陸山会事件・虚偽捜査報告書問題  前田恒彦facebook 全文 

前田恒彦 −元特捜部主任検事のつぶやき−

陸山会事件・虚偽捜査報告書問題 その1  2013年04月22日

私は、平成22年1月から2月にかけ、東京拘置所(東拘)で公設第一秘書の取調べを担当した。その間、田代政弘検事は、同じく東拘で事務担当秘書の取調べを担当していた。複数ある「取調べ室」はもちろん、ファックスなどが設置してある「検察官控え室」のある区画は、何段階もの施錠がなされた「閉ざされた空間」の中にある。逮捕勾留中の被疑者の取調べを担当する「身柄班」と呼ばれる検察官や事務官らは、皆、朝は時間を合わせて東拘に直行し、全員揃って東拘の事務棟に入り、夜も同じく時間を合わせて揃って帰る。刑務官にできるだけ解錠の手間をかけさせないための配慮だ。

昼食や夕食は東拘内の職員食堂でとるか、最寄り駅近くのスーパーで弁当などを購入して持ち込む。事件記録のコピーなども全て東拘の取調べ室に持ち込み、そこに置いたままにしておく。取調べ室には検察庁のネットワークに接続されていてメールの送受信などが可能なパソコンのほか、プリンターやロッカーなども設置してあるので、「取調べ室」と言っても、庁舎の執務室がそのまま引っ越してきたイメージだ。要は、「身柄班」ごと東拘に「缶詰状態」としてしまい、帰宅から出勤までの僅かな時間を除いて一日中外界から隔離して取調べに集中させ、担当する被疑者と濃密な時間を過ごさせて人間関係を構築させ、彼らから供述を引き出すことに専念させるというシステムだ。

私は、田代検事と仕事をするのは初めてだったが、彼が飾り気のない性格であった上、私から見て後輩とはいえ期が近かったこともあり、私が東拘に詰めるようになった初日から、彼と控え室などで気さくに話をするようになった。同じ「身柄班」として「閉ざされた空間」で一日の長い時間を共に過ごすことで、次第に一体感も生まれていった。また、最も重要な任務がそれぞれの担当被疑者に業者からの裏金受領を供述させるという実にハードルの高いもので共通しており、かつ、その点の捜査が進まずに苦労していたということでも共通していたことから、日を経るにつれ、お互いに胸を開き、陸山会事件捜査に関する様々な本音や愚痴などを語り合うようになっていった。そうした中のある日、私は、田代検事から驚くべき告白を聞くこととなった。

陸山会事件・虚偽捜査報告書問題 その2  2013年04月25日

その告白は、強制捜査に着手した事情、特に事務担当秘書の逮捕に至った事情を聞く中で出てきた話だった。田代政弘検事は、逮捕前から事務担当秘書らの取調べを任されるなど、捜査において「主要な役割」を果たしており、そうした事情を知る立場にもあった。

告白のポイントは、次のようなものだった。
@田代検事は、逮捕前、事務担当秘書の取調べを行った際、その供述内容や態度、言動などを記載した「捜査報告書」を作成した。
A作成は、主任検事の指示によるものだった。
B捜査報告書は、逮捕状の取得に際し、裁判所に提出された証拠の一つだった。
Cしかし、その内容は、「逮捕の必要性」を強調すべく、実際には事務担当秘書に「自殺のおそれ」をうかがわせる言動などなかったのに、そうした言動があったかのように記載するなど、事実と異なる虚偽のものだった。

そもそも、取調べ状況や供述概要などを記載した「捜査報告書」は、「供述調書」と異なり、供述者に内容確認やサインを求めることがない。供述者が全く関知しない中、捜査機関だけの判断で作成可能なものだ。田代検事のやり方は、この「捜査報告書」の性格を逆手に取ったものだった。また、Cは、事務担当秘書が「国会議員」という「何かと気を使わなければならない立場」に転身しており、強制捜査の着手が困難な中、これを容易にさせることを狙ったものだった。

田代検事は、組織の中で「無理な仕事」を任され、様々な重圧を感じる中、「ダークサイド」に堕ちてしまっていた。私に彼を断罪する資格などないことは明らかだった。それでも、この告白は、私の心の中に「渦」として残ることとなった。その後、私は、検察に何らかの対応を求めるべく行動に出たが、その反応は田代検事の告白以上に驚くべきものだった。

陸山会事件・虚偽捜査報告書問題 その3  2013年05月2日

平成22年2月に秘書3名を起訴し、代議士を不起訴とした陸山会事件。翌23年1月に至り、今度は田代政弘検事の存在がマスコミで大きく取り沙汰されるに至った。検察審査会による起訴相当議決を受けて行われた平成22年5月の再捜査で、田代検事の取調べを受けた事務担当秘書が、その状況を「隠し録音」していたのだ。他方、田代検事は、取調べ直後、その際の秘書の供述内容などを記載した「捜査報告書」を作成していた。しかし、その内容は、客観的な録音状況に反する虚偽のものだった。そればかりか、「真実を記載した証拠」として検察審査会に提出された上、秘書らの公判でも弁護側に開示されていた。

確かに「検事も人の子であり、間違いはある」が、それにも自ずと限度がある。東京地検特捜部で政治家や官僚を立件する班は「特捜部の中の特捜部」とも呼ばれ、10数名ほどの班員は全国の検事の中でも「精鋭中の精鋭」だ。約3〜4か月前の取調べにおけるやり取りと、ほんの数日内の取調べにおけるやり取りとを混同することなど絶対にない。新任検事にもそんな者はいない。特に「捜査報告書」は、単なる「取調べメモ」と異なり、作成者の官職名を記載した上で署名押印をし、「公文書」として完成させるものだから、その記載内容には慎重の上にも慎重を期す。被疑者や参考人の供述内容を「一問一答形式」で記載するような捜査報告書の場合は、なおさらだ。

今回の虚偽記載は、勾留段階における秘書の供述調書の信用性を格段に高めるものだった。その内容は、代議士の指示を認めるものだ。諸事情から検察が代議士を起訴できないで終わった陸山会事件。既に検察審査会が起訴相当議決を出しており、全く同じ証拠関係でも2度目の起訴相当議決が出される可能性の高い中、間違いなくこれを「後押し」する方向に働くものであることは明らかだった。ここで思い起こされるのが、田代検事から告白されていた「逮捕前の虚偽捜査報告書」の件だ。独断によるものではないとのことだったが、両者は、供述者に内容確認やサインを求めず、捜査側の独断で作成可能な「捜査報告書」の性格を逆手に取ったという点で一致していた。組織が直面する困難な状況を「裏ワザ」で打破しようとの狙いも共通していた。基本的な構図は全く同じだったのだ。

陸山会事件・虚偽捜査報告書問題 その4  2013年05月3日

検察は、弁護側から「隠し録音」を入手した早い段階で、再捜査時に田代政弘検事が作成した「捜査報告書」の内容が虚偽であることを把握していた。そのまま放置すれば、関係者が口裏合わせに及んだり、徐々に記憶が失われていったり、文書データが消去されたりするなど、証拠が散逸するおそれが高い状況だった。しかも、虚偽文書が実際に「証拠」として使われ、検察審査会の起訴相当議決に影響を与えたという重大事案であり、陸山会事件の任意捜査から強制捜査、不起訴・再捜査に至る一連の捜査状況に問題はなかったかといった点についても、徹底的に捜査する必要があった。田代検事が私同様に他の検事に何らかの告白をしていることもあり得たし、告白を聞いた人間がそれを一人で抱え込んだとも限らなかった。それらのやり取りがメールなどの客観証拠として残っていた可能性もあった。

しかし、検察は、逮捕どころか捜索・差押すらせず、「記憶の混同」との弁解を十分に追及しないまま、絶対に「真相」を語らそうとしない「ヌルい捜査」に終始した。そればかりか、捜査状況を小出しにリークすることで、処分前の早い段階から「不起訴やむなし」との方向付けすら行った。組織防衛を図ろうとすればするほど、検察に対する社会からの不信感は高まる一方だった。

当時の私は受刑中の身であり、事実を明らかにする機会がなかった。確かに、起訴に至れば、代議士や秘書らの公判は確実に吹き飛んだはずだ。「後戻りする勇気」などあくまで「理念」にすぎず、検察の存亡を左右するような特異重大事案に後戻りなどあり得ない。また、大阪地検特捜部の一連の不祥事を「大阪特有の問題」という構図で小さくまとめた手前、東京にも同様の「根深い問題」があるということだと、いよいよ検察に「外部からのメス」が入る危険性もある。関係者も大阪の事案と比較にならないほど多いから、監督責任まで考慮すると、幹部の首が幾つあっても足らない状況となるだろう。だからといって、捜査の手を緩め、田代検事の口を閉じさせ、彼一人に重荷を背負わせたままで終わるようであれば、検察に「正義」を語る資格などない。

私は、古巣の凋落ぶりを横目で見つつ、他方、内心は忸怩たる思いで一杯だった。そうした中、満期釈放が約1週間後に迫った平成24年5月8日、虚偽捜査報告書事件の捜査主任検事が私の取調べを行うためにやってきた。その検事は、私のよく知る人物だった。

<不起訴不当議決に対する検察のコメントを見た雑感>  2013年5月7日

最高検次長検事の公式コメントは、「議決内容を踏まえ、必要な捜査を遂げ、適正に処分したい」というものだった。不起訴処分時の捜査メンバーを総入れ替えし、新たなメンバーで「捜査をした」との形作りはするが、議決の中で指摘された問題点や疑問点を一つ一つ潰すことに終始し、最終的に「嫌疑不十分・不起訴」という方向に持っていこうとの「検察の本音」が透けて見えるコメントだ。

マスコミ各社も幹部らから様々なコメントを引き出した。例えば産経。「検察幹部」なる者が、「再捜査で新証拠が出る可能性は低い。また不起訴という結論に落ち着くだろうが、捜査は尽くさなくてはならない」とコメント。そもそも、「新証拠」は出る、出ないという話ではなく、検察が本気で集める気があるか否かにかかっている。ある事実を「証拠」という形にし、事件記録の中に組み入れるか否かは、全て検察の胸三寸だからだ。ただ、再捜査開始前に「また不起訴という結論に落ち着くだろう」との見立てを明らかにした以上、仮に何らかの事実が新たに「証拠」という形となったとしても、検察の総力を上げ、その「信用性」を潰す方向での捜査が行われるに違いない。もし信用性が高いということになると、起訴せざるを得なくなるからだ。

他にも、時事の引き出したコメントが目を引く。「幹部」なる者が、「上司は『無罪』で、本人だけがわざと虚偽の記載をしたというロジックをどう理解すればいいのか。個人で虚偽記載をする理由は考えにくい」と議決内容に疑問を呈したとのこと。上司まで手が届かなかったのは、不起訴処分当時、事件関係者らに真相を語らせようとせず、「証拠」がなかったからにほかならない。より謙虚に更なる捜査を遂げ、彼らに全てを語らせ、事案の真相に迫ることこそが、検察審査会から求められた検察の使命ではないか。上司らに関して不起訴相当の議決が下されたからといって、これに甘んじることなく、その関与状況などを含めた徹底した再捜査が必要だ。

酷いのは、同じく時事が引き出した「特捜経験の長い別の検察幹部」なる者のコメント。捜査報告書につき、「取り調べを大枠でまとめるもので、当日に行っていないやりとりを振り返って記載することも理解できる。何の問題もない」と、不起訴判断は正しかったとの見方を示したとのこと。確かに捜査報告書の中には、何日分かの取調べにおける被疑者や参考人の供述内容を整理し、一通にまとめるというものもある。それでも、数カ月前の取調べにおけるやり取りと、数日内の取調べにおけるやり取りとを混在させることなどあり得ない。これは特捜経験が長いか否かにかかわりなく、検事にとって「常識」の話だ。そればかりか、そもそも今回の捜査報告書は、明らかにそうしたものと体裁・内容が異なる。「捜査報告書作成時点の直近に行った取調べの中での供述」という前提で、その内容を「一問一答式」などを用いて具体的詳細に記載しているからだ。「何の問題もない」と言い切る姿勢こそが問題だ。

今回の件は、
退職間近で組織防衛や自己保身に汲々とする「検察幹部」らには到底期待できない。むしろ、「正義の実現」を志して検事バッジを付けたばかりの若手検事の中から、少しでも「おかしい!」という声が上がることを、心から期待したい。



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