ったのは午後すぎのことだった。ちなみに、この「Pull」の意味をコントロールド・デモリション社(CDI)にあらためて確認したところ、「倒壊させる」という意味でやはり正しかったことが裏付けられた(Killtown, "CDI: 'Pull It' Means 'Pull It Down' ")。

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だが、ビルの制御発破には前もって爆薬を仕掛けるための入念な計画と下準備、高度な専門技術が必要とされる。まして倒壊する6時間前に早々と消火活動を断念して消防士をみな退避させなくてはならなかったほど困難な状況下で、いったいどうやって「安全に」「すばやく」「垂直倒壊できるように」爆薬をセッティングすることができたのか? つまりシルヴァースタインの発言はそれが偽証でもないかぎり、9月11日以前に爆破解体のプランがあったことを白状したに等しい。そして今回のWTCビル崩落で莫大な「利益」を得る恩恵にあずかったのは、ほかならぬシルヴァースタイン本人だった。損失どころか、彼には総額で45億5000万ドルもの保険金が支払われ、復興再建のための資金もすべて保険金で調達できる公算だという。事件当日の朝、シルヴァースタイン不動産はWTC1号棟88階のオフィスで会議を開く予定になっていたが、1人欠席者がいるからとの理由で取りやめている。その会議では「テロ攻撃にどう対処すべきか」討議することになっていた。当のオーナーであるシルヴァースタインはちょうどその日、皮膚科医と会う約束になっていたためオフィスを不在にし、危うく難を逃れていた(New York Times, "A DAY OF TERROR: THE INSURERS; Reinsurance Companies Wait to Sort Out Cost of Damages"/New York Observer, "Mike Sees City Taking Control At Ground Zero")。

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なお付け加えておけば、同ビルには米証券取引委員会(SEC)と米雇用機会均等委員会(EEOC)のニューヨーク事務所がテナントとして入居し、ビル倒壊によってまだ調査中だった3000〜4000もの重要ファイル、とくにSECの機密ファイルが大量に紛失した。それらの中には、ハイテク・ブームの好況で投資銀行が一般公募した新規株式の分配方法を記録した調査ファイルや、モルガン・スタンレーに対するセクハラ訴訟の文書なども含まれていた(New York Lawyer, "SEC & EEOC: Attack Delays Investigations")。また、この7号棟の抵当権(2000年10月17日付)を有していたのがブラックストーン・グループという米最大手の投資会社で、その共同創業者にして会長はピーター・G・ピーターソン、CFRの理事長としても知られる人物である。このブラックストーン・グループはキッシンジャー・アソシエーツおよび世界最大の保険会社アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)ともつながっており、AIG国際諮問委員会の委員長はヘンリー・キッシンジャーである。1993年にAIGは国際的なリスク・コンサルティング会社クロール・アソシエーツ(現クロール社)の株を23%保有したが、そのクロール・アソシエーツは1993年から9/11事件当日までWTC複合施設全体のセキュリティ・システムを管理していた(セキュラコム社はクロール・アソシエーツとセキュリティ契約を結び、その配下に属した)。またクロール・アソシエーツの創業者ジュールス・B・クロールの妻リン・コルダ・クロールはイスラエル支援連合組織UJAのニューヨーク副委員長を務め、同組織の全国委員長シルヴァースタインと共通の接点がある(Christopher Bollyn, "The Architecture of Terror: Mapping the Israeli Network Behind 9-11")。

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7号棟が崩壊した原因について、9/11調査委員会の最終報告書はまともに言及することを避けた。一方、FEMAの最終報告書は出火に触れつつも、「崩壊した原因の詳細は現時点において不明であり」「さらなる研究、調査および分析が、この問題を解明するのに必要である」と結んで終わっている(FEMA, op. cit., Chapter 5)。そしてこれまで結論を留保していたNISTは、事件から実に7年の歳月が経過した2008年8月21日(爆発の目撃証人バリー・ジェニングス不審死の2日後)になって、ようやく調査報告書(ドラフト)を正式に公表した。サンダー首席調査官は「他の高層ビルで発生していた火災と同様、制御不能に陥ったビル内部の火災によって異常な事態が引き起こされた」「爆薬がビル倒壊に使用されたという証拠は見つからなかった」と答え、くすぶっている火種を消すのに努めようとしたが、同年11月20日に出された最終報告書の第4章「主要な調査結果」でNISTは、先に崩れ落ちたペントハウスを除く屋上部分が測定誤差の範囲内において2.25秒の重力加速度で落下(自由落下)したことを認めるに至った(NIST and the World Trade Center, "Report on the Collapse of World Trade Center Building 7"/Architects & Engineers for 9/11 Truth, "WTC 7: NIST Admits Freefall")。

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7号棟の倒壊が「爆縮」(Implosion)と呼ばれる典型的な制御解体だった何よりの証拠は、CBSニュースのビデオ映像が如実に語ってくれている。さすがにCBSニュースのアンカーマンことダン・ラザーでさえ「崩壊するようにうまく配置したダイナマイトによってビルが意図的に破壊された」("A building was deliberately destroyed by well-placed dynamite to knock it down." by Dan Rather)と正直にコメントしたその7号棟の倒壊について、オランダの爆破解体専門会社ジョウェンコBVのオーナー、ダニー・ジョウェンコは、「これは制御解体」「間違いなく内破によるもの。請け負い仕事さ、べテラン・チームがやった」「明らかにこれは内破されたビルだと思うね」と(911Blogger.com, "Demo Expert Confirms WTC-7 Was 'Controlled Demolition'")、またコントロールド・デモリション社で装薬の配置に携わった元従業員トム・サリヴァンも、「それが爆発現象だということは見てすぐに分かった、疑念はなかった」と確信をもって断言した(Architects and Engineers for 9/11 Truth, "Explosive Evidence at WTC Cited by FormerCDI Employee")。
素人は騙せてもプロの目をごまかすことはできない。
WTC7- MPEG Movie (9-11 Research, 1.6MB) | Source: CBS News


p-85
WTCビルに1機目が突入してわずか数分後に大勢のFBIエージェントが現場へ駆けつけたのは、そして事件発生から48時間後にFBIが19人の「犯人」とオサマ・ビン・ラディンの関与を発表できたのは、万事申し合わせどおりだったからである。「テロ実行犯」「イスラム原理主義者」のレッテルを張られた彼ら19人は搭乗さえしておらず、公表された「搭乗者リスト」にも名前の掲載はなかった(Global Research, "The Perplexing Puzzle of the Published Passenger Lists")。「ケネディ暗殺犯」という役回りを担がされたCIA工作員のリー・ハーヴェイ・オズワルド同様、単にスケープゴートとして利用されたにすぎない("Central Intelligence Report on the Assassination of John Kennedy"- Document)。サウジアラビア外相のサウド・アル・ファイサル王子は2001年9月20日、ワシントンでブッシュ大統領との会談を終えた後、アラブ報道陣に対して「サウジアラビアの調査によってFBIのリストのうち少なくとも5人は事件と無関係と判明した」と語り、ついで同国内相ナエフ・ビン・アブドルアジズ王子も2001年9月23日、「7人は事件に関与しておらず、サウジ国内で連絡が取れた」とCNNのインタヴューで語った。

p-86
ところで、ナエフ内相には実に興味深い発言がある。彼によると、「9/11事件の背後にはユダヤ人がおり、テロリストのネットワークは外国諜報機関とリンクし、その親玉はイスラエル・モサドだ」というのである(Western Herald, "Saudi interior minister: Jews behind 9-11")。

p-87
ナエフ内相と同様、パキスタン諜報機関ISIのハミード・グル元長官もUPIのインタヴューで、「9/11事件は明白に内部犯行であり」「イスラエル・モサドとアメリカにいる共犯者の仕業だ」と述べた(United Press International, "UPI Interview with Gen. Hameed Gul")。

p-88
イラン革命防衛隊のヤハ・ラヒム・サファヴィ将軍も、9/11事件は「中東を支配するための戦争挑発を目論んでアメリカとイスラエル・モサドが実行したものだ」と軍司令官に伝え、彼のコメントはイラン国営通信ISNAによって報じられた(Iran Focus, "Iran says U.S., Israel ordered September 11 attacks")。

p-89
イギリス諜報機関MI5のエージェントとしてテロ対策に従事したデイヴィッド・シェイラーも、アル・カイダの仕業とされるテロ活動のほとんどは「MI6(対外諜報機関)とCIAによってお膳立てされたものだ」と明かした。シェイラー自身、MI6がオサマ・ビン・ラディンのパートナーに資金供与を行っていたことを知って辞職を決意したと述べ、イギリス政府がリビアのカダフィ大佐暗殺のためにアル・カイダへ多額の資金を提供している事実を公然と暴露したことで公職機密法違反の罪により投獄された。そうした裏事情をよく知る彼もまた「9/11事件は内部犯行」と断言、「あらゆる証拠が(WTCビルは)制御解体であることを示している」「(ペンタゴンは)ミサイルのダメージを受けた証拠がある」とし、「真実を言う勇気を持たなくてはいけない」と訴えた(Observer, "MI6 'halted bid to arrest bin Laden' " /Voltairenet.org, "David Shayler: 'I quit the British secret service when the MI6 decided to fund Osama bin Laden's partners' "/Prison Planet.com,"Former MI5 Agent Says 9/11 An Inside Job"/Liverpool Echo, "9/11 was an inside job says Shayler")。

p-90
米ハリウッド映画俳優ダスティン・ホフマンも「9/11事件を操作したのはブッシュ政権」と語り、また同映画俳優チャーリー・シーンも、「9/11公式報告には多くの疑問があり、ブッシュ政権は事件の真相を隠蔽している」として「政府から真に独立した調査機関によって真相究明が行われるべきだ」と公に発言、父マーティン・シーンも息子を支援するとコメントした(Contactmusic.com, "Hoffman: 'Bush Manipulates 9/11' "/Prison Planet.com, "Actor Charlie Sheen Questions Official 9/11 Story"/911Blogger.com, "Martin Sheen supports his son Charlie Sheen in questioning the official story of 9-11")。

p-91
映画『華氏911』のマイケル・ムーア監督もインタヴューに応じて、「『華氏911』以来ずっとこのかた私は、多くの消防士たちから爆発音を耳にしたという声を聞いた。彼らは知らされている以上にもっと多くの情報があると信じているんだ。私には公式調査が完全な真実を伝えているとは思えないし、まだ真実の半分も伝えてはいない」と語った(Prison Planet.com, "Michael Moore: 9/11 Could Be Inside Job")。

p-92
米カントリー・ミュージック界の大御所ウィリー・ネルソンも、「ツインタワーの崩落を見、ラス・ヴェガスでビルの爆破解体を見たことがあるが、両者はあまりに酷似している」とWTCビル内部爆破の可能性を指摘した(FOX News, "Willie Nelson: I Question Official Sept. 11 Story")

p-93
「9/11の真実を求める学者たち」メンバーの1人、フォードおよびカーター大統領のもとで「スター・ウォーズ」ミサイル防衛計画のリーダー格を務めていた元米空軍中佐ロバート・M・ボウマンも、「9/11公式報告こそ謀略説であり」「攻撃の計画立案をした主要な容疑者はチェイニー副大統領である」と表明した(911Lies.org, "Former CIA Official -Head of 'Star Wars' Program Say Cheney"/Prison Planet.com, "Former Head Of Star Wars Program Says Cheney Main 9/11 Suspect")。

p-94
ドイツのヘルムート・シュミット政権元閣僚で国際諜報活動に詳しいアンドレアス・フォン・ビューローも、「9/11公式報告はまったくの誤りであり」「サウジアラビアとパキスタンの諜報機関から支援を受けたCIA部内の最少グループによる内部犯行」と自説を展開した(Prison Planet.com, "Former German Minister Says Building 7 Used To Run 9/11 Attack")。

p-95
元CIAアナリスト(勤続16年)レイ・マクガヴァン、元CIA高官(勤続28年)ビル・クリスティソン、元米海兵隊将校および元CIAエージェントのロバート・D・スティール、この3人ともが皆「9/11事件は内部犯行」と認め、テロ対策のスペシャリストであるスティールは「チェイニー副大統領とネオコン一派は起訴されてしかるべきだ」とさえ述べている(Prison Planet.com, "28-Year Career CIA Official Says 9/11 An Inside Job"/Infowars.net, "Ex CIA and Marine Intel Officer: 9/11Was An Inside Job")。

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映画『シリアナ』(Syriana)の原作『CIAは何をしていた?』(Three Rivers Press, "See No Evil" by Robert Baer)の著者として知られる元CIA工作員(勤続20年)ロバート・ベアもラジオ・インタヴューで、「9/11事件が内部犯行であるという見方は証拠によって示されている。騒々しい否定論者や荒しは証拠がないことでかえって目立っている」と語った(Prison Planet.com, "Is This 20-Year CIA Vet Crazy For Saying 9/11 Is a Probable Inside Job?")。

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イタリアのフランチェスコ・コッシガ元大統領もイタリア全国紙コリエレ・デラ・セラで、「アラビア諸国に非難を浴びせ、西欧列強をイラクやアフガニスタン参戦へと仕向けるため、破滅的な攻撃がシオニスト世界機構の支援を受けて米国CIAとモサドによって計画・実行されたものだということは、今やイタリア中道左派を筆頭に欧米すべての民主社会でよく知られている」と述べた。またコッシガは事件当時のコメントでも暗にこう示唆していた、「攻撃の首謀者たちは、狂信的なカミカゼだけでなく、高度な専門技術者を雇い入れるだけの豊富な資産が備わったきわめて高い頭脳の持ち主で、1つ付け加えるならば、レーダーと航空保安要員への潜入なしには成し遂げられなかったにちがいない」(George Washington's Blog, "Former President of Italy- 9-11 was an Inside Job")。

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25名の元米軍将校や元幹部らも政府の9/11公式報告を厳しく批判している。その顔ぶれの中には、元米陸軍情報部司令官アルバート・スタッブルバイン少将、元米国防総省副次官補ロナルド・D・レイ大佐、元NSA幹部メンバーのカレン・クヴィアトコフスキー中佐とジョン・M・ニューマン少佐2名のほか、米空軍パイロット、NORADスタッフ、海兵隊情報部出身者ら多数が陣営に加わっている。さらには軍・情報機関のべテラン、科学者、エンジニア、建築家などからも政府の公式報告に対する批判の声が続出している(Patriots Question 9/11, "Twenty-five U.S. Military Officers Challenge Official Account of 9/11"- PDF Document)。

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米海軍特殊部隊SEALsおよびプロレスラー出身のジェシー・ヴェンチュラ元ミネソタ州知事もラジオ・インタヴューで、「WTCビル崩壊は制御解体のようだ」「2機の航空機が2棟のビルにぶつかった。しかし、3番目のビルはどうやって5時間後に崩落したのか? どうして5時間後に内破されたのか? それが私の最初の疑問である。9/11調査委員会は膨大な量の調査にもかかわらず、それに1ページすら割かなかった」「映画(Loose Change)で7号棟のビル崩落を見たが、私見を述べるなら、ビルが爆破によって倒されたことに疑念の余地はない」と語った(Prison Planet.com, "Former Governor Jesse Ventura: WTC Collapse A Controlled Demolition")。

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2004年10月の英ガーディアン紙とのインタヴューで「ブッシュ大統領は9/11事件を不当に利用していた」とコメントしたジミー・カーター元米大統領もシカゴで開かれた自著サイン会で、9/11の遺族が事件の再調査を要求しているがそれを支持するかどうか問われて「私には何もすることはできないが、もちろんそれはいいことだとも」と首肯した(MSNBC, "Carter Tells Paper Bush Exploited 9/11"/We Are Change Ohio, "Former President Jimmy Carter Supports A New 911 Investigation")。

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20年以上のキャリアを持つ元FBI特別捜査官コリーン・ロウリーは、FBI本部がテロ捜査の令状許可申請を却下し故意に妨害したとしてロバート・ミュラーFBI長官あてに内部告発文書を送り、それが評価されて米『タイム』誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー2002」に選出された人物として知られるが、その彼女も2009年7月14日、9/11の遺族、第一対応者、生存者、6万人ものニューヨーカーたちから支持される「9/11の再調査」を全面的に支援すると表明した(Raw Story.com, "Ex-FBI Agent: Why I Support a New 9/11 Investigation")。

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デンマークのポール・ニューロップ・ラスムッセン元首相も国営デンマーク放送協会テレビチャンネルDR2とのインタヴューで、「(事件当日の朝、安全保障会議を開くため)自分のオフィスへ入る前に、最初のタワーが完全崩落すると言われた」「物理的にそれが起こる5〜10分前にメッセージを受け取っていた」と告白、オフィスに入るとすぐにビルの崩壊が確認されたという(Prison Planet.com, "Danish Prime Minister Knew WTC Would Collapse")。

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元米陸軍大学校研究ディレクターで元米海兵隊員として10年のキャリアがあるアラン・サブロスキーも、「空中と地上で9/11事件を実行するための専門的技術、工作員、権限および政治的保護を有するのは2つの諜報機関だけ、わがCIAとイスラエルのモサドだ。『誰が利益を得るか』という原則に立てば、唯一その動機を持つのはモサドである。そしてその動機は、イスラエルの敵を滅ぼすのにアメリカの軍事力を使ってアメリカの一般市民を戦争に動員させるべく変化を引き起こす事件の必要性をはっきりと表明していたネオコンの行動計画とも完全に合致する」と主張した(Information Clearing House, "Treason, Betrayal and Deceit: 9/11 and Beyond")。

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元イギリスBBC中東特派員で著書に『シオニズム、ユダヤ人の本当の敵』(Clarity Press, "ZIONISM, the Real Enemy of the Jews" by Alan Hart)があるジャーナリストのアラン・ハートも9/11攻撃はCIAとモサドの共謀と認識し、世界有数の土木建築会社と仕事をしている親交があるコンサルタントから「ツインタワーは航空機でなく制御爆破によって倒壊した」と直接聞かされたことを明らかにした。その土木建築会社に確認を求めたところ、匿名を条件にその関係者は「そのとおりで間違いない」と返答したという(Prison Planet.com, "Top Construction Firm: WTC Destroyed By Controlled Demolition")。

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そして当のオサマ・ビン・ラディン本人も、CIAに利用されたと気付いたのか、事件後にステートメントを発表、「個人的な理由で計画されたように思える最近の攻撃を企てたのが私でないことを世界に向けて保証したい」と述べた(CNN, "I would like to assure the world that I did not plan the recent attacks, which seems to have been planned by people for personal reasons." by Osama Bin Laden)。さらに2001年9月28日パキスタン紙デイリー・ウンマのインタヴューでも、9/11攻撃の背後にイスラエルがいることを暗にほのめかしながらこう訴えている、「9/11攻撃には関与していない」(9-11 Review, "I am not involved in the 11 September attacks in the United States.")、「それらの攻撃については何も知らないし、無実の女性、子どもたち、その他の人間たちの殺戮を特段の行為と見なすことも望んでいない」(9-11 Review, ibid., "I had no knowledge of these attacks, nor do I consider the killing of innocent women, children, and other humans as an appreciable act.")、「アメリカという国に敵意を抱くものではない。われわれが敵対するのは、他国を奴隷化、もしくは政治的・経済的自由を抵当に入れるよう強制する(米政府の)システムに対してだ。このシステムはアメリカのユダヤ人たちによってすっかり支配されている。彼らの最優先事項はイスラエルであって、アメリカではない。アメリカ国民はユダヤ人の奴隷そのものであり、彼らの制定した綱領と法令に従った生活を余儀なくされていることは明らかである」(9-11 Review, ibid., "We are not hostile to the United States. We are against the [U.S. Government] system, which makes other nations slaves of the United States, or forces them to mortgage their political and economic freedom. This system is totally in the control of the American Jews, whose first priority is Israel, not the United States. It is clear that the American people are themselves the slaves of the Jews and are forced to live according to the principles and laws laid down by them.")、「無実のイスラム教徒やアメリカに対して黙々と大量殺戮を行っているイスラエルこそ処罰されるべきである」(9-11 Review, ibid., "So the punishment should reach Israel. In fact, it is Israel, which is giving a blood bath to innocent Muslims and the U.S. is not uttering a single word." by Osama Bin Laden)。

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これらはいずれも内情に精通した者ならではの有力な情報源と言えるだろう。
Living hijackers: (from top left) Waleed al-Shehri, Wail al-Shehri, Mohamed Atta (Alive?), Abdulaziz al-Omari, Mohand al-Shehri, Khalid al-Mihdhar, Salem al-Hazmi, Saeed al-Ghamdi, Ahmed al-Nami.

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2001年9月14日、FBIは「ハイジャック犯19人を特定したリスト」を公表したが、2週間後の9月27日には「ハイジャック犯と見られている」とニュアンスが曖昧になった(FBI Press Release, "FBI Announces List of 19 Hijackers"/FBI Press Release, "The FBI releases 19 photographs of individuals believed to be the hijackers of the four airliners that crashed on September 11, 01")。結局、名指しされた19人のうち少なくとも8人の生存が確認され事件とは無関係と判明するも、米政府はいまだ訂正はおろか公表すらしていない。ところが、ミュラーFBI長官は2002年4月19日サン・フランシスコのコモンウェルス・クラブにおいて、「ハイジャック犯」とされる人物たちは証拠書類1枚残しておらず、彼らと9/11謀略を関連づけるものは何も見つからなかった、とついに認めた。またオサマ・ビン・ラディンについても関与が疑われているというにすぎず、FBIの「最重要指名手配犯リスト」(FBI Ten Most Wanted Fugitive - Usama Bin Laden)に9/11テロ容疑での記載はなかった(彼の容疑は1998年タンザニアとケニア両国のアメリカ大使館爆破事件に関するもの)。またFBIスポークスマンのレックス・トムも、「FBIとしては、オサマ・ビン・ラディンと9/11を結びつける確固たる証拠が得られなかったことから正式な起訴に至っていない」と回答した(BBC News, "Hijack 'suspects' alive and well"/World Messenger, "Hijackers Alive and Well September 11th"/American Free Press, "FBI Admits: No Evidence Links 'Hijackers' to 9-11"/Fars News, "FBI Declares Lack of Evidence to Connect Bin Laden to 9/11"/Wired News, "How Osama Cracked FBI's Top 10" 邦訳はWIRED VISION, 『FBI「重要指名手配犯」リストでビン・ラディンに同時多発テロ容疑の記載なし』)。

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カリフォルニア州モントレーにある米軍施設、国防総省言語研修所の副所長スティーヴ・バトラー中佐が地元ヘラルド紙の編集者に書き送った手紙によると、「1990年代、ハイジャック犯の数人はうちの生徒だった」「ブッシュ大統領は9/11事件が起きることを事前に知っていたが、『対テロ戦争』の必要性からアメリカの国民に何の警鐘も促さなかった」という。この手紙は同紙上で公表されたが、バトラー中佐はこの一件で解任を余儀なくされた(World Socialist Web Site, "Air Force officer disciplined for saying Bush allowed September 11 attacks")。このバトラー中佐の主張はまったく穏当なものである。ニューヨーク・タイムズ(2001年9月15日)によれば、国防省当局の発言として「ハイジャック犯として確認されているうちの3人は、米軍学校の卒業生と同名だった」と紹介している。その3人、モハメド・アッタはアラバマ州マックスウェル空軍基地の国際将校学校、アブドルアジズ・アル・オマリはテキサス州ブルックス空軍基地の航空宇宙医学校、そしてサイード・アル・ガムディはカリフォルニア州モントレーの国防総省言語研修所にそれぞれ通っていたという(New York Times, "Shared Names for Hijackers")。

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また事件2年前の1999年9月、米連邦政府調査部(FRD)が出した議会図書館リポート『テロリズムの社会学と心理学:テロリストになるのは誰か、なぜか?』("Sociology and Psychology of Terrorism: Who Becomes a Terrorist and Why?")は、「アル・カイダの自爆テロ犯らがアメリカの定期旅客機に高性能プラスチック爆薬(C4やSemtex)を持ち込んでペンタゴンやCIA本部、あるいはホワイトハウスへ強行着陸する可能性がある」と指摘し、警鐘を鳴らした(CBS News, " '99 Report Warned Of Suicide Hijacking")。ついで事件2か月前の7月、FBIはオサマ・ビン・ラディンを名指しした機密メモを作成し、「世界中の民間航空産業にイスラム過激派をパイロット、警備員、航空整備士として配置するための協調すべき第一歩として、飛行学校へ生徒を送り込んでいるかもしれない」と飛行学校を捜索していた。またCIAも事件1か月前の8月6日、「アル・カイダが民間旅客機の乗っ取りを目論んでいる」との1ページ半におよぶブリーフィングをブッシュ大統領に届けていた(New York Times, "Pre-Attack Memo Cited Bin Laden"/New York Times, "Bush Was Warned bin Laden Wanted to Hijack Planes")。そればかりか事件2日前の9月9日には、「地球上からアル・カイダを掃討するための行動計画」(Game Plan to Remove Al-Qaida from the Face of the Earth)と題する文書が正式な大統領令としてブッシュの署名を待つだけになっていた。複数の情報筋が匿名を条件に明かしたところによれば、アフガニスタンでの外交的イニシアチブから軍事作戦まで多岐にわたるアル・カイダへの全面的な戦争計画が詳細に練られ、すぐにも発動できるようになっていたという(NBC News, "U.S. sought attack on al-Qaida")。つまりは準備万端、用意周到に手筈を整えていたからこそ、9/11事件後ただちに「対テロ戦争」へとスムーズに取りかかることができたわけだ。
Source: Scanpix
Source: Hasan Jamali, AP



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ことに「主犯」とされたモハメド・アッタ(=写真左)は1990年代ドイツへ留学していた頃、米独両政府の合同事業に雇われ給料をもらっていたことが判明。この国際的なエリート「交流」プログラムは、デイヴィッド・ロックフェラーやヘンリー・キッシンジャーといった米政界の有力な要人と密接につながる、ほとんど知られることのない民間組織によって事業運営されていた(Chicago Tribune, "9/11 haunts hijacker's sponsors; German couple talks of living with pilot Atta."/MadCow Morning News, "Mohamed Atta Worked For Elite US-German Exchange Program")。また、スイス・チューリッヒ安全保障研究センターの上級研究員で秘密戦争を専門とするダニエル・ガンサーは、アッタを含む4人の「ハイジャック犯」がペンタゴンの極秘作戦「エイブル・デインジャー」(Able Danger)の特殊作戦軍(SOCOM)に関与していたと指摘。米国防情報局(DIA)でこの極秘作戦に従事していた陸軍予備役中佐アンソニー・シェーファーの内部告発によってそのことが判明したという。シェーファーによれば、SOCOMはアル・カイダに関するパターン、組織、つながりなどの情報をデータマイニング手法で収集する任務についていたが、極秘作戦が発足した1999年来アッタら4人はアル・カイダに潜入し、ずっとペンタゴンの監督下に置かれていたという。2000年9月、シェーファーはFBIにこのことを伝え警告を促したが、軍の法務官たちから妨害を受けたといい、9/11調査委員会のゼリコウ事務局長に報告すると「時系列的に関連がない」として却下されたという(Able Danger Blog, "Lt. Col. Shaffer's written testimony"/Global Research, "Able Danger adds twist to 9/11")。

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なぜか「ハイジャック機」に積みこまれるはずだった手荷物がボストンのローガン空港に置き忘れられ、その中からアッタの遺書が発見されたというが、民間旅客機を操縦して「自爆死」したはずのアッタは事件翌日の正午近くに、カイロで弁護士をしている父親モハメド・アル・アミール・アッタ(=写真右)のもとへ電話で連絡を入れ、約2分間とりとめのない会話を交わしている(父親の証言による)。「息子はどこから電話をかけてきたのか言わなかった。まだその時にはお互いどちらも事件について何も知らなかった」と当時の状況を話し、記者会見の席上で「息子はビン・ラディンを憎んでいた。罪のない市民を殺すような犯行にかかわったとは考えられない」とも語った。FBIが公表したアッタの顔写真については「いかにも狂信的に見えるよう、目やあご、首の辺りに修正が加えられている」と、やはり肉親だけあってこの指摘は重要と思われる。「事件の背後にいるモサドが私の息子を誘拐し殺したんだ」、父親は当初そう信じて疑わなかったが、年月を経て確信を持ったのか、その後父親のコメントはこう変わった、「息子はまだ生きている」と(Guardian, "Father insists alleged leader is still alive"/MSNBC, "Father of lead 9/11 hijacker defends son")。

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腑に落ちない「物的証拠」は他にもまだある。突入した航空機は炎上して焼失、ブラックボックスまでが「解析不能なほど破壊」され、WTCビルすらも「熱圧壊」したはずなのに、ビルから数ブロック先の瓦礫で「ハイジャック犯」サタム・アル・スカミのパスポートが焼け焦げもせず無傷の状態で、また93便の残骸から「ハイジャック犯」ジアド・ジャラのパスポート、ペンタゴンの衝突現場からは「ハイジャック犯」マジェド・モケドの学生証が判読できる状態で発見されたというのである(ABC News, "Terrorist Hunt")。加えてローガン空港の駐車場に乗り捨てられていたレンタカーからは、イスラム教徒にとって神聖な啓典クルアーン(コーラン)とアラビア語で書かれた飛行訓練マニュアルが見つかったとも(Boston Channel.com, "FBI Agents Search Hotels; Several People Detained")。FBI捜査官の多くは、それらの「証拠品」が彼らの身元や支度の手がかりとしてすぐに見つけられるよう現場に残されていたと信じている(New Yorker, "What Went Wrong")。

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今回の事件が用意周到な謀略であることを示唆する動きが随所であったことも否めない。事件が勃発してすぐさまCNNがニュースで「テロ事件の悲劇を喜んでいるパレスチナ人たち」のビデオ映像を流したが、この映像はCNN独自のものではなく、イスラエル国防省の撮影チームによって意図的に作られた、パレスチナ人たちがさも「テロ事件を歓迎している」かのように見せかけたフレームアップ、でっち上げであった(American Free Press, "Celebration Over World Trade Center Destruction Staged by Israeli Military")。一方で、それとは裏腹に「テロ事件の悲劇を喜んでいるイスラエル人たち」がいたことを英紙サンデー・ヘラルドが報じている(Sunday Herald, "Five Israelis were seen filming as jet liners ploughed into the Twin Towers on September 11, 2001 ...")。事件当日の朝、5人のイスラエル人たちがニュージャージー州の運送会社アーバン・ムーヴィング(モサドのフロント会社)名義の白いバンの屋根に乗ってWTCの崩壊模様をビデオ撮影していたというものだ。結局彼らは「大喜びしている姿」を不審に思った目撃者の通報によって逮捕・連行された。警察の調書によれば、運転手のシヴァン・カーズバーグは尋問に対して「われわれはイスラエル人だ。あなたがたには厄介をかけない。あなたがたの厄介はわれわれの厄介でもある。厄介の種はパレスチナ人たちだ」と答えたという。その後、5人はFBI犯罪捜査部から対外諜報部へと移送され71日後に拘留を解かれるが、不法滞在を理由に本国へ強制送還された。彼らのうち2人はモサドのエージェントであったことが判明し、後日ビデオ撮影の目的について「事件のドキュメンタリーを撮るつもりだった」とコメント。撮られたフィルムはFBIに押収され、アーバン・ムーヴィング社のオーナーであるドミニク・スーターは事件3日後の9月14日に急きょ会社を閉鎖し、家族を連れてイスラエルへ帰国した(ABC News, "The White Van: Were Israelis Detained on Sept. 11 Spies?")。

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ではイスラエル政府の動きはどうだったか? 外務省は当初、WTCビルとペンタゴン周辺で連絡の途絶えているイスラエル人の数を約4000人と発表した(Jerusalem Post, "Thousands of Israelis missing near WTC, Pentagon")。この数字に関してニューヨーク・タイムズ(2001年9月22日)では、ブッシュ大統領の「130人のイスラエル人がその攻撃で亡くなった」というスピーチを紹介しつつ、「実際に死亡が確認されたイスラエル人は3人だった」とイスラエルの総領事アーロン・ピンカスの発言を報じている。「その内の2人は航空機の乗客、あと1人はビジネスでタワーを訪れていた」というが、WTCビルに勤務していたはずの100人余のイスラエル人の死亡はどういうわけか確認されていない(New York Times, "A NATION CHALLENGED: THE TALLY; Officials Say Number of Those Still Missing May Be Overstated")。

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イスラエルのモサドは2001年8月、CIAとFBIに対してアメリカ本土で大規模なテロリスト攻撃が起こることを事前に警告していた(Telegraph, "Israeli security issued urgent warning to CIA of large-scale terror attacks")。

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イスラエル政府が出資する最大手の海運会社ジムは事件1週間前の9月4日、リース契約が切れる年末まで待たずにわざわざ5万ドルもの違約金を支払って、入居していたWTC1号棟16階および17階のオフィスを引き上げていた(American Free Press, "Who Knew? Israeli Company Mum About WTC Pullout")。

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WTCビルから2ブロック先にあるイスラエル系の通信会社オディゴ米国本社に勤務する2人の従業員は、事件が起きる2時間前に、イスラエル本社の同僚からWTCビル攻撃の事前警告をインスタント・メッセージで受け取っていた(Newsbytes, "Instant Messages To Israel Warned Of WTC Attack")。

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ブッシュ大統領の従兄弟ジム・ピアースは事件当日の朝、米保険会社エーオン・コーポレーションNY支店が置かれていたWTC2号棟105階のオフィスで、マネージメント・ディレクターとして会議に出席する予定だったが、出席者が多くなりすぎたという理由ですぐ近くのミレニアムホテルに場所を移し替えた(Ananova, "President's cousin escaped death thanks to schedule change")。

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WTCビルにはモルガン・スタンレーやメリルリンチ、ゴールドマン・サックスなどロックフェラー&ロスチャイルド財閥系の投資銀行が入っていたが、同ビルの25フロアを所有する最大テナントであるモルガン・スタンレーは社員3700人のほとんどが「奇跡的にも」(同社CEOフィリップ・J・パーセルの発言)無事であった。

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事件直前の9月6日から10日にかけてシカゴ証券市場で、ユナイテッド航空とアメリカン航空の株をはじめ、WTCビルにテナントのあるモルガン・スタンレーとメリルリンチの株も「プットオプション」の買い、株価暴落を見越した大量の空売りが行われており、これらのインサイダー取引には、かつてバンカーズ・トラスト副会長だったCIA高官アルヴィン・B・クロンガードが関与していた(San Francisco Chronicle, "Suspicious profits sit uncollected: Airline investors seem to be lying low"/Independent News, "Mystery of terror 'insider dealers' ")。

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米国証券取引委員会によれば、イスラエル人の投機家グループが事件直前の8月26日から9月11日にかけて、カナダのトロントとドイツのフランクフルトから株価下落を見越した株取引操作を行って38銘柄の株を短期に空売りし、数百万ドルもの利益を手に入れたという(Portland Independent Media Center, "ISRAELIS were 9-11 short sale stock buyers, betting on WTC terror strikes, story killed...")。

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事件前日の9月10日、ワシントン・タイムズの1面に、カンザス州フォート・リーヴェンワースにある米陸軍シンクタンク・高等陸軍研究学校(SAMS)の“ジェダイの騎士”と呼ばれる60名のエリート幹部らによる分析報告「SAMSペーパー」が記事として掲載された。イスラエルの諜報機関モサドについてSAMS幹部はこう述べている、「何をするか分からない、冷酷非道で狡猾。パレスチナやアラブの仕業のように見せかけて、米軍をターゲットにして攻撃を仕掛けるだけの能力がある」(Washington Times, "U.S. troops would enforce peace under Army study")。ちなみにモサドのモットーは、「欺騙によって戦争を遂行すべし」(By way of deception, Thou shalt do war.)である。

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事件当日の9月11日、ワシントン・ポストに、PNAC創設メンバーの1人でカーネギー国際平和財団のロバート・ケーガンはこう書いている、「議会はただちに宣戦布告すべきである。国名を特定しなくてもいい。今日攻撃を実行した者たちに対して、そして彼らを支援した国家に対して宣戦布告が可能だ」(Washington Post, "Congress should immediately declare war. It does not have to name a country. It can declare against those who have carried out today's attack and against any nations that may have lent their support." by Robert Kagan)。

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同じく9月11日のワシントン・ポストに、ヘンリー・キッシンジャーも『ネットワークを破壊せよ』と題した論文を寄稿していた(Washington
Post, "Destroy the Network")。その中で彼はオサマ・ビン・ラディンの名前を出し、テロへの報復を支援すると表明。同日、CNNのインタヴューにも彼はこう答えている、「これは真珠湾攻撃に匹敵する。そうとなれば、われわれも同じ対応をしなくてはならない。それを実行したやつらは真珠湾を攻撃した連中と同じ末路をたどるだろう」(CNN, "This is comparable to Pearl Harbor. And we must have the same response, and the people who did it must have the same end as the people who attacked Pearl Harbor." by Henry A. Kissinger)。

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イスラエルのエフード・バラク元首相は9月11日、事件が起きたその直後にBBCワールド・ニュースのインタヴューに応じていた。それも数日前からスケジュールが組まれていたもので、番組が始まる1時間前にはロンドンのスタジオ内に待機し、すでに書かれて用意してあったスピーチ原稿をもとに、彼はそこでイスラム諸国とテロリストがどれほど危険かをとうとうと30分間スピーチした(911exposed.org, "BBC Video of Pentagon Plane")。

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イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ元首相は事件後、攻撃がアメリカとイスラエルとの関係にどのような影響を与えるかという質問にこう答えている、「まったく素晴らしい… いやそうでもない、だがすぐに共感をもたらすだろう」(New York Times, "It's very good ... Well, it's not very good, but it will generate immediate sympathy." by Benjamin Netanyahu)。極右シオニスト・ネタニヤフの舌鋒は止まるところを知らないようだ。イスラエル紙マーリヴの報道によれば、リクード党リーダーのネタニヤフはバル・イラン大学でこう話したという、「9/11テロ攻撃は、イスラエルにとって有益である」と(Haaretz, "Report: Netanyahu says 9/11 terror attacks good for Israel")。さらに2009年イスラエル首相に返り咲いたネタニヤフは、満100歳を迎えた父ベンシオンの誕生会でこうも発言した、「私の父は1990年代に9/11攻撃を予測していた」(Press TV, "Netanyahu: My father foresaw 9/11 attacks in 1990s")。

p-127
IAPニュース(2001年10月3日)がイスラエルのラジオ局コル・イスラエル発の報道として伝えたところによると、「パレスチナとの停戦を求めるアメリカの要請を拒絶することはイスラエルの国益を危うくする」「アメリカを敵に回すことになる」と諌言したシモン・ペレス外務大臣に対し、イスラエルのアリエール・シャロン首相はこう返答したという、「はっきり言っておきたい、アメリカの圧力については心配しなくていい、われわれユダヤ人はアメリカを支配しているし、アメリカ人もそれは承知だから」(IAP News, "I want to tell you something very clear, don't worry about American pressure, We the Jewish people control America, and the Americans know it." by Ariel Sharon)。

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これらの言動はまことにもって興味深い。
Two Explosions? | Source: Candace, Tribby Family
Source: U.S. Navy

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ペンタゴンへの「ハイジャック機突入」は巧妙に情報操作されたものだった。すでに触れたように、この日アメリカン航空77便は欠航していた。当初AP電は「爆弾を積んだトラックがペンタゴンに突っ込んだ」、AFP電は「2度の爆発が起きた」と報じたが、あながち間違いでもない。なぜならペンタゴンは、内部に仕掛けた爆弾と米空軍の空中発射巡航ミサイルCALCMとによる時間差攻撃を受けていたのだから(ドイツ国家安全警察のFBI内部情報による)。公式記録によれば、ペンタゴンは午前9時37分(FBIの見解では9時45分)に攻撃を受けたとされている。だが実際にはそれより早い9時30分に「第一撃」を受けていた。その根拠として、「9時30分に爆弾による爆発が起こった」という電信記事があった/ペンタゴンの時計が9時30分を最後に壊れていた/数人のアメリカ人が9時30分という時間を確認していた/「9時32分にペンタゴンから火災と煙が立ち上っているのを見た」(
"I saw Fire and Smoke rising up from Pentagon at ca. 9:32am" by Per Stig M&oslash;ller)というデンマークのペル・スティグ・メラー外務大臣の目撃証言がある。メラー外務大臣はその日ワシントンに滞在していた。彼の証言は翌日の朝デンマーク・ラジオのインタヴューに答えた時のもので、彼はこうも話している、「ペンタゴンは爆弾によって爆破されたのではないかと思う、でも誰も信じてはくれなかったがね」("I think a Bomb just blew up at the Pentagon - but nobody believed me" by Per Stig M&oslash;ller)。ペンタゴン次席法務顧問ドン・パーカルは数分おきに2度の爆発音を聞き「無煙火薬の臭いがした。それで爆発物がどこかで爆破したんだと分かった」と、またペンタゴン所属弁護士ジラー・ゴールドスミスも「無煙火薬か硝煙のようなのを嗅いだ」と答えていることから、メラー外務大臣の証言は信憑性が高いと言える(McSweeney's, "The Works of Humankind"/Jewish News Weekly, "Shul brings comfort to Pentagon worker's close call")。
Conventional Air-Launched Cruise Missile | Source: Boeing

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あらかじめプログラムされた目標物を正確にピンポイント攻撃するボーイング社製のミサイルCALCMは、慣性航法装置(INS)/全地球測位システム(GPS)誘導によって超低空飛行し、「針の穴をも通す」ほど命中精度がきわめて高いことで知られる。パイロットが操縦可能な1.5Gをはるかに上回る5G〜7Gにも達する270度急旋回を行ったあげく、今度は高度100フィートをほぼ巡航速度の時速500マイル(800キロ)のスピードで水平飛行しながら、そのジェット旅客機を高さ77フィート(23メートル)のペンタゴン外壁へ体当たりさせるのは、それこそ「針の穴をも通す」ほど精度を要求される至難の業であり、いくら高度な操縦技術を持ったべテラン・パイロットでもそのようなアクロバット飛行を行うことは不可能。まして大型ジェット旅客機を一度も操縦した経験がなくセスナ172の飛行訓練すらまともにこなせなかった、フライト・シミュレーター訓練を受けただけの“にわかパイロット”がプロ顔負けの腕前でそつなく成し遂げるというのは、神業にも等しい。

p-131
元米空軍戦闘機パイロットで、パンアメリカン航空およびユナイテッド航空での30年以上の飛行キャリアもあるラス・ウィッテンバーグはインタヴューでこう答えている、「私は9/11に関与した2機の航空機、シャンクスヴィルで墜落したとされる93便と南棟タワーに激突したとされる175便を実際に操縦したことがあるが、いわゆるテロリストが、セスナ172の訓練からいきなり飛び越してボーイング757や767型機クラスを操縦し、機体の垂直飛行や水平飛行、そして100ノット以上の設計限界速度をはるかに上回るスピード、おそらく高速と高旋回で5、6、7Gはかかっている航空機を飛ばすことが可能だとは私には信じられない。航空機はまさしく空から落下してきたということになる。私にはできないし、彼らにもそれは不可能だったと間違いなく確信できる」。ボーイング757型機の元パイロットであるラルフ・オムフォルトも異口同音にその操縦の困難さを指摘し、ペンタゴンに撃ち込まれたのはミサイルだと主張している(American Buddhist Net, "Pilot who flew 2 planes used on 9/11 doesn't believe official story"/Airline Safety Net, "9-11 and the IMPOSSIBLE")。

p-132
科学技術情報の画像判読におけるエキスパートとして32年のキャリアを持つ元陸軍情報部司令官アルバート・スタッブルバインは、崩壊前に撮られたペンタゴンの画像を入念に解析し、ペンタゴンの受けたダメージが航空機の激突によって生じるであろうものと一致しないことから、「航空機はその穴にうまく入らない」と判定した。また航空宇宙工学エンジニアとして長年勤務してきたマイケル・メイヤーは明白にこう言い切る、「私の専門知識から言えることは、ペンタゴンのダメージはボーイング757型機によって引き起こされたものではないということだ」(Scholars for 9-11 Truth, "A Boeing 757 did not hit the Pentagon")。

p-133
およそジェット旅客機の突入が成功する確率はゼロに等しく、旅客機をまともに激突させてしまえば自軍に致命的ダメージを与え、その後の戦争計画にも支障をきたしかねない。それゆえ必然的帰結として、巡航ミサイルによるピンポイント攻撃はしごくまっとうな選択だったのである。折しもミサイルを命中させたウェッジ1のエリアは、1998年以来の補強改修工事をちょうど終えたばかりで致命的なダメージもなく(本格的な改修作業は2002年から着手する段取りになっていた)、なんと手際がいいことに海兵隊航空部隊のほとんどは9月8日、そのエリアから200ヤード(182メートル)離れた「バトラー・ビル」への移動を済ませており、ゴードン・R・イングランド海軍長官も攻撃を受けた執務室から離れていたおかげで無事だった。つまり裏を返せば、テロリストが狙う標的としてはもっとも効果のない無難な場所だったということだ(Department of Defense, "Renovation schedule"/LEATHERNECK Magzine of the Marines, "Instincts Told Them to Flee")。

p-134
だがペンタゴンにしてみれば、狙う標的は別にあった。実は内部に仕掛けられた爆弾で爆破されたエリアは陸軍の財務管理および会計監査を行う部署で、死亡者の多くは民間の会計士、簿記係、予算アナリストだった。つまり、そこに保管されている会計書類一切を証拠隠滅しておく必要があったのだ。CBSニュース報道が伝えたところによると、ラムズフェルド国防長官は事件前日の9月10日、記者会見で「2兆3億ドルの使途不明金が見つかった」と興味深い重大発表を行っていた(CBS News, "The War On Waste"/Where is the money?, "US Treasury Missing $ Trillions")。2兆3億ドルという巨額の支出金は1999会計年度に関してだけのもので、翌2000会計年度においても1兆1000億ドルがいったい何に使われたのか不明になっているという。会計書類がことごとく焼失してしまった以上、追及調査もなされず、万事都合よく真相はうやむやになった。

p-135
よくよく考えれば分かることだが、地対空ミサイル配備や戦闘機のスクランブル指令など世界最強の防空システムを誇る難攻不落の要塞、それもWTCビル爆撃で厳重な警戒体制を敷いていたアメリカの国家中枢ペンタゴンの牙城が、何の反撃もせず“不意打ち”をくらうなどということは万が一にもありえない。すべて監視体制のもとで「民間航空機のテロ攻撃」に見せかけるための擬装工作を行っていたのである。
Enlargement (620k) | Source: Steve Riskus, Critical Thrash
Enlargement (330K) | Source: Jason Ingersoll, U.S. Marine Corps
Enlargement (780k) | Source: Jason Ingersoll, U.S. Marine Corps
Enlargement (190K) | Source: Geoff Metcalf
Enlargement (200K) | Source: Geoff Metcalf
Enlargement (1.2MB) | Source: U.S. Dept. of Defense
Enlargement (2.2MB) | Source: U.S. Dept. of Defense

p-136
では実際に現場で遭遇した人たちの証言はどういうものだったのか。スペース・コムのニュース編集者ロン・レインズは、ペンタゴンに突入したのは「ミサイルだと確信するものだった」「それは旅客機のような音を出すこともなく、あまりに速くやって来た」(Space.com, "I was convinced it was a missile. It came in so fast it sounded nothing like an airplane." by Lon Rains)、ペンタゴンのネットワーク技師トム・セイバートは「ミサイルのような音がして、それから大きな爆発音を聞いた」(Washington Post, "We heard what sounded like a missile, then we heard a loud boom." by Tom Seibert)、ペンタゴン改修計画コーディネーターのマイケル・ディパウラは「ミサイルのような音だった」(Baltimore Sun, "It sounded like a missile." by Michael DiPaula)とそれぞれ証言しているが、何よりここで重要なポイントは「音」である。ジェット旅客機は耳をつんざくほどすさまじい轟音を立てるが、ミサイルの飛行音とは誰でも聞き分けられるほど明瞭に異なる。

p-137
とはいえ、ジェット旅客機ないしは小型飛行機を見たという目撃証言も数多く見られる(9-11 Research, "Eyewitnesses Accounts"/it was a plane bomb, "Witness Accounts"/It Was Flight 77, "Pentagon Witness Accounts")。その1人、USA Todayの報道記者マイク・ウォルターは、車窓から見えた飛行機の印象をこう語っている、「それは翼の付いた巡航ミサイルのようだった」(CNN, "I mean it was like a cruise missile with wings." by Mike Walter)。ウォルターはまた別のインタヴューで、「見たのはジェット機だ。ペンタゴンにぶつかったのがジェット機だったのは疑うまでもない」(Pentagon Research, "I saw the jet; there is no doubt in my mind it was a jet that slammed into the Pentagon." by Mike Walter)としきりに強調し、それが「消えた」("It disappeared.")とも発言している。実は彼だけでなく、その航空機が「消えた」("That plane, it just vanished.")という目撃証言はいくつか見られる。こうした目撃証言と現場写真との矛盾を照合し活路を見出そうとするのはジェラルド・ホルムグレンだ。彼はさまざまな目撃証言を検討する中で、アメリカン航空77便はやはりペンタゴンに突入しなかったという確信を持ちつつ、結論としてはこう答えるにとどめた、「ミサイルか小型飛行機、おそらくは無人軍用機が突入した」(Power Hour, "DID FLIGHT 77 HIT THE PENTAGON?")。

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ワシントンDC・ダレス空港の航空管制官ダニエル・オブライエンとトム・ハウエルによれば、ホワイトハウスと国会議事堂をカバーする飛行保護空域56(P-56として知られる)から急旋回して時速500マイルでペンタゴンへ向かっていった飛行物体に関して、レーダー室にいた航空管制官の誰もが「スピードと操縦性からいって… それは軍用機だった」と認識していたという(ABC News, "Get These Planes on the Ground" Air Traffic Controllers Recall Sept. 11)。またちょうどこの時、ペンタゴン上空を米空軍のC-130輸送機が飛んでいたという目撃証言も複数出ている(911-strike.com, "C130eyewitnesses"/APFN, "C130 Witnesses"/9-11 Terrorists Exposed!!, "Mystery C-130 over Pentagon at time of Attack")。
Source: 911-strike.com

p-139
ペンタゴンに突入したのがボーイング757-223型機だとする決定的な証拠はなく、それは現場状況からも物理的に明らかであるが、一方で「航空機を見た」という目撃証言との矛盾点は解消しきれていない。これを解くカギは、ペンタゴンの「心理作戦」(PSYOPS)にあった。実は現場で目撃者たちが見ていたのは、PSYOPS専用機EC-130Hが空輸するホログラフィック・プロジェクターから巡航ミサイルにマウントされた3Dホログラムで、デジタル・モーフィング技術を用いた擬装により巡航ミサイルの存在を悟られることなく、さも旅客機が飛んでいるかのように見せかけることができるというわけだ。もともとこの最先端テクノロジーは、米空軍が1996年に策定した研究リポート「空軍2025年」(Air Force 2025)で、軍事的な宇宙支配を2025年に実現するための将来構想としてすでに描かれていた(=写真左)。そしてその開発成果は、プロヴィジョン社によって「3Dホロヴィジョン・ディスプレイ」(=写真右)として商品化され、空中に浮かぶ立体ホログラムは屋内型で100フィート(30メートル)、屋外型なら200フィート(60メートル)先からでも見ることができる(Provision, "Provision's 3D HoloVision Display" 日本輸入販売元はNational Data Japan, 『3Dエアリアルイメージングシステム Holo』)。これを軍事目的に用いれば、まさしく目撃証言どおり「ミサイルのような音」で「巡航ミサイルのように飛行」する旅客機、それが「消えた」理由、空輸機の不審な飛行も合理的に説明されうる。3Dホログラムがどれだけリアルな印象を与え錯覚させられるか、マインド・コントロールの効果を試すにはうってつけの公開デモンストレーションだったろう(Air University Center, "Air Force 2025 Final Report, Volume 4, Chapter 3, 5.6 Airborne Holographic Projector"/NASA Tech Briefs, "Making Three-Dimensional Holograms Visible From All Sides"/Washington Post, "When Seeing and Hearing Isn't Believing" 邦訳はMind Control, 『見るものと聞くものが信じられなくなる時』/CNET News, "Holograms help protect Super Bowl" 邦訳はCNET Japan, 『「レイア姫のホログラム」も可能−米政府、警備目的で3Dホログラム技術を導入』)。
Left: Airborne Holographic Projector | Source: Air Force 2025
Right: 3D HoloVision Display- Flash Movie | Source: Provision

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この光学原理をうまく活用すれば、UFO(空飛ぶ円盤)をリアルに「出現」させることさえ可能であり、現にビルダーバーグ・ソサエティは、ネヴァダ州にあるグルーム・レイク空軍基地(エリア51として知られる)で「ブルービーム計画」(Project Blue Beam- Document)と呼ばれる秘策まで練っているという。NASAとTRWスペース&テクノロジー社および世界の宇宙機関が提携する形で推し進めているその驚嘆すべき計画とは、世界中のあらゆる言語をELF/VLF/LF帯の電磁波として人の脳内に直接伝送する音響効果と同時に、高度なレーザー技術を備えた静止衛星から地球の約60マイル(96キロメートル)上空にあるナトリウム層に「救世主再臨」のイメージを3Dホログラムで空中投影しようという壮大なもの。この神がかり的な“スペース・ショー”には、「新たなメシア出現」という演出効果によって「ワン・ワールド」(One World)へと仕向ける思惑があるようだが、ぜひとも冥土の土産に見てみたいものである(Alien Astronomer, "Blue Beam Project"/Wired News, "Apocalypse Now - How a hologram, a blimp, and a massively multiplayer game could bring peace to the Holy Land.")。
Source: Daryl Donley, SIPA Press
Source: 911 Batcave
Source: Mark D. Faram, Navy Times
Source: Sgt. Carmen L. Burgess, U.S. Army
Source: Michael Garcia, U.S. Air Force
Source: Joint Combat Camera Center
Source: Jocelyn Augustino, FEMA News

p-141
他にもペンタゴンは、ミサイル飛来をカムフラージュする騙しのレトリックとして、実にさまざまな演出効果を仕込んでいた。たとえば衝突直後にペンタゴン炎上で立ち上った火玉は火炎放射器で人工的に作られたものだが、そのため建物正面にはそれを隠しておくためのケーブルリールがわざと置かれた。なぎ倒されたとされる街路灯や炎上した発電機ユニットは、超低空で飛行してきたように見せかけるため時限式爆弾によって破壊されたもの。ペンタゴン建物内にもあらかじめエンジンのブレード部品(もっともボーイング757-223型機ではなく737型機のものだったが)やランディング・ギアなどを搬入しておき、衝突直後、消防レスキュー隊よりいち早く駆けつけたFBIエージェントによって人の手で持ち運べる大きさの残骸だけを現場付近にさりげなく配置(および回収)しておくことも怠りなかった。事件後ほどなくして「復旧作業」と称して無傷だった芝生の上へ砂利と砂が撒かれ敷きつめられたが、むろんこれもWTCビル同様、爆薬による痕跡が降灰や土壌から検出されたり、染み込んだ亜硝酸塩が芝生に異様な変化を生じさせてしまうことを恐れての後処理にすぎない。ここでも証拠保全・現場検証はないがしろにされたわけである。
Source: Citizen Investigation Team
Enlargement (2.2MB) | Source: Robert Houlihan, U.S. Navy

p-142
しかし完璧に隠しおおせたつもりが、あえなくペンタゴンは墓穴を掘ることになってしまう。「治安上の理由から」報道陣は現場への立ち入りを一切禁止され、撮影すら許可されなかったが、その後メディア向けに公表された事件直後の現場写真を確認すると、ほぼ100トンはあるはずの機体残骸や破片、乗員・乗客の遺体はどこにも見当たらない。不燃素材の座席や超耐熱合金でできたジェット・エンジンのタービンブレードすらもない。加えて巨体の旅客機が衝突し激しく炎上したにしては建物にそれほど損壊が見られず、たとえばオフィスのPCモニターやファイル・キャビネット、木製デスク、木製スツールに開かれた状態で置かれた本など、ダメージを受けた形跡すらない。しかもダメージを受けた建物の破壊痕というのがわずかに1階部分のみで(上層階はその40分後に崩落)、よく見ると柱もしっかりと残されている。ウイングスパン124フィート(38メートル)はある主翼が激突したのであれば、報告されている77便の飛行経路上に今もそびえ立つヴァージニア州運輸局(VDOT)のアンテナ塔はなぎ倒されてなくてはならないし、幅62フィート(19メートル)ほどの損壊痕とも一致しない。地面すれすれの超低空飛行だったにもかかわらず、正面の芝生には地表をこすったような傷跡も、燃料の延焼やエンジンの高温噴出による焼け焦げた変色もまったく見当たらないのである(Pilots For 9/11 Truth, "Arlington Topography, Obstacles Make American 77 Final Leg Impossible")。

p-143
元米陸軍防空部隊将校大尉および元NORAD戦術空軍(TAC)ディレクターで、その後ゼネラル・エレクトリック社のタービン(ジェット)エンジン事業部シニア・マネージャーを経て、タービン・テクノロジー・サービス社(TTS)の創業者兼CEOとなったダニエル・デイヴィスはこう疑問を呈している、「9/11で墜落した航空機4機とも、ハイテクで超耐熱合金のエンジンが衝突や火災によって完全に破壊、燃焼、粉砕もしくは熔解してしまうなどということはありえないと保証できる。破損はありえるにしても、破壊されるということはない。それら全機のエンジンはいったいどこへ? とりわけペンタゴンのは? もし9/11でジェット機が墜落したのなら、エンジン、主翼、尾翼がそこにあるだろうに」(Patriots Question 9/11, op. cit., "Twenty-five U.S. Military Officers Challenge Official Account of 9/11")。当局の見解によれば、犠牲者の遺体は炭化状態で「発見」され、米軍病理学研究所(AFIP)のDNA鑑定により犠牲者189人のうち184人の身元が「特定」したという。燃焼温度の低いジェット燃料の火災で機体やエンジンが消滅することなどありえないとすれば、それらはほぼ原形を保った状態で発見されてしかるべきである。仮にアルミ合金やチタン合金を蒸発させるほどの高熱が発生していたとするなら、人骨も残らず、識別できる身元確認はおろかDNA検出すら困難を極めるだろう。元海軍将校で精神科医のトーマス・R・オルムステッド博士は、「情報自由法」(FOIA)に基づく開示請求により、アメリカン航空77便の搭乗者リストおよびAFIPの検死リストを入手して確認したが、そのどちらにもアラブ人の名前は見当たらなかったと報告している(Global Research, "Autopsy: No Arabs on Flight 77")。
Sources: Silent But Deadly

p-144
アーリントン地区の消防局長エド・プラウアーは後日開かれた記者会見の席上で、あるジャーナリストが質問した機体の残骸の行方についてこう答えている、「まず初めに航空機に関しての疑問だが、消火活動をしている時に小さな破片はいくつか見つかったが、とくに大きなものは見当たらなかった」「言い換えるなら、機体の胴体部分やその類いのものはなかったということだ」「あなたも知ってのとおり、それについて私はコメントしたくない。航空機が接近し現実に何が起こったのかは、多くの目撃者から聞いた方がより良い情報を得られるのではないか。そういうわけで私たちは何も知らないし、私にも分からない」と言葉を濁し、ついでジェット燃料はどこにあるのかとの問いには「航空機の機首だろうとは思うが、ちょうどそこの水たまりがそれだと私たちは信じている」と述べた(Asile utopique, "Pentagon - Hunt the Boeing! And test your perceptions!")。またペンタゴン作戦研究アナリストのウィル・ジャーヴィスは突入した航空機を見ようと探してみたが、「何も残っていなかった。焼却されていた。尾部とか翼とか何かを見つけ出すことすらできなかった」と証言する(Univ of Toronto Magazine, "Testimony to Tragedy")。

p-145
そしてこれら証言の信憑性は、事件当日のCNN報道によっても裏付けられる。ペンタゴンからの実況中継で、CNN軍事専門記者のジェイミー・マッキンタイアはこうリポートしていた、「間近で観察したところでは、ペンタゴン付近のどこにも航空機が墜落したという証拠は見つかりません。唯一の形跡は実際に衝突した建物の辺りですが、申し上げたように、手で拾える程度の小さな破片ぐらいしか見当たりません。巨大な機体尾部、主翼部、胴体もなければ、ペンタゴンに丸ごと航空機が側突して崩壊を生じさせたことを示すようなものは現場周辺のどこにもないのです」(TheWebFairy, "From my close-up inspection, there's no evidence of a plane having crashed anywhere near the Pentagon. The only site, is the actual side of the building that's crashed in. And as I said, the only pieces left that you can see are small enough that you pick up in your hand. There are no large tail sections, wing sections, fuselage, nothing like that anywhere around which would indicate that the entire plane crashed into the side of the Pentagon and then caused the side to collapse." by Jamie McIntyre- MP3 Audio)。

p-146
事件から3日後の9月14日にようやく「発見」されたブラックボックスは解析のためFBIへ送られるも、そのままお蔵入りに。ミュラーFBI長官は「FDRからは高度、スピード、飛行方向、その他の情報を得られたが、CVRの方は何も有益な情報がなかった」と、ラムズフェルド国防長官は「CVRの音声記録データは回復できなかった」とだけコメントした *10 (9-11 Review, "Flight77BlackBoxes")。
*10 2006年8月「9/11の真実を求めるパイロットたち」は、FOIA開示請求によってそのブラックボックスのデータをNTSBから入手した。FBIがでっち上げたFDR記録を基にNTSBはわざわざ飛行経路をシミュレートした「アニメーション」まで作成するほどの凝りようだったが、それらのデータを検討すると、高度や突入角度から公式の飛行経路とはかけ離れ、街路灯はなぎ倒されもせず、ペンタゴンへの突入すら不可能と結論づけるものだった(Pilots For 9/11 Truth, "American 77 <Pentagon>)。

p-147
また事件から約半年後の2002年3月7日になって、ペンタゴン敷地内駐車場にある監視カメラの「連続写真」が公開されたものの、なぜか9月12日付に変更されたその5枚の“CG合成画像”(炎や影はドローイングツールで描かれた)は、19秒のコマが2つある代わりに20秒のコマは抜かれており、激突した瞬間をとらえた肝腎のコマはおろか、どのコマからも全長155フィート(47メートル)はある巨体の機影を見出すことはできない。そればかりか、航空機が激突したにしては不自然な点も見受ける。そもそもジェット燃料はその成分が灯油系のケロシンで引火性は低く、爆発燃焼するガソリンとは特性が異なる。つまり炎上することはあっても、黒煙を立ち上げ激しく爆発するということはない。おまけに燃料タンクは主翼部分に積まれており、主翼の損壊が痕跡として見当たらない以上、爆発の要因がケロシンでないことは歴然としている。ペンタゴンはこの連続写真の出所について、「ペンタゴンが公式に発表したものではない」「それが監視カメラからのものなのか確認することはできなかった」 *11 とはぐらかしているが、イカサマ(Fake)だということをきちんと心得ているのだろう(Washington Post, "New Photos Show Attack on Pentagon"/9-11 Research, "Pentagon Attack Frame-Up"/Silent But Deadly, "Flight 77 - Pentagon Event - 3d Test")。
*11 2006年5月16日ペンタゴンは、駐車場の監視カメラ2台による「ビデオ映像」を正式に公開した。しかし先の「連続写真」と同じく、ボーイングの機影を判別することはできなかった(Judicial Watch, "Defense Department Releases Two Videos of Flight 77 Crashing Into Pentagon")。

p-148
また何とも手回しが良すぎることに、ペンタゴン近くのガソリンスタンドに設置されていたCCTVカメラは衝突後「数分以内に」FBIが訪れ押収していき(給油所所長ホセ・ヴェラスケスの証言)、同じくシェラトン・ナショナルホテルのCCTVカメラもFBIが捜査の名目で押収、ともに非公開のままである。押収したテープの情報公開についてFBIは、「法の執行手続の妨げになると合理的に予測されうる場合」や「個人のプライバシーに対して不当な侵害となることが合理的に予測されうる場合」に該当するとの合衆国法典第5巻第5章552条の例外条項を楯に情報開示を拒んでおり、シェラトン・ナショナルホテルのテープに関しては「記録がない」と回答している。ペンタゴンとその周辺に配置された監視カメラは全部で85台あるが、そのうち激突した現場を捉えていたものは13台。残る11台のテープについてFBIは未だ公表を差し控えている(Flight 77.info/Pentagon Research, "Video Evidence")。
Flight77 Passengers

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完全な航空管制記録、搭乗客を特定する空港の監視モニターおよび搭乗者リストなどオリジナル・データの情報公開が何ら行われていない現状で、CNNが報じた「犠牲者名簿」は、不自然なほど政府や軍の関係者が異様に目立ち、乗客率も18%〜44%(4機の総定員数762人に対して総乗客数は232人で平均空席率70%)と低く、行方不明者や死亡者の事前リストアップ、捏造工作を疑ってしかるべき用意周到な人選を伺わせるものであった(9-11 Review, "Passenger List")。たとえばペンタゴンに激突したとされる77便を操縦していたチャールズ・F・バーリンゲーム機長は元米海軍F-4戦闘機パイロットで、偶然にもペンタゴンの激突したそのエリアで海軍予備役将校として対テロ戦略に従事、民間旅客機がペンタゴンに激突したケースの緊急対応プラン策定にも携わっていた(Newsday, "Charles 'Chick' Burlingame III"/GoOff.com, "Feature: The U.S. Government, Not the Hijackers, 'Chose' the Date of the 9-11 Attacks")。また同機の不自然な乗客の1人に、元米海軍少将のF-8戦闘機パイロットで元アメリカン航空機長でもあったウィルソン・F・フラッグが乗り合わせ、彼もペンタゴンで海軍作戦副部長として勤務していた。そしてもう1人の不自然な乗客バーナード・ブラウン・ジュニアは搭乗する前に父親から「死を怖がらなくていいんだよ、いつかみんな死ぬんだから」と死へのアドバイスを受けていた。その父親というのが海軍曹長で、やはり彼もペンタゴンの激突したそのエリアに勤務しており、その日はゴルフでたまたま非番だったという(MSNBC News, "Terror's youngest victims")。つまり77便には、「ハイジャック犯」を除く乗客59人のうち、政府および防衛関係者21人、軍歴のある者10人、海軍出身者7人、と半数以上を占める38人もの政府・軍関係者が乗り合わせていたわけである(Killtown, "Did Flight 77 really crash into the Pentagon? - Unusual passengers...")。

Flight 11
Of the 92 people who are listed as dying on this flight, only 20 are
listed in the SSDI (22%)
Of these 20 people, only three are on the 9-11 Compensation Fund list

Flight 77
Of the 64 people who are listed as dying on this flight, only 14 are
listed in the SSDI (22%)
Of these 64 people, only five on the 9-11 Compensation Fund list

Flight 93
Of the 45 people who are listed as dying on this flight, only 6 are
listed in the SSDI (13%)
Of these 45 people, none are on the 9-11 Compensation Fund list

Flight 175
Of the 65 people who are listed as dying on this flight, only 18 are
listed in the SSDI (28%)
Of these 65 people, only three are on the 9-11 Compensation Fund list

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この「犠牲者名簿」の信憑性のなさは、社会保障死亡者索引(SSDI)からも伺える。米独立系メディアWing TVスタッフのヴィンセント・サンマルティノが行った調査によると、死亡したとされる全機266名のうち、実際にSSDIデータベースに名前の登録があったのは58人だけで、しかも「9-11犠牲者遺族補償基金」に申請している遺族はわずか11人だけだったという。「9-11犠牲者遺族補償基金・最終報告書」によれば、補償基金を受け取った割合は98%で、平均して約180万ドル支払われたという。だがサンマルティノは、この報告書には実際に基金を受け取った人々の完全なリストが省かれているとし、興味深い米政府のデータを併せて紹介している(Wing TV, "The 9-11 Passenger List Oddity")。
Out of a total of 92 people on Flight 11, only 65 accepted the 9-11 fund (71%)
Out of a total of 64 people on Flight 77, only 33 accepted the 9-11 fund (52%)
Out of a total of 45 people on Flight 93, only 25 accepted the 9-11 fund (56%)
Out of a total of 65 people on Flight 175, only 46 accepted the 9-11 fund (71%)

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なお付け加えておけば、事件当日の朝、ペンタゴンの食堂でラムズフェルド国防長官とミサイル防衛について話し合っていたカリフォルニア州選出の共和党下院議員クリストファー・コックスは、WTCビル攻撃の一報が入った後にラムズフェルドが「もう1つ事件が起こされるだろう」と予言めいた言葉をしきりに強調し繰り返していた、と述べている(Topeka Capital Journal, "There will be another event." by Donald H. Rumsfeld)。ちょうどペンタゴンが攻撃されていた最中に爆破されたエリアとは反対側の執務室に「待避」していたラムズフェルドは、そのわずか5時間後の午後2時40分にはイラク攻撃のためのプランを側近に提示していた。サダム・フセインが事件に関与しているという証拠が何もなかったにもかかわらず、である *12 。その側近が書き記したノートによれば、彼はこう発言したという、「徹底的にやれ。何もかも一掃しろ。関係があろうとなかろうとだ」(CBS News, "Go massive. Sweep it all up. Things related and not." by Donald H. Rumsfeld/Philadelphia Daily News, "Invading Iraq not a new idea for Bush clique 4 years before 9/11, plan was set")。そしてあろうことかラムズフェルドは、インタヴュー中についうっかり口を滑らせてもいた… 2001年10月12日には「ミサイルがこのビルにダメージを与えた」、そして2004年12月24日には「ペンシルヴェニア上空でその飛行機を撃墜した」とも(DoD News, "the missile to damage this building" by Donald H. Rumsfeld/CNN, "shot down the plane over Pennsylvania" by Donald H. Rumsfeld)。
*12 9/11調査委員会は2004年6月16日、イラク・フセイン政権がアル・カイダの米攻撃を支援した確たる証拠はないとする報告を発表。ついで米上院情報特別委員会も2006年9月8日、サダム・フセインとアル・カイダのリーダーらが連携していたというまっとうな根拠は見当たらないと報告。ついにはペンタゴンも2008年3月13日、イラク当局とアル・カイダとの関係を示す決定的な証拠は見つからなかったとする米統合軍司令部作成の報告書を発表した(Washington Post, "Al Qaeda-Hussein Link Is Dismissed"/BBC News, "Saddam 'had no link to al-Qaeda' "/CNN, "Hussein's Iraq and al Qaeda not linked, Pentagon says")。
Source: North Dakota State
Source: 911 Research
Source: Webfairy 911 Memorial
Source: Mark Stahl
Source: Tim Shaffer/Reuters

p-152
はからずもラムズフェルドが「白状」したとおり、ペンシルヴェニア州サマセット郡ピッツバーグ近郊のシャンクスヴィルで墜落したとされる「ユナイテッド航空93便」は、追尾していたノースダコタ州空軍第119戦闘航空団3機編成F16「ハッピー・フーリガン」の発射したサイドワインダー・ミサイル2発によって撃墜されていた。テレビのニュース速報も「93便は軍用ジェット機によって撃墜された」と伝えてはいたが、何より「戦闘機を目撃した」「ミサイルの発射音を聞いた」「大きな爆発音を聞いた」「空から飛行機の破片が落ちてきた」といった多くの住民たちの証言、そして隣村インディアンレイクの村長バリー・S・リヒティは「自宅上空でミサイル音のようなけたたましい轟音が鳴り、その直後に爆発音と震動があった」と元米海軍べテランとしてミサイル飛来を確信、シャンクスヴィルの村長アーネスト・R・ストゥールも「名前は出せないが、ミサイル音を聞いた人間を2人知っている」「F16軍用ジェット戦闘機が最接近していた」と証言した(Killtown, "Flight 93 Witnesses")。ストゥール村長は2003年3月、ドイツのテレビで「(現場に)航空機はなかった」と発言しているが、彼以外にも現場を捜索したサマセット郡検視官ウォレス・ミラーの「そこ(現場)に遺体はなかった。まったく目に見えるものは何もなかった。とても奇妙に感じた」、FOXニュース地元支局リポーターがインタヴューした写真家クリス・コニキの「何もなかった。飛行機がそこに墜落したと識別できるものは何もなかった」などの重要な目撃証言がある(Philadelphia Daily News, "We know it crashed, but not why"/Killtown, "Pennsylvania - Hunt the Boeing II Shanksville edition!"/American Free Press, "9-11 Mysteries Remain")。さらに機体の残骸・遺留品などが8マイル(13キロメートル)にわたって広範囲に散乱し、エンジンの1つが600ヤード(548メートル)離れた先で発見されたことは、空中で撃ち落とされたことの有力な状況証拠と言える(United Flight 93 Crash Theory, "How Did United Flight 93 Crash?"/Killtown, "Did Flight 93 Crash in Shanksville?"/Idaho Observer, "Was United Airlines Flight 93 Shot Down By U.S. Fighter?")。

p-153
だがそれを決定的なものにしたのは、「93便」を撃墜した当のパイロット、「ハッピー・フーリガン」のリック・D・ギブニー少佐の名前が特定できたことだ。しかしギブニーは撃墜命令に従っただけで、彼に選択の余地などなかった(撃墜命令を下したのはチェイニー副大統領)。彼は元米空軍部隊大佐グラン・プレとの面談で「93便」を撃墜したことを率直に認めた。グラン・プレ元大佐が語ったところによれば、「ハイジャック犯」は誰ひとり搭乗しておらず、墜落時にはみな意識を失っていたはずだという。事件から1年後の2002年9月11日(愛国者の日)、ギブニーはノースダコタ州知事から航空兵勲章のメダルを授かったが、いったいどのような「英雄的行動」で表彰されたかは不明である。その後中佐へと昇進した彼が口外することは決してなかった(Prison Planet.com, "Transcript: Alex Jones Interviews Col. Donn de Grand-Pre, U.S. Army <ret.>: Explosive New 9/11 Revelations and Explanations"/Infowars.com, "Flight 93 Shootdown Pilot Identified"/Pirate News, "United Airlines Flight 93 Shot Down")。

p-154
いわゆる英雄的美談として広く知れわたっている機内の乗客とのやりとりは、「乗客の抵抗によって勇敢にも阻止された」ことに仕立てるための捏造された作り話にすぎない。遺族らが証言する機内からかかってきたという乗客の声には、第三者によって地上の別の場所から送信された、当人の声と遜色ないヴォイス・モーフィング技術による音声合成(米ロス・アラモス研究所が1999年に開発)が用いられた。事前にある特定のターゲットの声をサンプリングしておき、コンピューター・ソフトウェアを使って人間か機械か判別できないまでに自然でリアルな音声を合成技術で作り上げることはすでに可能となっている。幸いにして電話音声の場合、ことさら高い精度でなくてもノイズや歪み、周波数帯域の狭さによる不明瞭な音質のため音声合成と悟られず、もっともらしく流暢に操ることができる。このテクノロジーを巧みに操った典型例が、オサマ・ビン・ラディン没後、アル・カイダやオサマの犯行声明としてしばしば公開されている出所不明の音声テープなるもの。「本物と認証できた」とCIAは解析しているが、それらのほとんどをメディアに提供している米テロ情報収集企業インテルセンター(IntelCenter)とは、ラムズフェルドの側近として米陸軍およびDIA心理作戦(PSYOPS)担当官だったジム・メルニックをはじめ米諜報機関の専門家たちが多数天下って配属された米ネット犯罪監視企業アイディフェンス社(IDEFENSE)の子会社であり、インテルセンターCEOのベン・N・ヴェンツケもかつてはアイディフェンス社で情報担当ディレクターとして従事していた。つまりは音声テープの捏造など、彼らが得意とするプロパガンダの手法で過去の音声ファイルから合成してしまえば造作もない(911Lies.org, "Fake Cell Phone Calls"/Physics911, "The Cellphone and Airfone Calls from Flight UA93"/Infowar.com, "Scientists Look to Combat Cyber-terror"/Infowar.com, "Al Qaeda Tapes: Direct Link To Military Psyops And Donald Rumsfeld")。

p-155
ユナイテッド航空93便の乗客マーク・ビンガムは、機内から母親アリス・ビンガムに携帯電話をかけたとされている。母親はそれが自分の息子の声だったことを確認しているが、その時に彼はこう話し始めた、「やあママ、マーク・ビンガムだよ」(Hi, Mom, This is Mark Bingham!)。しかし自分の母親に電話をかける際にわざわざフルネームで、ラストネーム(姓)まで名乗るものだろうか? 続けてマークは「愛してる、と知らせたくて。僕はニューアークからサン・フランシスコへ向かう飛行機に乗ってる。飛行機を乗っ取った奴らが3人いて、爆弾を持ってると言うんだ」と話すと、母親は「そいつらは誰なの?」と問いかけるがマークはそれに答えず、しばらく間があって「僕を信じてくれるよね?」と切り出した。母親が「もちろんよ、マーク。信じてるわ。でもそいつらはいったい誰なの?」ともう一度問いかけると、しばらくして電話は切れた(BBC News, "Alison Hoglan interview transcript")。

p-156
アメリカン航空11便の客室乗務員マデリン・エイミー・スウィーニーは、ボストンにいるアメリカン航空フライトサービス・マネージャーのマイケル・ウッドワードに電話交信で連絡をとり「飛行機がハイジャックされた」「ハイジャック犯は中東系の4人」と彼らの座席番号まで克明に伝えてきたとされるが、しかしFBIが公表した人数は4人ではなくて5人で、スウィーニーが伝えた座席番号は「ハイジャック犯」の名前で登録されたものとは違っていた。FBIエージェントがウッドワードに確認したところ、スウィーニーは携帯電話でかけてきて会話に費やした時間は途絶えるまで23分間にわたったという(Los Angeles Times, "Aboard Flight 11, a Chilling Voice"/BBC News, "The last moments of Flight 11")。

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セオドア・B・オルソン法務次官(2000年大統領選でブッシュ陣営の首席弁護人を務め「右腕」として貢献した)の妻バーバラ・K・オルソンは、政府改革&監視委員会の首席法律顧問を経てCNNコメンテーターや評論家として活躍、その彼女がアメリカン航空77便の機内から2度にわたり司法省にいる夫に電話をかけてきたのは有名なエピソードである。もっとも夫オルソンは当初CNNに「携帯電話で2度かけてきた」と話していたが、後になって「機内の座席電話からコレクトコールで2度かけてきた」と前言を翻している。だが、クレジットカードの必要な座席電話からコレクトコールでかけたことの不可解さは否めないばかりか、アメリカン航空の公式サイトで確認したところ757型機(77便)には座席電話がなく、同社の顧客サービス窓口へ問い合わせてみると「さようです、弊社のボーイング757型機に電話は設置されておりません」との返答だった("That is correct, we do not have phones on our Boeing 757." by American Airlines - Customer Relations)。加えて司法省下のFBI自身が、バーバラがかけてきたとされる機内からの発信は一度だけ確認されたが「接続不通」(Unconnected Call)だったと報告している。そんな疑惑の渦中にジャーナリストのトム・フロッコは、「墜落死」したはずのバーバラはバチカンの偽造パスポートとイタリア・リラの偽造通貨所持の偽造罪によりポーランドとドイツの国境で数日前に逮捕されていたと2005年9月22日付のスクープ記事で報じ、物議をかもした(Vialls Investigations, "Mother of All Lies About 9/11- Barbara Olson's 'Phone Call' From Flight 77"/Global Research, "Ted Olson's Report of Phone Calls from Barbara Olson on 9/11: Three Official Denials"/Tom Flocco.com, "9-11 crash victim Barbara Olson arrested in Europe")。

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はるか高度3万5000フィート(1万メートル)上空を飛行する航空機の機内から最大5ワット(標準で3ワット)の送信パワーしか持たない市販の携帯電話でかけたとしても、クリアな通話品質どころか、性能限界から高速移動するスピードに対応できず送信を完了できないため、セル内の基地局につながることはない。携帯電話の指向特性からも物理的に通話不能である。加えて航空機の機体には電波を遮断もしくは減衰させるシールド効果(Faraday
Cage)が働いている。西オンタリオ大学コンピューター・サイエンス科名誉教授(専門は離散数学と計算機科学)で数学者・環境科学者のA・K・デュードニー博士は「飛行中の旅客機から携帯電話がかかってくるなんて本当にありえるのか?」と疑問を呈し、2003年1月から4月にかけてチャーター機を使って自ら数回の検証実験を行った。そのデータ解析から、3万5000フィート上空どころか、その1/4にも満たない高度8000フィート(2400メートル)時点で通話不能に陥ることが証明され、こう結論を下すに至った、「2001年9月11日、“ハイジャックされた”民間旅客機から相次いで携帯電話がかかってきたと言われているが、それは不可能なことだ」(Feral News, "Ghost Riders in the Sky - and alternative 9-11 scenario" by Professor A. K. Dewdney/Feral News, "Media Release - Professor says 9-11 Cellphone Calls 'Impossible'")。米大手通信会社AT&Tのスポークスマン、アレクサ・グラフの見解によれば、もともと携帯電話は「航空機の巡航高度からコールするためのものとして設計されていない」「コールが送信先に届いたとしたら、それはまぐれ(Fluke)だ」という。イリジウムの衛星携帯電話なら話は別だが、航空機から携帯で通話できる技術はまだ開発されてもいなかったのである、2004年7月15日アメリカン航空と米クアルコム社が「航空機から携帯で通話できる技術を開発、将来的に実用可能」と発表するまでは。2006年3月、ようやくアメリカン航空は「来年(2007年)から機内で携帯電話を使えるサービスを提供できるようになります」と発表。するとFBIは同年に提出したレポートで、4機から受けた通話のうち携帯電話はそれまで15回あったものがわずか2回のみに、あとの35回はすべて機内電話によるものとこの期におよんで“軌道修正”を行った(Primedia 'Wireless Review', "Will rules change concerning wireless calls on planes?"/QUALCOMM, "American Airlines and QUALCOMM Complete Test Flight to Evaluate In-Cabin Mobile Phone Use"/USA Today, "In-flight cell phones 'worked great' in test"/Global Research, "Phone Calls from the 9/11 Airliners")。

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当然、電話会社からの請求書に携帯電話の記載はなく、電話会社が傍受したとされる通信記録は抹消(アメリカの通信記録はイスラエルの通信サービス企業アムドクス社がほぼすべて管理している)、航空交通管制との交信記録テープはFBIによって押収され非公開。後日ロイター通信が報じたところによれば、「ハイジャック機」の管制記録テープは2001年12月から2002年1月の間に、FAA品質保証マネージャーであるケヴィン・デラニーの手によって入念に破壊・破棄されたという(Reuters, "Poor Judgment Cited in Destruction of 9/11 FAA Tape"/Washington Post, "FAA Managers Destroyed 9/11 Tape"/Washington Post, "Controllers' 9/11 Tape Destroyed, Report Says")。さらに墜落現場はフェンスで完全隔離、報道陣をはじめ遺族ですら立ち入ることを禁止され、厳重に情報統制された。現場は今も立ち入ることを禁止されている。通常はNTSBが担当することになっている機体の残骸や遺留品、ブラックボックスの回収にはなぜか今回FBIが特別に当たり、発見されたCVRは比較的損傷が少なかったにもかかわらず非公開扱いされた。2001年11月12日ニューヨーク市クイーンズ地区の住宅街に墜落したアメリカン航空587便のケースでは事故後36時間以内にCVRの詳細な情報が公表された、というのにである。ようやく2002年4月18日になって「遺族にのみ限定公開」されたが、前もって遺族にはFBIや司法省を告訴しないという誓約書への署名とメディアへ口外しないことを約束させた上で公表されたテープは、音質が相当ひどく音声も大半が理解不能で、しかも決定的な最後の3分間は音声が途切れ「無音」だった。93便は午前10時03分に墜落したとNORADは主張し公式見解になっているが、コロンビア大学LDEOとメリーランド地質調査所が観測した地震計だけは東部夏時間で午前10時06分05秒に地震波の揺れを記録していた(Philadelphia Daily News, "Three-minute discrepancy in tape"/9-11 Research, "Seismic Observations during September 11, 2001, Terrorist Attack")。

p-160
なお付け加えておけば、「93便」犠牲者の追悼式を主催したペンシルヴェニア州知事のトム・リッヂは、ヴェトナム戦争時、特殊工作部隊のスナイパーだった経歴を持ち、2001年10月、ホワイトハウスに設置されたテロ対策強化・統括の国土安全保障局(OHS)初代局長に任命され、その翌年には国土安全保障省(DHS)初代長官に昇格、就任した。ブッシュ大統領とは長年の盟友である。
Father to Son at the 9/11 Memorial Service | Source: AP
President George W. Bush and Saudi Crown Prince Abdullah

p-161
今回の事件で、WTCビルの安全管理責任者だったジョン・P・オニール(元FBIニューヨーク支局国家安全保障担当特別捜査官=写真)がビル倒壊の犠牲となり亡くなった。因縁というべきか、彼はFBI勤務時代、地下駐車場に仕掛けられた爆弾で多数の死傷者を出したWTCビル爆破事件(1993年2月26日)の首謀者とみなされたアル・カイダとオサマ・ビン・ラディンを捕獲するプロジェクト・チーム「ランボー」のチーフだった。彼ほどアメリカの石油利権とビン・ラディン家との深い因縁について知りすぎるほどよく知っていた人物もいない。生前彼は、アル・カイダの捜査で最大の障害は「サウジアラビアと石油」と告白している。また、「国務省は国益を優先、FBI上層部も捜査にストップをかけた」「ジョージ・ブッシュがアル・カイダへの捜査を妨害していた、石油のために」とも吐露していた。

p-162
オニールにはすっかり分かっていた、最大の障害がサウジと密接な利害関係にあるパパ・ブッシュと、その息子が大統領のブッシュ政権にあったということを。利権を優先するあまり、ビン・ラディン一族、サウド王家、パキスタンの核兵器入手に絡むサウジ・リンクなどの調査から手を引くよう圧力をかけ妨害していたのは、ほかならぬ“身内”だった。そのためCIA、DIA、FBIのいずれもが「199-I」と呼ばれる極秘メモによってサウド王家の捜査から一切手を引くよう指示通達を受けていた。「テロ実行犯」と名指しされた19人のうち15人までがサウジアラビア国籍だというのに、そのサウジアラビアには一切手を付けなかった(報復しなかった)のもこれで理解できる。2001年8月22日、オニールは「国益に反する」として自らFBIを依願退職し、翌月にはクロール・アソシエーツのマネージング・ディレクター、ジェローム・M・ハウアーの手引きでWTCビルへ再就職するが、その仕事の初日を迎えた9月11日、彼らの「牙城」で二度と帰らぬ人に…。「死人に口なし」とはよく言ったものである(Guardian,"FBI claims Bin Laden inquiry was frustrated"/BBC News, "Greg Palest report transcript - 6-11-01"/Greg Palast Web Site, "September 11: What You 'Ought not to Know' Document 199-I and the FBI's Words to Chill the Soul"/Salon.com, "Bush, oil and the Taliban"/PBS Frontline, "the man who knew" 邦題は『9-11テロを予言した男』)。

p-163
しかし消されたのはオニールだけではなかった。WTCビル1号棟の22階〜24階にはFBI資料分析センターが置かれていたが、どういうわけか航空機が突入した高層階から70階も下に位置している、そのFBIオフィスまでが破壊を受けたという。2号棟の倒壊後、1号棟の港湾管理局指令センターから救助を求める連絡を受けたオニールは、いったん34階のオフィスから外に出て難を逃れていたものの、ふたたび消防士とともに22階のFBIフロアへ行き、瓦礫の中に閉じ込められていた数人の職員を掘り出し救出しようとしていた。実はそのFBIオフィスには犯罪捜査に関する機密ファイル、とくにカザフスタンとイランに対してエクソンモービルとBPアムコが関与した違法なオイル・スワップ取引の犯罪、米連邦準備制度理事会(FRB)議長のアラン・グリーンスパン、モルガン、ゴールドマン・サックスに対して申し立てられた金価格固定を図った取引操作の犯罪、それら連邦大陪審に告発された重要な捜査記録が保管されていたのだが、まったく7号棟のケース同様すべて灰燼に帰し証拠隠滅された。むろんカザフスタンの石油諮問委員会メンバーでもあったチェイニー副大統領がフィクサーとして仕切っていたのは疑うべくもない(Dick Eastman's hypothesis on 911, "Statement: Frame-up/Cover-up Explanation of the WTC Crashbombings"/Online Journal, "Big Oil, the United States and corruption in Kazakhstan"- PDF Document)。WTCビルをターゲットにした第三の理由は実にここにあったわけだが、その一方で、さすが抜かりなくWTCビル地下のFRB金庫室に保管されていた1670億ドルのゴールド・バーは、9月11日の朝方、2台のトラックでこっそり搬送されていた(IANews, "Caller tells of World Trade Center gold movement on morning of 9-11"/Four Winds, "Bush Secretly Permits The Queen To Steal US Gold")。
U.S. President George Bush, addressing a joint session of Congress on Sept. 11, said the Persian Gulf crisis "offers a rare opportunity to move toward an historic period of cooperation. "A New World Order can emerge freer from the threat of terror, stronger in the pursuit of justice and more secure in the quest for peace." (Transcript, "Toward a New World Order" by George H. W. Bush- MPEG Movie)

p-164
最後に再び繰り返すが、この軍事テロ作戦は彼らのシナリオどおり綿密な計画のもとに遂行された。ミスディレクションに翻弄された愚昧な民は相も変わらず「反テロ」の幻影を追わされ、他方で彼ら一握りの権力者の意のままに世界は動かされ、無事安泰の夢を見ることができるというわけである。

p-165
元民主党上院議員でCFRメンバーのゲイリー・ハートは2001年9月14日、ワシントンDCで開かれたCFRのミーティングでこう語った、「アメリカの大統領にとってこの(9/11の)惨事の利用はまたとないチャンスだ、彼の父上(パパ・ブッシュ)が一度だけ使ったフレーズ『新たな世界秩序』(New World Order)を遂行するうえで」("There is a chance for the President of the United States to use this disaster to carry out what his father - a phrase his father used I think only once, and it hasn't been used since - and that is a new world order." by Gary Hart- MP3 Audio)。
Aaron Russo and Nicholas Rockefeller

p-166
ロックヴェスト・グループおよびロックフェラー・パシフィックの相談役でCFRエリート幹部の国際弁護士ニコラス・ロックフェラー(=写真右)は事件の11か月前、親交のあったハリウッド映画ディレクター、プロデューサー、ドキュメンタリー映画『アメリカ:自由からファシズムへ』(America:
From Freedom to Fascism)監督のアーロン・ルッソ(=写真左 2007年8月24日逝去)にこう漏らしていた、「ある事件が起きることで、われわれはアフガニスタンに侵攻し、カスピ海へパイプラインを通すことができるようになる。石油を手に入れるためにイラクへ攻め入ることもできる。そして中東に拠点を設け、そこを『新たな世界秩序』の一部に組み入れる。その後はヴェネズエラを狙うつもりだ。この事件から火ぶたが切られることになるだろう」(Jones Report, "Rockefeller Predicted 'Event' To Trigger War Eleven Months Before 9/11"/Jones Report, "Nick Rockefeller Revealed Elite Agenda to Aaron Russo During Friendship")。「要するに、十分なほど富と権力を握っている君たちにとっていったい何のメリットがあり、最終目標は何なのか?」、そうルッソが問いつめるとロックフェラーはこう返答した、「すべてを支配するエリートたちによって統治される社会こそが最良であるとわれわれは確信しており」「最終目標は、すべての人間にマイクロチップ *13 を埋め込んで、社会全体を管理下に置き、銀行家とエリートたちによる世界支配を成し遂げること」であり、「あまりにも増えすぎた世界の人口を削減させることが、グローバル・エリートの根本的な狙い」なのだと。
*13 ペンタゴンでは目下、兵士の脳にマイクロチップを埋め込む計画が進められている。米食品医薬品局(FDA)は2004年10月13日、米アプライド・デジタル・ソリューションズ社(ADS)が開発した「ヴェリチップ」(VeriChip)と呼ばれる体内埋め込みマイクロチップを医療目的での使用にかぎり正式に認可、全米の病院への導入が図られている。またメキシコでは、検事局職員へのヴェリチップ体内埋め込みがすでに採用されているなど、セキュリティ・システムとしての活用も広範に普及しつつある。
VeriChip

p-167
2008年6月、米ヴァージニア州シャンティリーで開かれた「ビルダーバーグ会議」にはデイヴィッド・ロックフェラーやヘンリー・キッシンジャーをはじめ欧米のグローバル・エリートたちが一堂に会し、議題として「対テロ対策」名目のマイクロチップ体内埋め込み計画が討議された(Prison Planet.com, "Rockefeller Admitted Elite Goal Of Microchipped Population"/Prison Planet.com, "Secret Bilderberg Agenda To Microchip Americans Leaked")。

p-168
英紙サンデー・タイムズは2009年5月24日、「グッド・クラブ」(Good Club)と呼ばれる会合が5月5日にニューヨーク・マンハッタンにあるロックフェラー大学総長ポール・M・ナース卿(ノーベル生理学・医学賞を受賞したイギリスの遺伝学者)の私邸で開かれていたと報じた。報道管制を敷き秘密裏に行われたその会合には、デイヴィッド・ロックフェラー・ジュニア、世界一の大富豪ビル・ゲイツ、金融界の帝王ジョージ・ソロス、メディア王テッド・ターナー、世界一の株式投資家ウォーレン・E・バフェットなど米国の錚々たるグローバル・エリートたちが参集し、彼らの富が世界の人口過剰を抑制し健康と教育を向上させていくうえでどのように使えるか検討された(Times, "Billionaire club in bid to curb overpopulation")。

p-169
デイヴィッド(ダヴィデ)・ロックフェラーは自叙伝の第27章「誇り高き国際主義者」の中で確信犯的ともとれる言辞を弄している、「一族と私を“国際主義者”と見なし、われわれがアメリカの国益に反する秘密結社の一員で、世界をより統合的でグローバルな政治・経済の構造、言うなればワン・ワールド構築のために世界中の同胞たちと組んで共謀していると信じる者さえいる。もしそれが罪だというなら、有罪であることを誇りに思う」(Random House, op. cit., Chapter 27. Proud Internationalist, "Some even believe we are part of a secret cabal working against the best interests of the United States, characterizing my family and me as 'internationalists' and of conspiring with others around the world to build a more integrated global political and economic structure - one world, if you will. If that's the charge, I stand guilty, and I am proud of it." by David Rockefeller)。

p-170
その彼が提唱する「新たな世界秩序」、すなわち「世界連合」実現へ向けての「対テロ世界戦争」(Global War on Terrorism)は、彼らの当初のシナリオによれば2008年まで、ないしはそれ以降も継続して展開される手筈だという(Telegraph, "Pentagon warns of war lasting six years"/NCM, "Six-year War Alarms Europeans"/WorldNetDaily, "9-11 beginning of long-term plot?")。そしてその暁の2011年、ベルリン・ユダヤ博物館を手がけたことで知られるユダヤ人建築家ダニエル・リベスキンド基本設計の「フリーダム・タワー」(NYC Freedom Tower 2009年3月「1 WTC」に改称)がWTCビル跡地に完成する、「完全なる自由」の象徴として──
「ここにお集まりの持てる者ともっと持てる者の立派なる皆様。いわゆるエリートと呼ばれるあなた方こそ、私の基盤であります」 ("This is an impressive crowd the have's and the have-more's. Some people call you the elite, I call you my base." by George W. Bush- MP3 Audio | RealPlayer Movie)
─ジョージ・W・ブッシュ(2000年10月19日、アル・スミス ディナースピーチより)
Obediently wearing his Jewish skull cap, then Texas Governor's George Bush prays
at the wailing wall of the Jews in Jerusalem, 1998 Jewish Calendar | Source: Mati Stein, AP

p-171
【江原注】本稿の初出は2002年、補遺改訂により適宜更新されている。なお、内容の一部は消息筋の情報(Informed Sources)を含む。リンク切れ(Dead Link)はあえてそのままにした。本文中の所属・肩書きは事件当時もしくは発言当時のもの。敬称略。


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