陸山会事件公判傍聴記


  第13回(後半)   2011年5月24日    水谷建設元会長が語る「裏ガネ渡しの流儀」

13時30分開廷。証人である水谷建設元会長の水谷功氏が法廷に入る。水谷元会長は大柄でスキンヘッド、黒に近いスーツにピンク色のネクタイという風貌。それにドスのきいた低い声で関西弁を話すので、見るからに親分の風格が漂っていてる。

まずは弁護人による尋問。
(──は弁護人、「」内は水谷元会長、※は筆者注)

── どのようなゼネコンに営業活動をしていたのですか

「だいたい日常の営業活動でどこが(工事の受注に)強いということがわかりますので、そこに営業することになります」

── 水谷建設が受注できる見込みはありましたか

「過去の実績がありましたので、受注をもらえると思っていました」

── スポンサーは誰が決めるのですか

「お客さん(ダムを受注したゼネコンのこと)が決めます」

※「スポンサー」とは、ゼネコンの下請け業者を取りまとめる幹事社のこと。後の証言でも出てくるが、水谷建設は胆沢ダムの工事でスポンサーになりることを目指していて、そのために小沢事務所に営業活動をしていた。

── スポンサーをとることは重要なことなのですか

「我々の中では、サブになることは難しくないです。交渉権のあるスポンサーが金額の設定をしますので、非常に責任感もあります。私ども下請け業界では雲泥の差があります」

── 具体例で言ってもらえますか

「いろいろとありますけど、メリットも多いということです」

── スポンサーになることは仕事にも影響がありますか

「スポンサーになれれば勝ちだし、なれなければ負けです。胆沢ダムでスポンサーになると実績にもなりますし、逆にスポンサーになれないと『水谷建設は力がない』ということになりますね」

■水谷建設の営業活動の実態と裏ガネの手配

※水谷元会長は、胆沢ダムの営業活動では、小沢一郎氏の元秘書である高橋嘉信氏に営業をかけていた。しかし、高橋氏は04年当時はすでに小沢事務所から離れていたため、川村元社長に大久保隆規氏に営業活動をかけるよう指示したという。

── 大久保氏へのあいさつ(営業活動)とは具体的に何をするのですか

「まあ、鹿島建設と水谷建設の間ではスポンサーでの受注の了解ができているので、横槍を入れてほしくないという話ですね」

── 川村元社長はスポンサーをとることが大事だとわかっていましたか

「当然わかっております」

※大久保氏に話題が及んだことで、突然、水谷元会長が被告人席に話しかけはじめる。

「最初に言わないといけませんが、当社のためにご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」

※頭を下げる水谷元会長。突然の謝罪だったので驚いたが、弁護人の質問は淡々と続く。

── 5000万円についてあなたはどう思っていますか

「まあ、大久保さんとそれなりの約束(※スポンサーになる約束のこと)ができたから、そうなんだろうということです」

── 本当にそのお金は大久保氏に渡されていますか

「それはわかりません。私が報告を受けていることと川村君の証言は違いますし、刑務所での検事の取調べの時も『なんだろうな』と思っていました」

── 川村元社長からはこの件について報告を受けていたのですか

「逐一、受けておりました」

── 川村元社長は5000万円を2回渡したと証言していますが

「2回という記憶はないですけど、1億円とは聞いております」

── 04年10月15日に石川氏に渡したとされる5000万円は誰が手配したのですか

「私が手配しました」

■水谷建設の裏ガネ渡しの流儀

※水谷建設は裏ガネ渡しについていくつかのルールを持っていた。そこを弁護士がたずねる。

── あなたはさきほど『スポンサーになることが前提』という話をされましたが、鹿島建設が胆沢ダムの工事を落札できたのは10月8日ですよね。金を渡したのは10月15日で、しかもその後に水谷建設はスポンサーから外れてますよね

「はい」

── あなたは裏ガネを渡すのは『スポンサーになるのが前提』と話しているのに、04年10月15日にはまだスポンサーになることが決まっていないし、その後、スポンサーにもなれていませんね

「川村からの報告で決まったものやと思って、了解しました」

── この段階でスポンサーになれることが決まっていなかったらどうしていましたか

「(裏ガネの)用立てはしません」

── こういうお金は話が成立してから渡すものじゃないのですか

「以前の私の場合は、(裏ガネを渡す)陳情は盆と正月で、それ以外にお願いしたいときは、ちょっと言いづらいけど・・、成功報酬として出していました。自分は親からこういうものなんだという教育を受けてましたので、そうしてました」

── あなたは裏ガネの支出については厳しかったのですか

「社員何百人が稼いできたお金を、価値のない使い方はできません」

── 川村元社長はスポンサーになれなかったとき、水谷建設で労災隠しが発覚したためだという説明をしていませんでしたか

「彼はそういう説明をしないと、(社内が)おさまりませんわな」

── 水谷建設がスポンサーになれなかったとき、あなたは川村元社長にどういう話をしたのですか

「私は川村君に『話が違うやないか』と言ったら、川村君は『名目上は(スポンサーの下請けとなる)サブですが、交渉権は水谷建設にあります』と説明があったんですが、納得がいかなかったので、『大久保さんと合意ができているのならおかしいやないか』と言いました」

── こういう簿外の裏ガネを管理していたのはだれですか

「最終的には管理部長が管理していました」

── 裏ガネの保管場所は

「(桑名市の水谷建設本社の)3階の金庫です」

── 普通の現金の保管場所は

「1階の金庫です」

── 裏ガネの支出を管理するメモはないのですか

「裏ガネは表のカネ以上に厳しく管理していました」

── たとえ裏ガネであっても、もちろんそれは会社にとっては公金ですよね

「はい」

── 管理部長が裏ガネの記録をつけていたのですか

「はい」

── 管理部長は、この法廷で国税が入ったときに処分して、それ以降は帳簿をつけていないと証言していますが

「それはちょっと考えにくいですね。年間でいうと数億というカネが動いていますので、(帳簿は)わかるようにしていました」

※補足。この管理部長は第12回公判で証人として出廷していて、弁護人の『裏ガネの帳簿がありますよね』と繰り返し質問されたが、すべて否定している。

── 脱税事件では裏ガネの帳簿が発見されていないのですが

「・・そんなことも話をしないといけませんか」

── して下さい。お願いします。

「管理部長の責任で動かしました」

── どこに動かしたのですか

「断定はできませんが、(管理部長の)お父さんのところか、社員のところだと思います。金を渡したという証拠がないと渡しは納得できなかったので、(刑務所内で事情聴取を受けたとき)なぜ、中村はそう話すのかなあと検事に話したんです。私が(脱税事件で)逮捕されたときに役員で集まったときも『あれが見つからなくてよかったです』と話していました。その前年にも裏ガネの帳簿が合わなかったときに中村に言ったら『明日、報告します』ということで翌日に本人の勘違いだったとわかったということもありました」

── 政治家に金を渡したことは

「あります」

── そういうときのルールとはどんなものですか

「北海道、東京、九州といろいろありますけど、カネは朝に持って出て、着いた時に渡すことにしていました。当日が無理な場合は、前日に持って行きます。あと、できるだけ第三者に入ってもらうようにしていました」

── 川村元社長は法廷では04年10月15日の午後に大久保の使者である石川に渡したと話しました。川村元社長は、金はその2日前の13日に東京に運んでもらって、しかも見届け人も入れずに渡したということですが

「私とは認識の差がだいぶありますので、これを言うとややこしくなりますので・・」

── というのは

「川村君が出張する前に私に連絡がありまして、出張から帰ってきた翌日に渡すと。それで14日に専務と一緒に渡すよう言ったつもりなんです」

── 川村元社長は一人で渡したと言っていますが、見届け人については

「見届け人は・・いなかったんですかね。ちょっと考えづらいんですけど」

── こういった金を渡す時の配慮は誰が指示したのですか

「川村君にしてみればはじめてのことですので、専務にも行かせたんですけど、そこが不明朗になっています」

── 川村元社長はどのように話していましたか

「私には『大久保さんに渡した』と報告を受けました」

── 川村元社長は石川氏に渡したと話していますが

「もし私であれば、渡した時に約束した人(※大久保氏のこと)に電話して、預かり証をもらっていますし、そもそも一人で行くことはないです」

弁護人の尋問は終了。続いて行われた検察官による尋問では、水谷元会長が5000万円を手配した時のことについてたずね、水谷元会長は「管理部長に『お金を◯日までに用意して、◯日の◯時までに東京に持って行きなさいと指示しました」と証言する。最後に、裁判官の尋問。

(──は裁判官、「」内は水谷元会長)

── 胆沢ダムに関しては社運をかけていたということですが

「(胆沢ダムは)日本で数えるほどしかない規模のダム工事で、これまでやってきたダム工事が終わって機械があまりますので、受注したかったということです」

── 高橋嘉信さんの所にお願いに行ったということですが

「(法廷で)余計な名前を出してしまいましたけど・・、私は何度もお願いに行きました」

── それまでは高橋さんと話をしていたのですか

「私はずっと高橋さんがやっているものと思っていましたが、あそこ(※小沢事務所のこと)が違う会社を推薦してきているという話ですので、協力会社の社長に頼んで、大久保さんに話をしに行ったということです」

── 本件で問題となっている5000万円について、専務には話をしたのですか

「お金を持って行って、できるだけ(受け渡し場所に)一緒に行ってこいという話をしたのですが」

── 電話ですか、直接ですか

「電話だと思います」

── そのとき、専務はどこにいたのですか

「静岡だと思います」

── その時に金額の話をしましたか

「言ってないと思います」

── 管理部長にはどのような話をしたのですか

「『社長から聞いていると思うけど、14日に必要だから』と話しました」

── 中村さんに金額は言いましたか

「5000万円と言いました」

                                              引用:The JournalL後半


  第13回(前半)   2011年5月24日    水谷建設元運転手が調書の内容を否定 「ハラがたってます」

10時開廷。午前中は、水谷建設の元専属運転手が出廷。元運転手は、事情聴取のときに川村元社長が04年10月15日に石川知裕氏に5000万円を渡した際、受け渡し場所となった全日空ホテル(現・ANAインターコンチネンタルホテル)まで川村元社長を送ったと話し、その時の様子が調書にまとめられている。石川氏に渡したとされる5000万円については証言や物的証拠が極端に少ないので、運転手の証言は検察側の立証にとって重要な意味を持つ。まずは弁護人による尋問。
(──は弁護人、「」内は元運転手、※は筆者注)

── あなたは川村元社長を全日空ホテルまで車で送ったことはありますか

「1回か2回ぐらいあると思います」

── 時期についての記憶はありますか?

「会長(注:水谷功元会長のこと)が脱税事件で逮捕された以降だと思います」

※補足。水谷功元会長が脱税容疑で逮捕されたのは06年7月。川村元社長がウラ金を渡したと証言しているのは04年10月と05年4月。つまり、元運転手はウラ金渡しの際に川村社長を社用車に乗せて全日空ホテルに行ったことはないと証言していることになる。

──そのことは検察官に説明しましたか

「はい」

── 検察官に何を聞かれましたか

「全日空ホテルで車を待機させるときのことを聞かれました」

── それは04年10月15日ではなく、全日空ホテルで車を停めるときの方法を聞かれたということですか

「はい」

── 車はどのように停めていたのですか

「川村社長だけではなく、会長を送るときも含め、2階のロビーで降ろして、ボーイさんに頼んでその近くで待機していました」

── 川村元社長の手荷物について聞かれましたか

「『覚えておりません』と答えました」

※補足。「手荷物」とは川村元社長が届けたとされる5000万円入りの紙袋を指す。検察は、何としてもこの運転手に「川村社長は、全日空ホテルに送ったときに手荷物を持っていた」という調書をとりたかっただろう。というのも、石川氏に渡したとされる5000万円については川村元社長の証言以外に証拠はなく、当日に本当に川村元社長が全日空ホテルに行ったという証拠もないからだ。しかし、その調書は元運転手の記憶とは異なるものだったことが明らかになっていく。

── あなたは調書を訂正したいと思っていますか

「はい」

── 川村社長を全日空ホテルに送ったときは、出発の直前に指示されたとの供述がありますが

「日常的にどこに行くのかは直前に言われることもあったので、こういうことを言いました」

── ということは、特定の時期の話ではなくて、一般的な話だったということですね

「はい」

── 検事は、その説明を(特定の日付の話であるかのような)こんな書き方をしたのですか

「はい」

── 調書を訂正するのなら、どのように訂正したいですか

「この日の記憶がほとんどなかったので、(日付を)限定できるということはないと思います。(検事には)この当時の記憶がほとんどなかったので『送った記憶がない』と言ったのですが、こういう調書になってしまいました」

── 検事から手荷物について聞かれたことについては

「手荷物については一般的なことで言ったので、川村社長を全日空ホテルに送った時の話をしたわけではないです」

── 調書にサインを求められたとき、どのように感じましたか

「10月15日ということで限定していたので、不安を感じました」

── 検事にはどのように話しましたか

「10月15日について限定されていることを指摘して、『サインできません』と言いました」

── 検事はどう言いましたか

「『サインしてもらわないと困る』と。私が『10月15日に限定しているのは直せないのですか』と聞いたら『直せない』と言われました」

── サインをしなくちゃいけないとも言われたのですか

「『サインして下さい』と言われたので、『サインはできません』と申し上げたのですが、『これは今日あなたが話したことをまとめたものだ』と」

── なぜサインしてしまったのですか

「『サインをしなきゃいけない』と言われました」

── 当時はなぜ(10月15日のことについて)聞かれているのかわからなかったのではないですか

「はい」

── サインしたことで後悔はしていますか

「10月15日に限定されたことが、私には覚えがありませんので、こういう書き方をされたのは直してほしいとおもっています」

── こういう調書がつくられたことについては

「できるならば、日付は削除してほしいです」

── こういう調書ができたことについて、どのように感じていましたか

「多少、ハラがたっていますね」

── 04年10月15日に、川村元社長を全日空ホテルに送ったという記憶はないんですね

「はい」

── 川村社長はこの公判で、全日空ホテルへの交通手段について『社用車がタクシーで』と答えていますが

「タクシーであれば、会社に領収書があると思います」

※弁護人の尋問終了後、検察側の反対尋問が行われる。運転手の調書否定証言に対し、検察側は川村元社長を議員会館の小沢事務所に訪ねていたことを尋問する。狙いがどこにあるかがよくわからなかったが、川村元社長が小沢事務所を訪ねていたことを証言させ、水谷建設と小沢事務所の関係の濃さをアピールしたかったのかもしれない。それに対し、元運転手は手帳に書かれているものは議員会館に行ったことを認め、一方で「日付はわかりませんが、手帳に書いた以外はないと思います」と答える。

最後に裁判官による尋問。
(──は裁判官、「」内は元運転手、※は筆者注)

── あなたが手帳をつけていた理由はなぜなのですか

「会社には日報があったのですが、私が行動していたことを自分で後で確認することも含めて、会社に聞かれたときのために書いていました」

※補足。会社に提出していた日報は、手帳に書かれているものに比べればおおざっぱなもので、詳細は書かれていないという。

── 手帳はどういう時に書いていましたか

「その時に応じて書く場合と夕方に書いていました」

── 何日かまとめてということは

「それはほとんどないと思います」

── 書き漏らしはありますか

「(仕事が)重なった時などはあると思うんですが」

── もうちょっと具体的にお話いただけますか

「時間的に会長と社長がバッティングしてしまったりした時ですね」

── 書き漏らすこともあったということですか

「忘れることもあったと思います。その日、書くのを忘れて、そのまま書いていないということはあると思います」

── 手帳はあなたのスケジュール表としても使っていたのですか

「そうです」

── スケジュールはあらかじめわかっているものなのですか

「先にわかっているというのは少ないですね。(指示が来るのは)当日か前の日で、事前に連絡がきていれば手帳に書きますが、当日に書くことが多かったです」

── それが当日が前日に書くことが多かったということですね

「はい」

── 直前に言われて書き忘れるということは

「それもあると思います」

── 10月15日に川村社長を送ったかどうかですが、あなた自身は記憶がないのですね

「はい」

以上で午前の部が終了。裁判官も、04年10月15日に元運転手が全日空ホテルまで川村氏を送迎したかどうかに強い関心を持っているようだ。

元運転手が証言したように、川村氏が水谷建設東京支店で金庫から5000万円を引き出した後、全日空ホテルまでタクシーで移動したのであれば、領収書が何らかの形で残っている可能性が高い。しかし、それがないのであれば社用車で移動したことになり、それは元運転手の証言とは矛盾してしまう。川村氏の移動手段をどのように事実認定するかも、裁判の重要なポイントとなるだろう。

そのほか、元運転手の証言によって検察による調書の取り方の問題点がまたもや明らかとなった。おそらく、元運転手の聴取を担当した検事は、上司の思い描くストーリーのままの調書をつくったのだろう。しかも、検察はこの調書の内容を一部の記者にリークして、「石川有罪」の空気作りまでしていた。リークをした検察関係者が、このような杜撰な聴取で調書が作られていたことを知っていたかは不明だが、検察の情報操作の巧さを感じさせる。

引き続き、午後は水谷建設元会長の水谷功氏が出廷する。ここでも石川氏に渡したとされる5000万円の流れについて証言が行われる。

                                                            引用:The JournalL前半


  第12回


  第11回


  第10回     2011年4月27日     水谷建設元社長のウラ金渡し証言は真実なのか?

 10時開廷。本日の証人である川村尚水谷建設元社長が入廷する。なお、石川氏はこれまで川村氏と会った記憶がなく、今日の公判ではじめて顔を確認するという。川村氏の着席後、検察側の尋問がはじまる。

(── は検察官、「」は川村氏、※は筆者の補足)

── (胆沢ダム関連では)どこに営業に行きましたか?

「受注元のゼネコンと小沢事務所です。(胆沢ダムでは)小沢事務所の影響が強く、嫌われると参入できないことがあると聞いたので、それを止めるために事務所に営業を行いました」

── 小沢事務所の誰に会いましたか?

「大久保氏です」

── 誰に紹介してもらったのですか?

「平成15年11月に、協力会社の社長に紹介してもらいました」

── 大久保氏の反応は?

「印象に残っているのは『他の業者より(あいさつが)遅い』と注意されました」

── その後の営業は?

「なんとか大久保さんに近づいて、会社を認知してもらって親しくなりたいと思いました」

── 大久保氏と親しくなるために何を考えましたか?

「平成15年12月31日にお歳暮のあいさつに自宅まで伺い、手みやげとして松阪牛と100万円を持参して年末のあいさつをしました」

── (大久保氏は)現金を受け取りましたか

「はい」

── 接待はほかにどのように行われましたか

「向島の料亭で4?5回行いました」

── 大久保氏からの要求はありましたか

「16年9月に協力会社の社長と私とで小沢先生の事務所にお訪ねしたときに、具体的な指示がありました」

── 具体的には

「胆沢ダムのゼネコンが決まったときに5000万、工事の受注が決まったときに5000万の計1億円の要求でした」

── 要求には従いましたか

「はい。平成16年の10月15日に1回目の5000万、2回目は17年の4月中旬だったと思います」

── 1回目の受け渡しの様子は

「東京赤坂のホテルのフロントの前のロビーで、大久保氏がみえるはずでしたが、石川氏が来るとのことでした」

── あなたは石川被告人と面識がありましたか

「はい。パーティーにお邪魔した時や、議員事務所に行ったときに挨拶をしたと思います」

── 石川氏は来ましたか

「はい。石川氏に私の名刺を渡して、フロント前のロビーのソファーに座りました」

── どんな感じで座ったのですか

「フロントの前に椅子がありまして、私と石川氏ははす向かいのような形で座りました」

── その後は

「ご挨拶申し上げて『紙袋をお納め下さい』と言いまして、2?3分だったと思いますけど、その場でお別れしました。先に石川秘書が出て行かれたと思います」

── 紙袋はどのように渡しましたか

「極力目立たないように紙袋をスライドさせてお渡ししました」

── あなたの行動を示すものはありますか

「JRの領収書とホテルの領収書です」

※検察側は証拠として、5000万円の受渡日前日に宿泊したホテルの領収書、東京─仙台間の新幹線の領収書、東京─名古屋間の領収書を提出。10月15日の仙台─東京間の領収書は、会社が準備したので証拠として提出できるものはないという。

── 次に平成17年4月にわたした5000万円についてお聞きします。受け渡しの日時は

「同じホテルの喫茶店です」

── 具体的には

「一度目(5000万円の受け渡しのこと)は中国出張があったので具体的な日時を思い出せましたけど、平成17年4月は覚えていません。(2度目の5000万円の受け渡しは)協力会社のA社長と行きました。朝、東京支店に出社しまして、A社長がきました。約束の時間に間に合うように(ホテルまで)車でいきました。フロントの出入り口の近くで大久保氏を待ち、3人とも喫茶店に座りました」

── 印象に残っているのは

「(大久保氏は)ヨーグルトを頼みましたので、私も同じものを頼みました」

── 5000万円はどのように渡しましたか

「『約束のものです』とテーブルの下から大久保氏に渡しました」

── 大久保氏の反応は

「『ありがとうございます』だったと思います」

── その後は

「私は30分ぐらいいたと思いますけど、先に大久保氏をお見送りして、私たち2人は東京駅に行きました」

── このようなことをお話しようと思った理由は

「今日お話ししたことは会社にとっても私にとっても都合の悪いことですので、思い起こすことを封印していたと今になっては思います。(証言について)いろいろ報道されていますが、事実でございます。そのために社長を辞任したわけですけど、我が社もお金で仕事を買うということをやめようと、社長時代にしたことを話しました」

続いて、弁護側の反対尋問。川村氏の証言には矛盾があるとして、問いただす。反対尋問の内容は、胆沢ダムの受注額、受注元のゼネコンとの関係、最終的に水谷建設が得た利益など多岐にわたったが、ここでは主なやりとりのみを掲載する。

(── は弁護人、「」は川村氏、※は筆者の補足)

── 金を渡す前に石川氏と面識があったということですが

「はい」

── (金を渡すときに)携帯電話の番号を聞いたりしなかったのですか

「そのような配慮をしたかどうかの記憶がございません」

── 石川氏とはどこで何回会ったことがあるのですか

「パーティーの席で挨拶したこともありますし、議員会館の事務所でもあいさつしたことがあります」

── 小沢氏のパーティーでは代理を出していたのではないですか

「2回は私が行きました」

── 議員会館で会ったのは何回?

「はっきりとは覚えていません」

── 議員会館以外の小沢氏の事務所に行ったことはありますか

「小沢氏の事務所で行ったことがあるのは議員会館のみです」

※ここで思わず吹き出しながら笑いをこらえる大久保氏の顔が目に入る。石川氏も「そりゃないでしょ?」といった感じで、軽く笑みを浮かべている。その理由は・・

── それはおかしいですね。石川は秘書時代に議員会館の事務所には常駐していませんよ。何度も会えることはないはずですが

「それは私は存じ上げません」

※補足。現在の議員会館は建て替え工事が終了して部屋が広くなっているが、04年当時の議員会館はスペースが狭く、秘書をたくさん抱える政治家はスペースの確保に困っていたほどだった。そのため、「政界の実力者」と呼ばれる政治家は永田町の近辺に個人事務所を構えていた。小沢氏も議員会館以外に事務所を所有していて、弁護士は、石川氏は議員会館外の事務所で仕事することが多く、議員会館で何度も会ったという証言は信じられない、と主張した。

── 平成16年10月15日に石川氏に5000万円を渡したあと、大久保氏に石川氏に会ったという報告はしたのですか

「話したかどうかはわかりません。確認したかしなかったかの記憶はございません」

── 水谷建設はこういった裏金のやりとりはシビアだったのではないですか

「私はそういう経験が少なかったものですから・・」


 以上で午前の部が終了。

13時20分再開。引き続き、弁護側の反対尋問。

── 水谷建設のウラ金がいくらあったかは認識していましたか

「認識がありませんでした」

── それにもかかわらず、平成16年9月に大久保氏から1億円を要求された時にその場で承知したのですか

「はい」

── 裏金でいくら使えるかを知らずに、大久保氏とお金の約束をしたのですか

「はい」

── (大久保氏に渡した)2度目の現金の授受が4月中旬の9時?10時となっていますが、4月15日以外に都内にいたことがわかる記載がスケジュール表にあるのですか

「(東京にいたことを)書いていない場合もあるので、この日とは限りません」

── ではあなたは時間はどのように確認したのですか

「レシートを見て確認しました」

── レシートではこの日だろうとわかっていたのに、記憶がないので4月中旬ぐらいだろうと思ってたということですか

「はい」

※補足。川村氏の証言では、大久保氏に渡したという2回目の5000万円の日付は「4月中旬」という曖昧な日付のまま、最後まで確定されなかった。疑問に感じたのは、川村氏は5000万円を渡した時期について「(大久保氏に5000万円を渡した喫茶店の)レシートで確認した」と証言しているにもかかわらず、日付を特定しなかったことだ。一般的なレシートであれば、レシートの発行日付も書かれているはずだが。

 その後、弁護側は水谷建設からの裏金は知人に貸し付けるために私的に流用したのではないかなどと問い詰めたが、川村証言を覆すような証拠は出なかった。

 以上で第10回公判が終了。印象としては、川村水谷建設元社長の証言は"陸山会裁判のヤマ場"と言われてきたが、検察側は決定的な証拠を提示することができず、衝撃度は思った以上に小さかった。特に、大久保氏に5000万円を渡したとされる日付は「4月中旬」と語るだけで、日付すら特定しなかったことには驚いた。

 おそらく、これまでの特捜事件では、この程度の証言でも「具体的かつ迫真性がある」として裁判所は事実認定してくれたのだろう。しかし、郵便不正事件で大阪地検特捜部の暴走が明らかになり、検察側が描いたストーリーがすべて作り話だったとわかってしまった以上、今回の裁判で裁判官が証人の法廷証言のみで事実認定するとは限らない。言い換えると、陸山会裁判を担当している3人の裁判官が、郵便不正事件で明らかになった特捜部の捜査手法の問題点をどのように評価しているかで、事実認定のされかたも変化してくるのではないか。

なお、次回の公判は5月10日となる。

                                                         引用:The JournalI


  第9回(後半)》 2011年4月22日    石川議員の女性秘書が出廷

昼休憩をはさみ、13時15分再開。午後は石川氏の秘書であるAさんが弁護側の証人として出廷する。Aさんは昨年1月26日に検察庁から証拠品の引き取りを理由に出頭を要請されたにもかかわらず、突然被疑者扱いされ、10時間に及ぶ「不意打ち事情聴取」を受けたことが週刊朝日で報じられて問題となった。午後の法廷では、問題となった事情聴取の様子を証言した。以下、おもなやりとりを中心に概要をまとめ、一問一答形式で掲載する。(── は弁護人、「」内はAさんの証言、※は筆者の補足)

── 聴取を受けた日は、何時に電話がかかってきましたか?

「9時半に電話がかかってきて、相手は民野と名乗りました」

── 職業は言いましたか?

「民野とだけ言いました」

── 民野氏は何と言いましたか?

「押収した資料を返却すると言いました」

── 取り調べについては言われましたか?

「言っていません」

── 確認はしたのですか?

「肩書きを名乗らなかったので心配になって、3回ほど確認しました」

── 出頭の時間の指示は?

「午後1時でした」

── あなたが出かけたときの服装は?

「すぐ帰れると思ったので、コートを着ないで出かけました」

── 持ち物は何か持って行きましたか?

「ランチバックみたいなものだけを持って行きました」

── 検察庁に着いて、民野氏は名乗りましたか?

「その時は身分証のようなものを見せました」

── その時、何を言われましたか?

「『何で呼ばれたかわかりますか』と聞かれたので、『資料の返却です』と答えたら『違います。○○の証拠隠滅で被疑者となりました』と言われました」

── 被疑者と言われてどう感じましたか?

「頭が真っ白になりました」

── 弁護士への連絡は?

「連絡をしようとしたら『その弁護士は選任の弁護士か』ときかれ、そうではなかったので『違います』と答えたら『電話してはダメだ』『弁護士が何になるんだ。石川が失敗したのは弁護士に頼ったからだ』と言われました。携帯電話も『音を消したらいいですよね』と言ったら、電源を切るように言われました」

── 取り調べでは何を言われましたか?

「『自分から話しなさい。こちらはあなたを逮捕できる情報があるのだから、自分から罪を認めなさい』と言われました。ずっと黙っていると『石川を守っているのなら愚の骨頂だ』『石川はすべての罪をあなたにかぶせようとしている』『石川の政治生命は終わる。石川を守る必要はない』などと言われました。

── そのときあなたはどのように思いましたか?

「この特捜部という組織は何をしようとしているんだろうと怖くなりました」

── 外部との接触をとろうと考えましたか?

「子どもの迎えができるかが心配になり、連絡を取ろうとしました。迎えは6時ですので、5時には帰らないといけないと思いました」

── 民野検事はそれを聞いて何と言いましたか?

「『あなた次第だ』と言いました。(帰る時間を)約束しようとしたら『そんなに人生は甘くない』と言われました。子どもの迎えにいけないことで、パニックになって泣いてしまいました」

── 証拠のようなものは見せられなかったのですか?

「通帳のコピーでしたが、誰のものかはわかりませんでした」

── 数字やお金の流れについては聞かれなかったのですか?

「日付と金額を言われたように思います」

── 事務官は証拠を取り出してきたことはありましたか?

「USBメモリーがありました。そのUSBメモリーは私のもので、プライベートの写真や家族の写真とかが入っていました」

── 民野検事はそのUSBメモリーをどうしましたか?

※Aさんは涙をこらえながら、震えた声で話しはじめる。

「内容を確認しながら『お子さんは女の子なんですね』『○○に旅行に行ったんですね』『この子は保育園で犯罪者の子どもって言われるんだろうね』と言いました・・・」

── 取り調べを受けているときに言われたことは?

「背もたれに背中をつけようとしたら、民野検事は机を叩いて『それが人の話を聞く態度か!』と言われました」

※その後、民野検事を振り切る形で弁護士と連絡をとったAさんは、午後11時ごろにようやく解放された。また、自宅に到着後、Aさんは右耳が聞こえなくなっていることに気づき、病院で「突発性難聴」と診断されたという。

── 取り調べに事務官はいましたか?

「はい。最初はPCを見ていたのですが、途中からその男性事務官は机の上に足を乗せて、寝ていました」

── それを見てあなたはどのように思いましたか?

「こういう人にも残業代が出ているのかなと思いました」(法廷で笑いがおきる)

── 取り調べの後に子どもたちに何か変化はありませんでしたか?

「子どもたちも急に母親が迎えに来なくなったので、私が朝、仕事に行こうとすると『ママ、いっちゃだめ!』としがみついてきたりしました」

── なぜ、あなたは取り調べを受けたのだと思いますか?

「いま思えば、私を長時間にわたって拘束することによって、石川にプレッシャーを与えようとしていたのだと思います」

引き続き、検察側による反対尋問。
(── は検察官、「」内はAさんの証言、※は筆者の補足)

── 1月26日の迎えは最終的に誰が行ったのですか?

「義理の母が行きました。午後8時ぐらいだったと思います」

── あなたは経理事務を担当していたのですか?

「はい」

── 1月26日の取り調べでは検察官に具体的に聞かれなかったということですけど、それは事実ですか?

「はい」

── 通帳を見せられませんでしたか?

「具体的な口座名などを言われなかったので、わかりませんでした。逆に私は(タミノ検事に)『見せてほしい』と言ったのですが、見せてもらえませんでした」

※検察側は、午前中の公判で吉田正喜検事が証言した、石川議員への1500万円のワイロの詳細がその通帳に書かれていて、それを質すためにAさんへの事情聴取を行ったと主張したいようだ

── 検察官に通帳の中身について聞かれませんでしたか?

「何も質問されていません。『自分から言った方が罪が軽くなる』と言われました。具体的なことを聞いてくれれば答えることができたのに、何も言ってくれませんでした」

※その後、検察官はAさんに対する2度目の取り調べについて尋問を始める。Aさんは1月26日の取り調べの後、1月末に2度目の取り調べを受けているのだが、Aさんと弁護側は検察から2度目の事情聴取について尋問を受けるとは予想していなかったようだ。検察側からは、2度目の取り調べの際に通帳や通帳をコピーしたものに書かれているメモの詳細について取調官から聞かれたことについて、「記憶にありません」などと答えに窮する場面が増える。Aさんは「2度目の事情聴取について聞かれるとは聞いていなかったので・・」と話すも、準備不足からか時おり弁護側の方に視線を向けるので、裁判官からも「弁護人を見ずに、記憶に従って答えてください」と注意される場面もあった。

最後に裁判官からの尋問。
(── は裁判官、「」内はAさんの証言)

── 午後1時に検察庁に入って、出られたのが午後11時だったのですか?

「はい」

── その間に具体的な質問はなかったのですか?

「はい」

── それでは取り調べの中身が何もないのではないですか?

「ですので、事務官が寝てました(法定内に小さな笑いがおこる)」

── それを午後1時から11時まで繰り返したのですか?

「はい」


                                                         引用:The JournalH後半


 第9回(前半)》 2011年4月22日石川議員が受け取った1500万円はワイロではありません!(吉田検事)

10時開廷。第9回公判では、午前に石川氏の取り調べをおこなった吉田正喜検事(当時は特捜副部長)が検察側の証人として、午後に昨年1月に10時間に及ぶ不意打ち事情聴取を受けた石川氏の女性秘書が出廷する。
まずは午前の部から。

陸山会事件の石川氏への事情聴取は、政治資金規正法の虚偽記載については田代検事が、水谷建設のウラ金疑惑については吉田検事が行っている。石川氏は逮捕時から一貫して水谷建設による5000万円のウラ金の受領を否定していたので、今回の法廷では水谷建設のウラ金をめぐる厳しいやりとりが明らかになるのだろうと思われた。

ところが、公判で持ち上がったのは、吉田検事が取り調べ時にとった唯一の調書で、その調書には、石川氏が議員となった後の平成19?21年の間に、ある会社から計1500万円の政治資金を受領していて、それがワイロにあたると書かれているという。

また、その調書には石川氏が「議員辞職します」ということも書かれていて、陸山会事件の控訴事実とはまったく関係のない事実が突然公判で明らかにされ、その調書について争われることになった。まずは検察側による吉田検事への尋問から。
(──は検察官、「」内は吉田検事の発言)

── (1500万円のワイロについて)具体的に話してください

「それほど詳細を聞いたわけではないですが、平成19?21年に1500万円を受け取っています。『議員活動のお金ですのでワイロだと認識しています』ということでした」

── 証人(吉田検事)から石川氏に「(この金は)ワイロだ」と言ったことはありますか

「ありません。その時は(石川氏には)職務権限もないので、そんなことはありませんでした」

── 調書をとった理由は?

「その前に(石川氏の)女性秘書の聴取が問題になっていて、石川さんに聞くと『私をかばおうとするからこんなことになるんですよ。私をかばわなくていいということで伝えていい』ということで、調書にしようということになりました」

── その調書には「議員を辞職する」と書かれていますが

「石川さんが議員になってからの話ですので、議員になった後に不正があったとなると、政治資金規正法にもワイロで間違いないことなので、辞職しますということでした」

そのほか、検察側からの尋問で、吉田検事は取り調べの際にメモを石川氏の目の前で破ったことも認めた。

この「ワイロ」とされる部分についてはその日に各紙で報道されていたのでご存知の読者も多いと思うが、その多くが吉田検事の証言をそのまま報じているので、法廷でのやりとりが正確に伝わっていない。そういったこともあり、石川氏は公判終了後に報道機関に申入書を入れていて、その中ではこの調書について「無理やり署名させられた」と語っている。弁護側の反対尋問の前に、その申入書を先に公開しておく。

申入書

私が、国会議員としての職務に関し、賄賂を受け取ったことを認める旨の供述を行った旨の報道がなされていることに対し、下記のとおり申し入れを致します。

1 私としては、そのような検察官調書を取られていることは事実ですが、私は賄賂など受け取ってはいません。
 真実は、私が支援者等から受けたパーティー券収入等について、検察官から「そんなものは賄賂だ」と決め付けられて調書にされ、署名を迫られたのです。

2 そして、この点につき、私の女性秘書が別の検察官から逮捕されると脅されていたので、そのような事態を避けるため、私は致し方なく署名しただけです。要するに無理やり署名させられただけです。

3 現に本日の公判に証人として出廷した検察官も、賄賂であるなどと判断したとは証言しておりません。裁判の内容を報道されるのであれば、検察官からの主尋問の一方的な供述内容のみならず、弁護人からの反対尋問を経ての検察官からの供述内容も報道されるのが公平だと思います。
私としては、今後、報道が公平公正に為されることを要望します。

平成23年4月22日   石川 知裕
 
石川氏の言うように、ほとんどの報道が吉田検事が発した「ワイロ」という印象的な言葉に飛びついて報道しているだけで、そのワイロの内容までは精査していない。弁護人による反対尋問はこうだ。
(──は弁護人、「」内は吉田検事の発言)

── 賄賂が成立するには公務員の職務権限があって、その対価としてもらってはじめて賄賂になりますよね

「はい」

── 具体的に何を聞きましたか

「詳細は聞いておりません」

── 石川氏はなんでこれがワイロにあたると考えたのですか

「それはわかりません」

── それなのに調書を取ったんですか

「はい。とりあえずそういう供述があり、調書を取りました」

やりとりからわかるように、石川氏が受け取ったとされる1500万円は吉田検事もワイロとは認識していなかった。吉田検事の理屈は「石川氏が自分からワイロだとしゃべったから、それを調書にしただけ」という程度のもので、それが違法行為にあたるとは判断していないようだ。公判を最後まで聞いていたらその日の報道のような記事にはならないはずだが、夕刊に間に合わせたかったのか、この件の記事には重要な部分がごっそり抜け落ちていた。

引き続き、裁判官の尋問。これもあまり報道されていないが、裁判官は石川氏への聴取の際に目の前でメモを破ったことを繰り返し追及する。
(──は裁判官、「」内は吉田検事の発言)

── 石川氏の前でメモを破った理由は何ですか?

石川さんが「私がやった不正(ワイロとされる1500万円の金のこと)は認めてるじゃないか。だから水谷建設からの金はもらっていないというのは本当ではない」という言い方をするので、「いま聞いているのは(注:水谷の裏金のこと)この件とはまったく別のことなんだ」ということでした。

── メモを破る必要性は?

「メモというか、箇条書きしたものですが、これをサイドストーリーということで破りました」

── なぜ破くという行為になるのですか?

「水谷の5000万円というのは大久保被告の指示という疑いを持っていました。1500万円というのは個人の金で、5000万円というのは小沢の金なんだということで隠しているという疑いを持っていました」

── (被疑者を検事が)説得することとメモを破くというのは質的に違いがあるという認識はありますか?

「メモは箇条書き程度のもので・・」

── テクニックということですか

「そういうことです」

── 興奮していたのですか?

「複合的な思いがありました」

── 気の弱い被疑者であれば恐怖感を感じるのでは?

「取り調べの状況が必ずしも気の弱い被疑者といったものではありませんでしたので、そうは思いませんでした」

── どういう効果を期待していたのですか?

「弁解の形がその後に語らなくなるということを期待しましたが、そういうことはありませんでした」


                                                       引用:The JournalH前半


     第8回 2011年3月25日    証拠物のFAX送信記録を調べていない特捜部

10時開廷。午前は検察側の証人として、池田光智被告の取調べを担当した蜂須賀三紀雄検事が出廷する。
(── は検事、「」内は蜂須賀検事の証言)

── 取調べのときの池田氏の態度は?

「言葉を選びながら注意深くという態度で、最初はあいまいで、だんだんはっきりしてきました」

── 調書をとる際に気を付けていたことは?

「本人の記憶について気を使っていたので、そのレベルにあわせた表現をしました」

── 池田氏は大久保氏に収支報告書についてどう報告していたと話したのですか?

「私が最初に確認したときには気づかなかったのですが、どういう確認をしているかをきいたところ、(東北で活動をしている)大久保氏のいる所にFAXを送って確認してもらったり、上京したときに確認したということでした」

── 池田氏は大久保氏に内容を見せて承認をもらったことはないと主張していますが

「その話は違うと思います。私は、大久保氏が岩手にいたとは気付かなかったし、池田氏から大久保氏にFAXを送っていたという話を聞きました。小沢氏にも積極的に見せていたとのことでした」

続いて弁護側の反対尋問。弁護人は「大久保氏に収支報告書の報告した」という池田氏の供述は検察側の作り上げたストーリーだとして、蜂須賀検事の矛盾点を追及する。

── 収支報告書は50ページもありますが、池田氏はそれをFAXで送ったと供述したのですか?

「はい」

── 池田氏はどこに送っていたと話していましたか?

「そこについては(大久保氏は)いつも同じ事務所にいたわけではないので、その都度の場所に送信していたとのことでした」

── FAXの送信記録は調べましたか?

「私は取調べ官ですので、その捜査をしているかどうかの確認はしていません」


池田氏が作成した収支報告書の内容を大久保氏に報告したかどうかは小沢事務所内の共謀を認定する材料であるため、裁判の行方を左右する重要なこと。にもかかわらず、検察側は50ページにも及ぶFAXの送信記録が確認できておらず、これまでの公判でも証拠として提出していない。

昼休憩をはさみ、13時15分再開。午後は蜂須賀検事の後任として池田氏の聴取を担当した花崎政之検事が出廷。まずは検察側の尋問から
(──は検事、「」内は花崎検事)

── 池田被告に(調書をサインさせるために)「保釈はない」と言ったことは?

「ありません」

── 心当たりはありますか?

「逮捕拘留されて本人が気にしているのは『今回、自分はどうなるのか、裁判になるのか』という話がありましたので、私の個人的経験から、『否認していたら保釈されないこともあるけど、それは裁判官が決めることなので、私の経験では否認しても保釈されることもある』と話しました。池田氏はそれを曲解したり歪曲しているのではないかと思います」

検察の尋問終了後、弁護側の尋問が始まる。弁護人に対しても、花崎検事は同じような回答を続ける。
(──は弁護人、「」内は花崎検事)

── 大久保さんが関与していない可能性については考えなかったのですか?

「可能性はありましたよ。ただ、予断で決めつけたことはなかったです」

── 岩手のどこにFAXしたことは確認しなかったのですか?

「具体的に聞いてないかもしれません」

── 池田さんは「だまされた」と言っていますが

「それは本人が言っているだけで、事実とは違います」

── 池田さんが弁護人にあてた手紙も、あなたが言ってもないことを手紙に書いているということですか?

「そうですね」


以上で第8回公判が終了。弁護団は蜂須賀検事と花崎検事に対して捜査の矛盾点を追及したが、両検事は弁護人の主張を淡々と否定するのみだった。

この裁判では調書の任意性が問われている以上、双方の言い分が衝突することはしょうがない。だが、これまでの公判を見てみると、供述調書の任意性に重点が置かれるあまり、物的証拠が軽視されているのではないか。特に、第8回で弁護人が指摘した50枚のFAX送信記録などは、なぜ検察が証拠として提出していないのか。


                                                       引用:The JournalG


     第7回 2011年3月23日     録音テープの内容と矛盾する検事の主張に鋭くツッコむ裁判官

岩手県釜石市に居住している大久保隆規氏は、地震による被災を受け、現在は出廷が困難な状態にあるという。そのため、今回からは大久保氏だけ審理が別に行われ、石川氏と池田氏の2人が被告人として出廷することになった。

今回から、陸山会に関係する事件を捜査した検事が証人として出廷する。トップバッターは田代政弘検事。田代検事は主に石川氏への事情聴取を担当し、また、検察審査会が昨年5月に小沢一郎氏に一度目の「起訴相当」の議決を下した後に行われた石川氏への再聴取(以下、「再聴取」とは2010年5月17日のことを指す)も担当している。報道されているとおり、この再聴取の様子を石川氏が録音していたことが昨年末に明らかになっていて、裁判の行方を左右する重要な証拠となっている。

・石川氏が特捜部からの事情聴取で「この事件はどうおさめるかだ」と言われたと主張していることについて
「そのようなことを言った覚えはありません。(思い当たることとすれば)こちらからすると説明があいまいで、合理的な説明をしてほしいという話をしました。あなたが不道理な説明をすると、捜査が進むことになるので、本当のことを話してほしいといいました。石川氏におびえた様子はありませんでした」

・同じく、「特捜部は恐ろしいところだ」と言われたと石川氏が主張していることについて
「そういった類のことを言ったことはありません」

・石川氏への事情聴取で得た印象
「石川被告は本当のことを話していないという心証がありましたので、『暴力団の子分が親分をかばうようなことでいいのですか』という話をしました」

・石川氏が弁護人に送った手紙について
「石川被告が供述調書に署名して以降のことです。(弁護人が石川氏に)『取調べで黙秘したり署名を拒否することが難しいのであれば、手紙を送ってほしい』と言われたとのことでした。石川氏は私に、『弁護人を無下にするわけにはいけないので、取調べを批判するようなことも書きますが、気を悪くしないでくださいね』ということでした」

・再聴取で水谷建設の5000万円のウラ金について聞かなかった理由
「最初は、相手がどういう答えをしようとしているかを考えました。話すうちに、これは(水谷関連の供述をすることは)無理だろうと思いました。この日の取調べは任意でしたので、石川被告の言い分にも理解をしているという態度で聴取にのぞみました。ある意味では、石川被告のご機嫌を取りながら、取調べを進めたということです」


田代検事の受け答えは冷静かつ淡々としていて、法廷でのやりとりにおける模範的回答といった印象。大久保氏、石川氏、池田氏の3人は、弁護側の尋問でも緊張している様子が伺えたが、やはり検事の方が「場なれ」しているようだ。

続いて弁護側の尋問(──は弁護人、「」は田代検事、※は筆者の補足)

■特捜部の「脅し」について

── 石川氏は、2009年12月27日にあなたから事情聴取を受けた時に「この事件はどうおさめるかだ」」、2010年1月14日には「特捜部は恐ろしいところだ」と言われたことに「一番恐怖を感じた」と何度も話していますが、本当に言っていないのですか?

「何度も申し上げておりますが、そういう発言はしていないと思います」

── 「小沢さんは石川さんをかばうつもりはないよ」と言ったことは?

「そういうことは言っておりません」

── 2010年1月26日に取調べ調書ができていますね。このとき、石川議員の女性秘書が取調べを受けたことを知っていましたか?

「石川議員から翌日頃に聞いたと思います」

── なぜ、秘書を呼ぶんだと石川氏に言われませんでしたか?

「抗議を受けたようなことを言われました」

── その時、「石川さんにスキがあるからだ」と覚えはありませんか?

「石川被告が悪いから調べられるんだという話はしていないと思います」

── なぜ、秘書が事情聴取に呼ばれたのですか?

「私は全然存じ上げません。今でも、なぜ呼ばれたかはわかりません」

── 石川氏にプレッシャーを与えるためだったのでは?

「私は全然知りません」

■再聴取の際のやりとりについて

── 再聴取のとき、あなたは石川氏に「あ、そうそう、それ(※大久保氏が石川氏から収支報告書の報告を受けていたとする供述調書)に合わせたんだこれは」「その時は、『何にも具体的なことは説明しませんでした』と言ってるんだから、いいんだよ」「(小沢氏に報告したのは)12月だろうが3月だろうが変わんねえからさ。変わるとなんで『変わっちゃったの』となって面倒くさいからさ」と言ってますが、どういうことですか?

「大久保氏の調書を石川氏に伝え、大久保氏が『平成17年3月に4億円についての報告を記載しない』という報告を受けたという調書があることを聞きました。石川被告に事情を聞いたところ、小沢氏が関与していたことを認めることを渋っていたから、石川さんの認識にしておきましょうとということでの発言です」

※2010年5月17日の録音テープの中には、2010年1月に石川氏が逮捕されてから保釈されるまでの取調べの調書の作られ方も入っていて、弁護人はそこを攻める。田代検事は淡々と受け答えをするものの、若干早口になり、回答に苦労しているようだ。弁護人が交代して、さらに田代検事を攻める。

── あなたは再聴取のときに、石川氏に「『特捜部は恐ろしい組織だぞ。何されるとわからないぞ』と(田代検事が)さとしてくれたじゃないですか」と言われて、あなたは「うんうん」と答えていますよね

「取調べ時間が4時間を過ぎてましたので、そういうことを返事もしたのかなと思います」

── 心ここにあらずということで言ったということですね。弁護人からはこれで終了します

■裁判官の鋭い質問に、防戦一方になる田代検事

弁護人からの尋問終了後、裁判官から尋問が行われる。主なやりとりは下記の通り。(──は弁護人、「」は田代検事、※は筆者の補足)

── あなたは再聴取の時に「石川さんに対して技を授けて調書にした」と発言していますよね。これはどういうことですか?

「小沢氏の関与については石川氏が供述を渋ったので、そこで、石川氏の認識としてまとめますからということで調書にしたということです。石川氏は勾留中、自分の調書で小沢氏が不利になることを心配していました。そこで、石川さんの立場からすればいい調書になって、私としては残念でしたが、そういう話になりました」

── 再聴取にある「いまのところの作戦」とは何ですか?

「石川氏は小沢氏の起訴を避けたかったので、それに同調して『我々の作戦』と言って、その結果、石川氏が望む調書にしたということです」

── 石川氏に「特捜部は恐ろしい組織だぞ」と言われて、あなたが「うんうん」と答えているのはどういうことですか?

「神経を研ぎ澄ましていれば、その場で反論したかもしれませんが・・」

── だけど、別のところで「特捜部は恐ろしい組織」と言われたところでは、「そんなことないじゃん」と否定してますよね

「はい。特捜部としては(石川氏に)恐怖を与えるようなことはしていないつもりでしたので、そう答えました」

── 気が抜けたということですか?

「おそらくそういうことだっただろうと思います」

── 上の空だったということですか?

「・・そうですね」

── だけど、この「特捜部は恐ろしい組織だと言われた(石川氏)」「うんうん(田代検事)」というのやりとりの前の水谷建設の話では、話がかみあってますよね

「そうですね。水谷建設の件の話だったので、そこはピンときたのではと思います」

── もう一度説明してもらえますか?

「最後のやりとりにで(水谷建設の裏金の)5000万円について否定していることが出てきますので・・」


                                                       引用:The JournalF


      第6回


      第5回 2011年3月1日     前田元検事が大久保氏についた重大なウソ

10時開廷。第5回公判午前の部では池田光智元秘書が検事から反対尋問を受けた。

検事は、政治資金報告書の記載について石川氏や大久保氏と共謀があったとする質問を続けるが、池田氏はさらりと否定。

どうも尋問のやりとりが噛み合わず、退屈である。

というのも、検察側の描いている構図は「小沢事務所は完全なタテ組織で、すべて上からの命令で動いている」というものだが、

池田氏の証言では、現実の小沢事務所は会計業務の引き継ぎすら最低限の部分しか行われておらず、しかも、石川氏が小沢事

務所を退職後に北海道で立候補したので、問題となっている4億円についても詳細は知らなかったという。

一連のやりとりを聞いていると、第4回までと同じくように検察側の描いた構図と小沢事務所の実態の格差に驚く。

13時15分、午後の法廷が再開。

大久保隆規元秘書が証言台に立ち、弁護側から質問を受ける。ここでも大久保氏は石川氏や池田氏との共謀を否定。その後、水

谷建設の裏献金について聞かれた大久保氏は「断じてありません」と回答。弁護人が「何か言いたいことがありますか」との問いか

けに、「水谷建設の社長の尋問があると思いますので、それを聞いてからお話したいと思います」と答える。

水谷建設関連については、検察側による水谷建設関係者の証言が終わった後に反論し、それまでは何も答えないようだ。

引き続き、大久保氏が2010年1月の逮捕時に受けた前田恒彦検事(当時)による取り調べの様子を語りはじめる。

ご存じのとおり、
前田検事とは郵便不正事件で証拠資料であるフロッピーディスクの更新日付を改ざんして逮捕され、懲戒

免職された検事
だ。以下、大久保氏と弁護人のやりとり。

(──は弁護人、「」内は大久保氏の発言、※は筆者の補足)

※以下の概要は傍聴人のメモから主要部分のみを抜粋して再構成したものです。

── これまでの公判で石川氏や池田氏の調書を見てどう思いましたか?

「まったく私のときもそうだったなと思いました」

── 石川さんの供述に「大久保さんがそう言っているのであれば、そうかもしれない」とあるが、それを読んだとき、どう思いまし
    たか?

「前田検事にだまされたなあと思いました」

── だまされたとは?

「私は1月30日の調書で石川氏が私に会計について報告していると言われ、前田検事に『その話を受けてあげないと』と言われ、私

は石川氏がしのびないとおもって調書のサインに応じたわけです」

── 報告された事実はなかったのですか?

「私はまったく知りませんでした。しかし、(前田検事が)『大久保さんが受けてあげないと』と言われ、1月30日の調書になりました」

── 1月23日の取り調べ報告書には、午後8時?9時まで中断されています。それはなぜですか?

「その日は、小沢氏の事情聴取がありました」

── (聴取後の小沢氏の会見の)テレビを見るために中断したということですか?

「はい」

── 午後9時から前田検事と何を話しましたか?

「怒気を持って『小沢さんは嘘をついた。小沢さんの無事を祈るよ』と言われました」

── それを聞いてどう思いましたか?

「今回は小沢先生は逮捕されませんでしたけど、これから逮捕されるのではないかと思いました」


ここで検事が異議申し立てをする。

検事:前田検事の調書は証拠採用されておらず、任意性を争うことになっていません。

弁護側もすかさず反論。

弁護人:これまでの証言にあるように、「切り違え尋問」が行われています。最低限、明らかにしないといけない範囲で認めていただ

ければと思います。

※捕足。「切り違え尋問」とは、たとえばAとBの両方が否認しているのにAに対して「Bは認めてるぞ」と嘘を言ってAの供述を取り、その後にBに「Aは認めたぞ」といって供述調書を取ること。こういった手法を用いて得られた供述調書は証拠能力が否定される。弁護側は大久保氏、石川氏、池田氏の事情聴取のなかで切り違え尋問が行われていたと主張。大久保氏に前田検事の事情聴取の様子を明らかにさせ、石川氏、池田氏の「切り違い尋問」によってサインを迫られたもので、任意性がないと主張するつもりのようだ。

その後、弁護人と検事の応酬が続く。

そこで裁判官が「いったんお待ち下さい」と言って、裁判官3人が退廷する。検事の意義について協議するつもりのようだ。

少しざわつく法廷。

5分後、裁判官3人が法廷に戻ってくる。全員起立し、裁判官に一礼。着席後、裁判官が検察官の異議について発言。

「異議を棄却します」

裁判官は、公判前整理手続きに提出されていた資料でないことをふまえ、最低限の範囲で前田検事の調書について質問すること

を認めた。

引き続き、大久保氏と弁護人の尋問。

── 小沢氏への捜査を避けたかったのは、どんな理由からですか?

「我々秘書が小沢先生から任されたいたにもかかわらず、こういう事態になったことを申し訳ないと思いました。

小沢先生が逮捕されれば重大なことになると思いました」

※思わず大きな声になる大久保氏。それに対して弁護人が「ちょっとテンションを抑えて・・」と注意。

── 前田検事の取り調べの時、事務官は同席していましたか

「事務官は席を外していました」

── 前田検事と1対1で事情聴取をしていたのですか

「はい。1対1です」

── びっくりしたことはありましたか?

「ご自身でPCを使って、『これ作家の時間だから』『司馬遼太郎みたいなものだよね』と言っていました。その時に突然『ここ

で大久保さん登場!』『これはあなたの発言!』と、私の方を指さして発言しました」

前田検事が調書を一人で造りあげていたことを証言する重要な場面なのだが、大久保氏がジェスチャーを交えながら証言するので、法廷に笑いをこらえる声がもれる。大久保氏を最も近い位置で見ていた石川氏も池田氏も、笑いをこらえているようだ・・。一方、裁判官は冷静に「このしぐさが記録に残るようにしてください」と書記官に指示する。

── そのほか、あなたは前田検事にどのようなことを言われたのですか

「『石川さんは大久保さんに累が及ばないようにと話しているのに(大久保氏への報告・了承を認めているということ)、あなたもそう

しないといけないでしょ』と言われました」

── 石川さんが大久保さんへ報告したことを認めた調書にサインしたのは2月2日です。大久保さんは、1月30日に調書にサインし

たときに前田検事からはそう言われたのですか

「はい。間違いありません」

── 1月30日の調書では、平成17?19年の報告書については、東京に行った折りに、もしくは森岡にいたときにFAXなどで池田さん

から報告を受けたとなっています

「そのような事実はありません」

── そのような事実がないのに、なぜ調書にサインしたのですか

「『池田さんがそう言っているのであれば、そうなんでしょう』と言いました」

※捕足。大久保氏が収支報告書について石川氏と池田氏から報告を受けていたとの調書にサインしたのは1月30日。一方、池田氏は1月29日に「大久保氏に報告していた」との旨の調書にサインしているが、このとき、池田氏は「石川も大久保も報告していたことを認めている」と言われ、サインしていた。つまり、池田氏が調書にサインした時点では、実際には誰も共謀について認めておらず、池田氏の担当検事がウソをついていたということになる。

ちなみに、石川氏が調書にサインするのは2月2日で、前田検事が大久保氏に語った「石川も認めている」という言葉もウソ

だった
ということだ。これが、冒頭の大久保氏の発言である「前田検事にだまされた」につながる。この後、さらに前田検事の奇行

が証言される。

── 前田検事の聴取で、記憶に残っていることはありますか

「いつもは朝から取り調べがあるのですが、刑務官の呼び出しが遅い日がありました。11時すぎに呼ばれた日のことです。その時

、前田検事は目が真っ赤で、お酒に酔っているような感じだったので、『検事さん、どうしたんですか』と聞いたら『朝5時までやっちゃ

った』と。『大阪から一緒に応援に来ている若い検事と虎ノ門の寿司屋で朝5時まで飲んでいた』と言っていました」

── その後輩とは(池田氏の取り調べをしていた)花崎検事のことですか

「後輩とは言っていましたが、花崎検事とは言いませんでした。大阪から一緒に来た検事ということでした」

── その時、何を言われましたか

「『あなたも大変だね。あなたの子どもも犯罪者の子どもということで、結婚もできないかもね』と」

── そのほかの話は?

「身の上話を始めて、『私もやっちゃいけないことをやってしまいました。

私はこの事件で検事を辞めようと思っています』と話しました」

※捕足。村木事件での前田検事のフロッピーディスク改ざんが大阪地検内で最初に問題になったのは2010年1月のちょうどこの頃前田検事は陸山会事件の応援で東京にいるとき、上司から改ざんについて問い合わせがあった。この日の深酒の理由がそこにあるかどうかはわからないが、大久保氏の証言は注目に値する。

続いて、2009年3月に大久保氏が逮捕された西松事件に尋問が移る。

── 西松事件で逮捕されたとき、調書にサインしていますね

「平成21年3月3日に逮捕されて、こういうことになった。何とか私だけで終わらせたいということで、調書にサインしました」

── 裁判官調書にはどう答えたのですか?

「西松建設から(違法な)献金を受けたのではなく、西松建設に関連する政治団体に寄付を受けたと話しました」

── それなのに、検察官の調書ではそうなっていません

「私は、他の人に事件が広がることを避けるため、本当のことが言えませんでした」

── 調書には「西松側」から献金を受けたという言葉があります。この「側」とは何ですか

「(西松建設に関連する)政治団体も含まれているので、西松建設ではなく、西松建設側の『側』という字を入れるよう、山本検事に

言ったためです」

── 「側」という字にこだわった理由は

「『側』というところを強調して、調書のなかにある『やましいところ』という部分は後でわかってもらえると思いました。

西松建設からの献金であれば、企業団体献金を受けることのできる政党支部で受ければいいからです」

※大久保氏は、事件が他の事務所関係者や小沢氏に波及することを怖れ、検事が望む調書にもサインしたという。だが、大筋では検事の調書を受け入れながらも、『側』という一字に自らの本心を残し、裁判で証明するつもりだった。

そのほか、西松事件での大久保氏の調書では、収支報告書の署名を自分で行ったと証言するものもあるが、大久保氏は否定した

にもかかわらず、最後にはサインしてしまった。こんなものは検事が筆跡鑑定をすれば、大久保氏以外のサインだとすぐにわかりそ

うなものだが、検事はそういった基本的な捜査もしてなかったようだ。

弁護人の尋問が終わったところで休廷。休憩をはさんで、15時25分再開。続いて、検事が大久保氏に反対尋問を行う。

大久保氏は石川氏や池田氏に比べて声が大きく、饒舌な印象。

秘書寮のための土地を購入した理由については「若い秘書が結婚適齢期になり、家族と一緒に諏訪ませることがないということで

、(小沢氏の自宅の近くで)条件に合う土地が見つかった」からだという。

また、水谷建設に関する質問には、弁護人からの質問と同じく、「公判前整理手続きで弁護士が話された最低限のレベルで、話を

したいと思います」と回答を拒否。水谷建設関係者の証言の後で、話をするものと思われる。

なかでも大久保氏の声が大きくなったのは、検事に「あなたが罪をかぶることのメリットは?」と聞かれたとき。

大久保氏は怒気も交えながら返答する。

「私としては、罪をかぶるという気持ちはありませんでしたが、たとえ無実であっても、次々に関係者が逮捕されれば、小沢先生だけ

ではなく国会議員の先生や支持者の方々に多大な影響を受けますので、私だけで止めたいと思いました。

無実なのに、どういうわけなのかこういう事件になった。

政権交代のためにがんばってきたのに、なぜこんなことになるのか。これは謀略だと思いました。

だから、私だけで止めたいという気持ちでした」

だが、大久保氏の饒舌が続いたのはここまで。検事が東北ゼネコンの小沢事務所担当者を事情聴取した際に集めた調書をもと

に、大久保氏による政治資金を依頼したときの様子を聞かれると、一転して声が小さくなる。

以下、検事と大久保氏のやりとり。

(── は検事、「」内は大久保氏の発言、※は筆者注)

── 平成16年のパーティー券のことで、前年より購入額を減らしたA建設の担当者に「手のひらを返すのか」と大声で言ったのか

「そういうことを言った覚えはないのですが、「今まで通りお願いします」ということを言ったと思います」

── 『たったの20万円ですか』ということは言いましたか?

「『たった』という言い方をしたかどうかは覚えていません」

 
※一問一答では伝わりづらいが、実際の大久保氏の回答は、あっちにきたり、こっちにきたりで内容もあいまい。検事にも「できる

だけ《はい》か《いいえ》で答えてください」と促されるも、声は小さくなり、「え?」や「あの?」といった言葉が急に多くなる。

記憶を探っている部分もあるのだろうが、強い態度で政治献金を要求していたことを聞かれる部分については歯切れが悪い。

引き続き、検察から複数の建設会社に献金要求をしていたことを追及され、談合への介入についての尋問に移る。

── B建設の担当者の供述に、談合では小沢事務所の意向に従ったとの供述がありますが

「そういった事実はないと思います」

── 担当者がウソを言っている?

「事実と違うところがあります」

── 西松建設から陳情を受けたことは?

「あります」

── ダムの発注についての力添えについて依頼されましたか?

「そういう主旨のことは話されたと思います」

── 『西松にしてやる』ということは言いましたか?

「そういう虚勢をはって言ったことはあるかもしれません」

── わからないように献金を受けていたのはなぜですか

「そういうことではないと思います」

── ゼネコンの下請け業者から50万円ずつという方法で献金を受けていた理由は

「そういう献金をしてくださる方が、そういう形の献金の形を希望されたのでは・・」

── どうしてそういうことをしていたのですか?

「どういう形でお願いをすれば献金していただけるのではということで、そういうお願いをしていました」

法廷ではじめて証言台に立った大久保氏は、前田検事の取り調べの様子を明らかにすることで、特捜部の捜査手法の問題点を

浮き彫りにさせた。もちろん、この証言は弁護側の尋問で明らかになったことであり、検察側はまだ反論を行っていない。

第7回公判以降で取り調べ検事が出廷することになっているので、その際にも「切り違え尋問」について弁護側は追及する可能性

が高い。

一方、攻守変わって、検察から東北ゼネコンについて聞かれた大久保氏は、守ることで精一杯。

これまでの公判で精彩を欠いていた検察側にとってみれば、はじめて攻勢に出ることができたともいえる。

とはいえ、東北ゼネコンに関する事実は本裁判の罪状である政治資金規正法とは直接関係なく、あくまで背景事実にすぎ

ない。それでも検察が繰り返し背景事情に言及するのは、背景事情と小沢事務所の政治資金管理の複雑さを五月雨式に示すこと

で、裁判官に3人の被告人に対する心証を悪くする狙いがあるようだ。

                                                            引用:The JournalD


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